@『ウエブ進化論
    梅田望夫 著  2006

A『ウェブ時代をゆく
    梅田望夫 著  2007

B『フューチャリスト宣言
    梅田望夫・茂木健一郎 著 2007

   いずれも ちくま新書



3年前、『ウェブ進化論』が出た時は、技術的なトレンドの解説でもしているのだろうと読む気がしなかったが、最近ふと手にとって読み出すと一種の文明論に近く、大変面白く、同じ著者のを引き続き更に2冊も読んだ。

@『ウエブ進化論』はインターネットの進展に伴って、ネット上の世界が大きく成長し、これを「あちら側」と称して、従来のリアルな世界「こちら側」と対比させる。この視点が、言われて見ればなるほどなのであるが、この書が、パラダイム転換をもたらす凄いところなのである。これを牽引するのがグーグルであるが、あちら側の世界では、こちら側と違った現象が起きてくる。只で情報が提供され、無限大に近い多数が参画する。旧来の組織が、知的世界のあり方を含め、大きく変えていく。これまで特定の人に限られていた情報発信機能が、ブログなどによって、大きく拡大し、時代が変わりつつあること実感させる。

A『ウェブ時代をゆく』はこのような時代の生き方を中心に論じられている。著者の年代、あるいは、さらに若い人へのアドバイスである。このアドバイスには、著者が、シリコンバレーと日本を股にかけての仕事の体験から生まれたもので値打ちがある。時代をリードする知的エネルギーが学歴とは無関係に形成されている様子が解る。どんな組織に所属するかではなく、お前は何が出来るのかの世界なのである。組織に依存することが余りにも強い日本の風土がこれから試練に立たされる。

B『フューチャリスト宣言』梅田望夫と今、最も活動的で多産な茂木健一郎の対談が中心の本で、時代の先端を走る二人の見方が明瞭に解る。いずれも、自らを実験台にしながら、「あちら側」と「こちら側」を精一杯に走っている人で、この人たちから見ると、日本の教育制度は全く時代に対応していないことになる。自らの身を曝しながらというのは、そこで起きる偶然(偶有性)に身を挺することなのである。これが喜びに繋がり、「あちら側」の面白いところなのである。後半に、梅田が慶応義塾普通部中学2年生に行った特別授業と茂木が横浜国大の学生に行った特別授業が収録されていて、これがまた大変面白い。先輩として、若者を鼓舞している。

上記は大変雑駁な紹介であるが、私と同年輩の70歳前後の人に向けて書いている。
これらの本の未読の方にお勧めしたいのは、先ず@を読むことである。この本が理解しにくいようであれば、それは、技術的な知識が足りないのではなく、あなたに「あちら側」の体験が乏しいからで、時代に取り残されていると思って良い。その場合、本を読むより、ネットサーフィンなどネット世界に馴染まれることをお勧めする。

もう一つの読み方は、Bの後半の「特別授業」を中学2年、あるいは、大学生になった積りで読むことである。ちょっぴり若い頃に戻れるし、新しい展望も開ける気がするだろう。

Aの初めの方に出てくる話であるが、幕末から明治にかけて生きた福沢諭吉はその変化ついて、「恰も一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と言っている。福沢諭吉は上手く時代を乗り切ったのである。
しかし、幕末には、余命幾ばくないのに、今更新しい世界を覗いて、適応に苦しむより、昔ながらのちょん髷、羽織、袴で過ごそうという私くらいの年齢の人も沢山いたはずで、それも立派な選択肢である。冗談ではなく。

09・1・23

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