司馬遼太郎
 街道をゆく 30 31
愛蘭土紀行 T U
 朝日新聞社 
ワイド版 2006


この本を最初に読んだのはもう15年以上も前のことだと思う。面白かったという微かな記憶があるものの、中身はすっかり忘れていた。
その後、自分でアイルランド徒歩旅行を試み、そして数年経って、本書を再読しての感想である。
まず、本書は紀行文というより、アイルランド全般の知識の披瀝である。アイルランドの歴史、文学、宗教、アイルランド人論・・・多方面から語られており、その語り口がうまいので、「アイルランド入門」としても、最高のものではないかと思う。
該博な知識の上に、アイルランド関連文献を読み込み、さらに、多方面の人脈から得た情報を、アレンジして、披露していくので飽きることがない。アイルランド人脈の広がりを、次々と、拾い出すやり方も面白く、それに、宗教の新旧、英蘭の対立などを絡ませて、見事なタピストリーの観を呈している。
特にアイルランド系文学者(スイフト、ワイルド、イェーツ、ジョイス、シング、ベケット・・・)の傾倒ぶりもすごく、「アイルランド文学さえ読んでいれば、アイルランドなどにゆかなくともいいとさえ思ったし、いまでのそう思っている。」(U p70)
と言っている。
ロンドン、リバプールでゆるゆると薀蓄を披瀝しながら進み、アイルランドへ入るはT巻の165頁になってからで、以降も大半が、書物や伝聞による情報で、紀行文としての、直接体験の部分がいかにも少ない。
車で移動するので、私が何日もかけたところを、一瞬のうちに通過してしまう。肝心のアイルランド人との交流もほとんどなく、一行を乗せた車の運転手が、接触したアイルランド人を代表しているとも思える。
妖精の話で、「妖精通過注意」の道路標識があることが話題になって、現実に、一行はその標識に出っくわすのである。紀行の記事としては面白いのだが、一行の中に、写真家もいるのに、その写真が掲載されていない。そもそも、一行の車に誰が乗っているのか、明らかにされていないし、どこか、現実感が乏しいのである。
紀行記の終わりに、実体験らしい出来事を2つ掲げてある。娘乞食に出合ったこととアイルランド大統領ヒラリー夫妻と面会たことである。そして、再び「偏った言い方をすれば、行かずとも、イェイツやジョイス、あるいはシング、でなければベケットを読むだけいいともいえるかもしれない」と結んでいる。

司馬遼太郎のこの本の持つ豊かな情報量と分析力には大いに敬意を表するが、このような旅行をするのなら、本人の言うように、わざわざアイルランドまで行く必要がないのかもしれない。その土地と人に接触していないので、彼はアイルランドを旅していない。

私のアイルランドの旅は、40日というささやかなものであるが、本書とは全く異なっていた。最初からブッキッシュな世界から離れて、アイルランドに身を置くことが目的だったから。
広い空のもと、広がる緑の大地、馬、牛、羊たち、野辺の草花、野鳥の声、村人、宿、酒場の人々の人情、ギネスやスープの味・・・なんと美しい世界がそこにあったことだろう。これがアイルランドだ!という実感を味わうことができた想い出は、私には宝物として輝き続けることだろう。

【追記】 ジョセフ・P・ケネディの項の終わりに
「一つの民族が他の民族に歴史的怨恨を持つということは、その民族にとって幸福であるかどうか、分かりにくい。」(Uのp262)

「アイルランドの細道」
「読書の愉しみ、私の書評」