博士の本棚  翻訳夜話 
 小川洋子  村上春樹
柴田元幸
 新潮社  文春文庫
 2007  2000

博士の本棚』は、書評などのコラム記事を集めて編まれたもので、余り気を張らずに読み散らせて、楽しい。
実は、小川洋子の小説を読んでいないのだが、この方がどんな風に小説を書いておられるのかよく分かり、その養分ともなった本や人や犬の事などが、さらにいえば作家の秘密に類することが伺える。
小説家がどんな精神状態でいるかも分かる。

子どものころの図書館での思い出から始まり、いろんな本の話しが出てきて、終わりには「死の床に就いた時、枕元に置く七冊」など、本にまつわることが大半である。『アンネの日記』への思い入れが随所に見られ、作家のバックボーンとなっているように見える。
本に関係のないものとして、飼い犬のことを書いた文章は光っていて、犬が作家を成長させているようだ。
書評は読みたくなるように書くのが要諦であるが、小川洋子の書評は素晴らしい、
そんな著者の案内によって読んだ本に、村田喜代子『雲南の妻』と次に触れる村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』がある。
いずれも、4頁に紙面を割いている。

翻訳夜話
わたしは小説家でも、翻訳家でないが、この本は読み出したら止まらなかった。小川洋子さんの導きによって読み始めたのであるが、その動機のなった箇所を、孫引きになるが、引用しておきます。

「  ゛小説を書くというのは、簡単に言ってしまうなら、自我と言う装置を動かして、物語を作って作業です。(中略) 我を追求して行くことは非常に危険な領域に、ある意味で踏み込んでいくことです”
思いずがけずこうした直球を受け取れるところに、本書を読む喜びがある。」


小川洋子さんのこの言葉に釣られて、本書を読んだが、裏切れられなかった。翻訳を語りながら、村上春樹の創作の秘密が浮き彫りにされていて、これは小川洋子の創作の秘密にも繋がるのであるが、彼の小説に付き合う我々が、なぜ彼に付き合うのかの秘密にも繋がる。
翻訳は、村上春樹にとっては,上記のような危険を伴わず、癒しの働きをしていることがよく分かり、創作と翻訳とを両方やる人の言としては訴えるものがある。
前半は柴田元幸の東大の講義に、村上春樹が出て、二人の対談と学生との質疑という形。中ほどに、レイモンド・カーヴァーとポール・オースターの短編の二人の競訳があり、後半は、プロの翻訳家を交えた座談会が続く。(巻末に原文掲載)  慣用句やダジャレの翻訳など話題が続くが、翻訳者の議論はさして面白くない。
やはり、なぜ小説を書くのか、なぜ小説を読むのか、なぜ翻訳するのかという本質論が面白いのである。
私自身、できるだけ翻訳は読みたくない、6割理解できれば、原文を読むほうが面白いと思っている人間なのだが、それとは別に翻訳論議は大抵面白い。高度な文章論でもあるからだ。

2011・4・22

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