未来への記憶 −自伝の試み」上下

河合隼雄 岩波新書 2001

同氏の30代後半までの半生記です。
ご両親のこと、丹波篠山での幼少期、戦争を挟んでの学生記時代、教師生活、アメリカ、スイスの留学によって、新しい世界が開け、ユング派精神分析者の資格を取るとところあたりで終わります。
大塚信一氏を聞き手に語ったこと本にされてので、その語り口まで、読者は味合うことができますし、聞くスピードで、上下二巻を一気に読んでしまいます。

同氏の著作に長年親しんできた私にとって、その舞台裏を見る感じで、興味津々でした。この自伝は、私がこれまで読んだ本の、序曲のように響いてまいります。

内容を2,3紹介しましょう。

氏の心理学はロールシャハ・テストから始まることはよく知られていることですが、その係わり合いが、学会の雰囲気を含めて、詳しく書かれています。当時、学会を風靡していたカール・ロジャースの「非指示的カウンセリング」にも深く感動するのですが、やはり、人間を知ることが先決と離れていくあたりも面白いです。(私もロジャースに深く影響を受け、今も尾を引いているのではないかと思うほどです。大雑把に言いますと、クライアント(相手)を徹底的に受容していくと、つまり、こちらから指示的なことを言わず、相手に共感していくと、相手は、回復、自立していくというものです。)

フルブライト奨学金で、アメリカへ留学し、そこでユング派のグロッパーやシュピーゲルマンに接し、そして、その導きによって、チューリッヒのユング研究所へ行きます。分析者の資格を得るには最低3年の研修が必要で、その状況が詳しく語られます。この本の山場と言って良いでしょう。ユングに興味がある人は、ユング派分析者というのがどうして産まれるのか知りたいところですが、この本はそれを満たしてくれます。この留学によって、後の河合隼雄の背骨が出来て、その後の豊かな活動が始まるわけです。

日本と西洋という二つの文化を股にかけ学ぶことの事の問題が提起されており、それの克服が河合隼雄の原点だということも分かります。

ユング研究所の最終試験で「セルフを表すシンボルにはどんなものがあるか?」という問題が出され、試験官と喧嘩になり、3年かけた資格取得という努力が、あわや、無になりそうな一場があります。このやり取りと最終的な彼の自己評価は圧巻です。

兄弟のエピソード、フルートの出会い、果ては、ニジンスキーの奥さんに日本語を教える話ことなど、「河合隼雄」に誕生に影響を与えたことが、平易に、素直に、かつ、具体的に語られていますので、河合ファンには応えられません。

ユングの理解には彼の自伝を読むことが、不可欠のように、河合隼雄の理解にはこの自伝は不可欠だと思いました。

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