猪熊葉子

「児童文学最終講義 
しあわせな大詰めを求めて


すえもりブックス
2001
 

造本の素晴らしいに引かれて買って、読んだのは6年も前のことです。そのときは格段の印象もなく、内容もすっかり忘れていましたが、最近、あるきっかけで読み返してみて大変感動しました。前回は一体何を読んでいたのかと思うくらいです。そして、更にもう一度読み返しました。

この本は、児童文学の研究、翻訳、普及などに40数年携わって来れれた猪熊葉子さんが、教授退官記念として1999年2月6日に白百合女子大学で行われた最終講義を中心に編まれたものです。

講義は次のような要素から出来ていると思います。
@児童文学とは何か?その研究の歩み
A児童文学の読者としての体験
B翻訳、国際児童図書評議会
C母親との葛藤、コンプレックス
D信仰へ道
など
ここまでで、88頁。後10頁のあとがきと32頁の注釈、10頁の「著者主要翻訳・著作リスト」が付きます。
そのあとがきでは
E自分とは何か?
が語られ、実は、このあとがきこそが猪熊葉子さんバックボーンだと知ります。私は初回読んだとき、あとがきを読まなかったのでないかと思います。読んでいたらきっと強い印象を持っことでしょう。

@児童文学についての、いくつかの意見、現象を示され、これからの研究者に課題を投げかけておられます。読むべき文献を具体的に示しながらのお話は、今後の研究者に役立ちます。子どもの本質としての「子ども性」、児童文学における「幸せな大詰め」、作家はなぜ子どもの本を書くのか?など大切なテーマが散りばめられています。
私自身、いい年をして、子供の本が好きなのは、どこか未熟な、幼稚な性格ではないかとふと思うことがあるのですが、児童文学とは何か、子供とは何かは、大変奥が深いものがあることを、この講義で知らされました。
A〜Dは自叙伝的部分で、家庭の事情、身体のコンプレックスを背景に読書への傾倒を語られ、大変豊かな読書体験をされていることが分ります。またそうした体験(喜び)を経ずしては、児童文学への道はなかったものと思われます。そして、研究者として、翻訳者として、普及活動家としての猪熊葉子が出来上がる様が述べられています。
児童文学(研究)が低級と見なさせれ、それなりの処遇がなされなかったことは、講座を持って16年も講師に据え置かれたことで分りますが、それだけに、白百合女子大学に博士課程まで設けられるようになったことの喜びは、読者にも伝わってきます。
講義の全体を貫くのは、母親との確執です。有名な歌人であられた母親の、子どもしか見えない一面が、暴露されて行きます。母親との葛藤の中で、やがて信仰を得て、さらに最後には、母を含め一族を信仰の道にいざない、幸せな大詰めを迎えたことを神に感謝して講演は閉じられています。児童文学にがっぷりと四つ組んでのこられた偉い大学の先生の最終講義として見事なものだと思います。

実は話は終わりません。10頁のあとがきが続きます。
講演の後、その出版へ向けて整理をしているうちに、ふとこんなことを思うのです。
「恐らくは、私が三歳か四歳、まだ福岡に住んでいたころの風景である。そのころ自分を「おっこちゃん」と呼んでいたらしい私は、どこまで眼前に拡がっている青々とした稲田を前に、温まった石垣にもたれ、賢治風にいえば、「わくわくと降り注ぐ」日の光を浴びている。あたりは森閑としており、つくねんと立っている「おっこちゃん」を邪魔する者はだれ一人いない。・・・・・・」  この「おっこちゃん」こそ本当の「わたし」ではないか・・・・と目覚めていくのです。
これ以上の紹介は、著者に失礼になると思います。あとは本文をご覧ください。

09・06・21

「読書の愉楽・私の書評」