『新訂 福翁自伝』  福沢諭吉 
岩波文庫 1978年
(私の読んだのは1992年第27刷 なお、初版は1899年)

毎日ではないが、月に数度はお目にかかる方がいる。福沢諭吉である。
私はうかつにも慶応義塾の創始者ぐらいの認識しかなく過してきたが、この年になって、『福翁自伝』を読んで、目を開かれた。
最晩年の福沢がその一生を丹念に語ったこの自伝を、もし、30代で読んでいたら、私の人生はもっと豊かになっていただろうと思う。
それは人生への肚の座り方を教えるからである。
「人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまで根気よく勉め、種々様々の方便を運(めぐ)らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち,人に勧めまた人の同意を求めるなどは十人並みにやりながら、ソレでも思うことのかなわぬときは、なおそれ以上に進んでは哀願しない、ただ元に立ち戻って独り静に思い止まるのみ。詰まるところ、他人の熱に依らぬというのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にもこれという覚えはないが、少年の時からソンナ心掛けというより、ソンナ癖があったと思われます。」同書273頁

勿論、この本は幕末、維新、明治の激動期の社会の動きを生き写していて、どこを読んでも面白い。それが最後の方に出てきて、感銘を与える、「なぜ政府の役人にならなかったか?」の答弁に繋がる。勤皇攘夷とか佐幕とか、日本中が蜂の巣をつついたような混乱の中で人々が取った行動を冷静に見つめているのである。
このことは、彼の反儒教へと繋がっている。所謂腐儒がうごめいていたし、また、儒教が動乱期を処するよい指針とはならなかったのである。彼は西欧流の考えで、日本の安寧と富国強兵を考えるのであるが、彼の中国古典への造詣は15,6歳で私の数倍上回っている。例えば、春秋左氏伝は、私は何とか一度通読した程度であるが、彼はその年には11遍も読んでおり、その上に立て、西洋の考えへと傾倒していったのである。

儒教をベースにした当時の人々と福沢の捉えた西洋の考え方のギャップを見事に示す一例として、こんな話がある。幕府の高官にイギリスのある経済書の目次を翻訳することになって、その中にコンペティションという語を訳すのに「競争」と訳した所、役人は「争う」という語が気に入らない。こんな語が入ったものを御老中方には見せられないというのである。結局、福沢は「競争」の語を抹消して提出するのであるが、ここでの福沢の説明は平易で見事なものなので、この一節(184−5頁)を是非多くの人に読んでもらいたいのだが、いわば、東洋対西洋の大きな差が示されていて、今でも通用する議論なのである。*

最後は家族や家計や健康の問題にも及び、福沢の人生全体が髣髴とさせる。子供達に読ませたい。

私は岩波文庫で読んだが、これには年譜も付いていて、素晴らしい編纂だと思った。

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*補足1:この「競争」の問題は政治、経済、経営を考える上で、最も大切なコンセプトである。競争原理という「見えざる手」が働くメカニズムをどう実生活に取り込むかということである。アメリカ社会が競争原理を基本とし、近くは小泉内閣、竹中平蔵氏の政策のベースとなり、多くの国がこれをコピーし、競争原理が限りなく善に近づくという考えが広がっている。。
一方、儒教は2千年来、東洋の基本思想であり、特に中国では、各王朝が2,3百年の政治的安定を儒教により確保してきたのであるから、立派な思想に違いない。例えば先ごろのオリンピック開会式でも分るように、現在の中国でさえ、儒教への復帰が認められる。勿論、中国も役人登用に科挙という競争を持ち込んだのであるが、この競争を政治、経済の原理とすることはなかった。
孔子は争いについて、論語八?第三で次のように言っている。
「子曰 君子無所争 必也射乎」子曰く、君子は争う所なし、必ずや射か=先生が言われた。君子は何事にも争わない。あるとすれば弓争いだろう。(金谷治訳注 岩波文庫) 射は君子交際の儀礼的なもので、この文の続きにその説明がある。孔子は争いを嫌ったので、江戸の役人や家老が「争い」に拒否反応を示したのも理解できるし、彼らが心配したように「競争原理」を持ち込めば「争い」が絶えないのも事実である。特に弱者には厳しい。儒教は春秋時代の争いの巷からそれをなくすために生まれた思想でもある。
「必也・・・乎」は「強いて言えば・・・・あろうか」ということ。(「しにか」1995・4号金谷治の巻頭エッセイ参照)

補足2:competitionの訳語を「競争」とするのは、この自伝によると福沢諭吉が初めてのようである。
我々が便利に使っている言葉の多くが明治の先輩のご苦労によるもので、柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書1982は「社会、個人、近代、美、恋愛、存在、自然、権利、自由、彼、彼女」の翻訳語の成立を探った労作である。

2008・2・6
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