小学漢字 1006字の正しい書き方 [文庫] 旺文社 (編集)

この本は大変便利な本です。筆順、書き方上の注意点、読み方、熟語など簡明に表示されていて使いやすい。
小型で安価で、子供に字を教えるお母さん、先生方が愛用しておられるのではないかと思います。
私は、外国の方に日本語を教えているので、トメ、ハネ、ハライ、点の打ち方について、今の小学校ではどう教えているのか気になって、よく参照します。

ところで、私の使ってるのは旧版(上記右側の黄色の本、1888年初版1991年改訂、2001年重版、630円+税)ですが、漢字を書き始めた英国の方が、私の使っているこの本に興味を示したので、差し上げようと取り寄せましたら、新版(上記左の青い本 2002改訂版、2010三訂版、2011年重版、現在600円+税)は思いもかけない改変がなされていて、驚くとともに、慌てて古本の旧版を求めてそれを差し上げました。新版には余分なことが書いてあったからです。

新旧の版の最大の違いは、新版は「字の成り立ち」が加わったことです。これには、正直あきれてしました。所謂字源で、一般の日本人が漢字を習得する最後にたどり着くのが普通です。漢字の成り立ちについて、高校時代、六書(象形、指示、会意、形声、転注、仮借)を習いますがが、殆どの人が身に付かないまま終わってしまったのではないでしょうか?
勿論、字源に興味をもって悪いわけでないし、小学生用の辞書にも書いてあります。しかし、漢字が出来て、4千年も経っているのであり、むしろその後、運用されて、どんな意味を担ってきたか、つまり、漢字の基本的意味を知ることが大切なので、これとて、いろんな事例に出会うことによって、取得できるものなのです。
漢字を人に例えれば、まず、顔を覚え、性格やどんな能力があるか知ることが肝心で、その人の遠い祖先の出所を押さえるのは最後です。新版のやっていることはその最後の段階を取り入れているのです。

新版に加わった「成り立ち」は『旺文社 漢字典(第2版)』参考にしているとありますが、編者に字源マニアがいてそうさせたのでしょうか?余りにも大胆であるだけでなく、混乱の元で、この段階で教えない方が良いと思います。なぜなら、大半の大人も知らないことなんですから。

もう一つの問題は「部首」を明確に示してあることです。部首を漢字の部品として教えるのは漢字の構成や意味を理解するの大切なことですが、部首をこの段階で取り立てて教える必要があるでしょうか?例えば「周」の部首は口なのですが、この段階で部首を叩き込むとすれば将来漢学者に育てようとする子供くらいでしょう。部首は漢和字典を引く際に用いますが、漢和字典が部首単位に編纂されるという長い伝統を継承するためのものです。私は正直、70を過ぎても部首の分からないものが多くあります。大抵字音で引きます。
白川静の辞書(『字統』『字訓』『常用字解』(平凡社))は字音の五十音順に編纂されており、前2書には部首索引もついていますが、おそらくこれまでの伝統の尊重と総画で引くより便利な場合があるという程度ではないかと思います。

主として上記の結果、旧版に比べ新版は情報量としてはおそらく3割は増加していると思いますし、その労は大きなものがあるはずですが、加わったのはいわば「蛇足」で、旧版の簡明さを好むものにとっては、残念な改訂しか言いようがありません。私が外国の方に新版を差し上げなかったのはこのような理由のためです。

まだ、いくつも言いたいことがありますが、その一つ。
表紙に旧版で「新指導要綱準拠」、新版では「新指導要綱対応」となっています。一体、要綱のどこをを準拠または対応させたのか明らかではありません。
文化審議会答申の「改訂常用漢字表」が告示されたのは2010年11月、この中では、(一例に過ぎませんが)、応(こた)える、育(はぐく)む、父(とう)さん、母(かあ)さんの訓読みが認められています。これらの改正はまだ反映されていません。
出版も目先を変えるためにモデルチェンジをするのでしょうが・・・・次回改訂には考慮して欲しいものです。

少し辛口の評を加えましたが、小学生や外国の方に漢字を教えるという目的とは別に、この本は漢字好きの人に思わぬ楽しみを与えてくれる本です。掌に収まる小さな本の中に漢字に成り立ちなど深遠な領域に分け入っているのですから、読者はこれによって、漢字の故郷に思いを馳せ、更には、もっと大きな字書へと赴かせる力があります。そのような方にもお勧めで、本書がさらに今後進化発展することを願って止みません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下は少し細かい話になりますが、先生方のご参考に供します。

まず、私が本書を手にしたのは、人に書き方を教えるに当たって、トメ、ハネ、ハライ、点の打ち方に自信がなかったからです。例えは「文」と「言」については、点は「文」はまっすぐ下につけ、「言」はななめにはなして打つのですが、この本にはっきりそう注意書きしてあるので、安心できました。ハネ、トメなどについてもくどいほど注意書きがしてあります。これによって、自分の書き方の正しておりました。自分の身に着けたものやペン習字の本などはこれと異なるもののたくさんあり悩みました。

しかし、2010年「改訂常用漢字表」が告示され、そのなかに「(付)字体についての解説」が付いて、様相が変わってきました。それは特に筆写の際の許容例を掲げてあって、漢字を書く際のトメ、ハネ、ハライ、点の打ち方は、結局、手書きの場合は、多くの習慣による書き方が許容されていて、正誤の差は生じないとされているからです。

私の悩みは何であったかと気が抜けましたが、結局、同じ教えるのなら、「改訂常用漢字表」の字体を教えるのが良いと思うようになりました。なぜなら日本の学校で教えているから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
参考

「改訂常用漢字表」2010年6月文化審議会答申、同年11月内閣告示。
これによると、字の形に関して、
A.字体:文字の骨組み。他の文字との弁別するもの。(表では明朝体で表示されている)
B.書体:字体の具体化、一定のスタイル。明朝体、ゴシック体、正楷書体、教科書体、康煕字典体など。
C.字形:印刷文字、手書き文字に関わらず、目に見える文字そのものの形。同じ書体でも微妙な字形の違いがあることがある。
D.手書き文字:楷書(楷書に近い行書を含む)
と分けている。

「改訂常用漢字表」は明朝体で表されている。字体から見れば
JIS漢字=明朝体=教科書体 新聞雑誌の大半はこれによる。高塚竹堂「書き方字典」野ばら社もおおむねこれによる。
縦画のハネの有無に例を取ると
@木、本、休、外、来、秋 物、不、米、糸、干、
A水、小、可、才、寸、求、牙、宇、示、打、京
@は明らかにトメ、Aはハネである。ところが、書道、ペン習字の本の中には@に属する漢字の縦画をハネているものが多く見られる。例えば「三体筆順字典」日本書道協会編では木、来、秋、物、米、糸は、ハネている。
小学校用の漢字指導の本は@は原則通りトメ。
新教育指導要領では
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/002.htm
「漢字の指導においては,学年別漢字配当表に示す漢字の字体を標準とすること。」となっており、これは「改正常用漢字表」と同じ。

ところが、「改正常用漢字表」では、「明朝体と筆写の楷書との関係」で、この表にによって、「書き方の習慣を改めようとするものではない。同じ字体の中でのものはおろか字体の異なる場合を許し、例示を掲げている。
これによると、@に属する漢字の縦画をハネても許容の範囲となる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/__icsFiles/afieldfile/2010/12/08/1299787_06_2.pdf
(手書きすること大切さを考え、余り細部にこだわらないようにしたようだ。また、細かく議論すると切が無いからか?あるいは書道協会などの業界の圧力か?)

点についても同様
B立、字、音、市、衣、交
C主、言、語、
B真っ直ぐ下につける点、Cは斜めにつける点とされている。Bは行書では斜めに付ける点となる。

D前、胃、青、晴、能
E腹、腸、明、湖
月の部分の第一画はDではトメ、Eではハライとなっている。

これらの区別も、「明朝体と筆写の楷書との関係」によるどとちらもOKとなる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2012・6

目次  Alice in Tokyo