鈴木真理のロンドン通信No.98

 
                                      アメリカンスクールで学ぶシェイクスピア
                                             痛快「リチャード3世」 1
 
ロンドンのアメリカンスクールに通う娘はこの9月から11年生。ハイスクール(4年間)卒業まであと2年となりました。ハイスクールの英語の授業は、最初の2年が全員共通のカリキュラム、後半の2年は選択必修制です。アメリカ文学、イギリス文学、翻訳で読む世界の文学など、様々な年代とジャンルから30以上のコースが用意されています。娘はそのなかから、今学期はShakespeare Surveyをとっています。これはシェイクスピア研究の導入コースですが、ロンドンにいる地の利を生かし、3ヶ月ほどの学期中に観劇が5回組まれています。そのうち2回がシェイクスピアグローブ座。ストラットフォード・アポン・エイボンにも泊まりがけで出かけ、1日で昼と夜の2公演を見たあと、翌日はシェイクスピア関連の施設を見学することになっています。
 
グローブ座の「じゃじゃ馬ならし」(ロンドン通信97)が学校からの観劇の第1回目でした。娘とクラスメートたちは事前に予約した(一番高い)29ポンドの席。私も娘と同じ公演が見たかったので、当日5ポンドの立ち見席を買いました(座席はすべて売り切れ)。グローブ座の良いところは、一番安い席(ヤード)が最も舞台に近く、よく見えるということです(ただし3時間以上立ちっぱなしで、雨が降れば濡れるのを覚悟しなければなりません)。
 
観劇第2回目もグローブ座、今回は「リチャード3世」です。私は「リチャード3世」をまだ見たことがありません。ヨーク家とランカスター家の薔薇戦争に絡む歴史劇ということで、自分の高校時代、世界史の授業で両家の人名を覚えるのに苦労した思い出があるため、なんとなく人物関係が複雑な劇のような気がしていました。娘に「『じゃじゃ馬ならし』はとてもおもしろかったから眠くならなかったけど、今度のは人物関係がちょっと複雑だから、眠くならないか心配でしょう」と尋ねると、意外な答えが返ってきました。
 
「お母さん、『リチャード3世』は次から次へと人が殺されるんでしょ。誰か一人が長々と台詞をしゃべるんなら眠くなるかもしれないけれど、事件がどんどんおこるんなら大丈夫。」
そういわれて、私はなるほどと思いました。難しいことはあまり考えずに、リチャードが悪の限りを尽くして王冠を手に入れる様子を、ゲームのように楽しめばよいのだと。
 
今回も私は舞台のすぐ前にある立ち見席、娘たちはそれを取り囲むようにしてつくられた客席で座って鑑賞です。娘の言うとおり、舞台に登場する王位継承者や邪魔者がどんどん消されていき、敵方の女性も籠絡され、すべてはリチャードの思惑通り軽快なテンポで進んでいきます。第3幕の終わり、いよいよリチャードが王位につくことを了承する場面。ロンドン市長と市民たちが、リチャードのいるベイナード城にやってきます。表向きは王位に関心のない振りを装うリチャード。リチャードと通じている忠臣バッキンガム公は皆の前で「王に相応しいのはあなたしかいない。ぜひ国民のために王位についてほしい」と嘆願します。この時リチャードは舞台のバルコニーにいますが、バッキンガム公はヤードと舞台を結ぶ階段に立ち、ロンドン市長はヤードの真ん中に立っています。いつのまにかヤードで立ち見をしている私たちは、ロンドン市民の役を演じているわけです。バッキンガム公は突然そばにいた立ち見客の一人をつかんで踏み台に乗せ、「あなたが王位につくことを了承してくれないと、こんな見ず知らずの人に王になってもらわなくてはなりません」と言うと、観客からどよめきが起こります。ついにリチャードが王位につくことを了承すると、今度は観客から大拍手が起こりました。私たちもいつのまにか、リチャードのペースに巻き込まれていました。

03・10・3     目次へ