01・9・18

アメリカ同時テロ揺れるロンドン 

先週火曜日の恐ろしいテロで犠牲になった方々とそのご家族に、心から哀悼の意を表したいと思います。また悲しみに沈む人々が再び元気を取り戻せるよう、祈らずにはいられません。

事件発生当時、英国のブレア首相はブライトン(イングランド南部の都市)で労働組合の総会に出席していました。しかしまもなくこれがテロリストによる犯罪だと判明、首相は会衆と国民に対し「我々の社会に挑戦する邪悪なテロリストに対しては、これを根絶しなければならない」と発言、事前に用意したスピーチは取りやめにして、緊急事態に対応するため急遽ロンドンに戻りました。その後この惨事による英国人犠牲者は数百人に及ぶことが明らかになり、英国は米国の次に多くの人的被害を受けた国となってしまいました。ブレア首相は米国の対応を支援すると約束。ロンドンでも空港や政府機関に対する警備が厳重になって緊張が高まっています。

しかしテロリストがイスラム教を信仰するグループであることから、問題は複雑になってきています。ロンドンは多民族都市であり、イスラム教徒もたくさん生活しています。実際私の娘がロンドンに来て初めてできた友達は、パキスタン出身でイスラム教徒でした。現在米国が身柄引き渡しをアフガニスタンに要求しているオサマ・ビンラーデンも、1994年頃にはロンドン北西部に住んでいたそうです。当時私たち家族も、彼と同じ地域に住んでいたことになります。どこかですれ違っていたかもしれません。そんなことがあっても不思議でないほど、この街には色々な国の人々が生活しています。

息子と娘の通うアメリカンスクールは、アメリカ国籍、しかも東海岸出身者が多いので、親戚や友人家族に被害者がでているようです。事件当日は夕方から開かれる会合が全て中止になりましたが、それ以降は平常通り授業が行われています。校長先生から「この悲しみの中にあって私たちにできることは、私たちがやるべき事をしっかりやり続けることです」というメッセージが、全家庭にeメールで届けられました。しかし学校全体は悲しみに包まれています。今月末に予定されていた学校の創立50周年祝賀事業は中止がきまり、そのかわりに追悼集会が開かれることになっています。

このアメリカンスクールには、インターナショナルスクールであるというもう一つの側面があります。クリントン政権時の駐英米国大使のお嬢さんは、私の娘の同級生でした。また昨年の卒業生には、サウジの王子様もいたそうです。イスラム教徒も、パキスタン人もこの学校の生徒です。このようなインターナショナルなコミュニティーの中で、今回の事件により少数派グループの家族がつらい思いをしているのではないかと、学校側では憂慮しています。日本人家庭に対しても、今回の事件でたびたびパールハーバーが言及されることについて不快に思っていないだろうかと、校長先生からお尋ねがありました。事件翌日の学校集会では先生の方から、この事件を異なる宗教や文化間の戦いととらえてはいけないという話しがあったそうです。

テロリストの行為は絶対許されるべきものではありませんが、この事件が西欧社会対イスラム社会の戦争に発展したり、これ以上一般市民に犠牲のでることがないよう、慎重に対応を考えてほしいと願います。

 

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