ロンドン通信 133
英国総選挙と、ジュリアス・シーザー
鈴木真理


55日に行われた総選挙は、トニー・ブレア首相率いる労働党が議席の過半数を制して勝利を収めましたが、イラク戦争への批判票が野党に流れたため、労働党の議席数と支持率が大きく下がることになりました。

現実の政治劇が繰り広げられているさなか、ロンドンでは、シェイクスピアの政治劇『ジュリアス・シーザー』が上演されています。共和政下のローマ、敵を撃破して凱旋したシーザーを熱狂的に迎えるローマ市民の姿に、護民官と貴族たちの一部は大きな不安を隠しきれませんでした。シーザーが独裁者となり、共和制の伝統が破壊されるかもしれないという危惧です。ブルータスもその一人。彼はシーザーを敬愛しながらも、ローマの自由を守るためにシーザーの命を奪います。暗殺計画の首謀者はキャシアス。彼を始めとする暗殺者が次々とシーザーに襲いかかり、最後にブルータスがとどめの一撃をさすところで、シーザーは「ブルータス、お前もか!」という言葉を残し、血の海に倒れます。

続く広場の場面では、民衆を前にブルータスが暗殺の大義に熱弁をふるいます。「自分がシーザーをあやめたのは、シーザーに対する敬愛が小さかったからではない。ローマへの愛がそれに勝っていたからだ。」という高潔な演説に、民衆は「万歳」を叫びます。

ところがこのあとブルータスは、理想主義者的な失策を犯してしまいます。マーク・アントニーにシーザーの追悼演説を許したのです。アントニーの演説はこの劇のハイライトです。彼は「僕はブルータスのような雄弁家ではない」と謙遜を装い、「ブルータスは尊敬に値する人物だ」と何度も繰り返しながら、民衆の心を巧みに操ります。そして演説が終わってみれば、民衆は熱狂的なシーザー賛美者に豹変。ブルータスとキャシアスは逆賊の運命を転がり落ちていくことになります。

デボラー・ワーナーが演出する今回の『ジュリアス・シーザー』は、『民主主義と自由を守るための正義の戦い』というイラク戦争の意義付けを強く意識したものとなっています。バービカン劇場の大きな舞台をいっぱいに使って、ガラス張りの高層ビルに囲まれた大きな広場が設けられています。群衆整理用の移動式バリケードが配置され、蛍光色のベストをつけた警備隊がいて、現代の国会議事堂前広場のような雰囲気をつくりだしています。今回の演出の特徴は、エキストラを含めた100人以上の群集がそこに出現するところにあります。

マーク・アントニを演じるのは、映画『イングリッシュペイシェント』などで知られるレイフ・ファインズ。彼が舞台上の群衆に語りかけ、その心をつかんで自分の思い通りに誘導していく様子を、客席にいる私たちがはっきりと見て取れるようになっています。理屈ではない群集心理の怖さを感じさせられます。次のシーンでは、暴徒と化した群集が、無実の市民に濡れ衣を着せて殺害します。イラクの囚人に対する米兵の暴行を思い出させるような場面でした。

今回の演出は、動きはスピーディーなのにせりふはゆっくりと語られ、シェイクスピアの言葉の魅力を存分に味わえるようになっていました。時代を超えて演じ続けられ、しかも常に今日性を失うことがない作品を観て、シェイクスピアの人間社会に対する深い洞察に改めて感動した一夜でした。


2005・5・16  目次へ