ロンドン通信 131

『この生命は誰のもの』

Whose life is it anyway?
鈴木真理

ウエスト・エンドでヒットしているWhose life is it anyway?という劇を見に行きました。これは、事故で脊髄を損傷し、回復の見込みのない患者の「死ぬ権利」をめぐるドラマです。最初(1972年)はテレビドラマとして放映され、1978年にロンドンの劇場で初演されました。その後ブロードウェイはじめ世界各地で上演されるようになり、日本でも劇団四季が舞台化しています。

脊髄はからだのあらゆる部分を動かす信号を送る中枢であるため、それを損傷すると、首から下が麻痺した状態になってしまいます。映画スーパーマンで主役を演じたクリストファー・リーブズが、乗馬中の事故で車椅子生活となったのも同じ原因によるもので、現在の医学では、完全回復は困難です。

今回ロンドンで再演されるにあたり、劇作家のブライアン・クラークは脚本にいくつかの変更を加えています。ロンドン初演時の主役は男性でしたが、今回は女性になっています。興味深いのは、脚本家も演出のピーター・ホールも、重いテーマを扱いながら、これをコメディーだと位置づけているところです。主役の女性クレアを演じているのは、米国のテレビドラマSex And The Cityで人気者となったキム・キャトラルです。

クレアが動かせるのは頭だけ。自動車事故に遭う前は、彫刻家として腕や手を使って活躍してきただけに、それが動かないもどかしさは想像に余りあります。また頭がはっきりしているだけに、回復の見込みのない日々が延々と続くことがはっきり認識できます。そんななかで、彼女が新米の看護婦や清掃係の青年と交わす言葉が笑いを誘います。植物状態に近い自分のことを「野菜と同じだよ」といってみたり、青年がベッドを打楽器代わりにロックミュージックを口ずさむのに、頭を左右に振って応じてみるなど、深刻な状況をふっと忘れさせるような面白いシーンがたくさんあります。

やがて彼女は、生きるに値しない自分の人生なのに、自分の命を絶つことができない状況、無理に生かされていることによって、生きていること自体が不断の苦しみとなっている状況に終止符を打つ決心をします。弁護士を雇い、『死ぬ権利』を主張して、病院に捕らわれている状態からの解放を目指します。

彼女の考え方には、誰もが賛成するわけではないでしょう。米国では折りしも、植物状態の女性の延命装置取り外しを巡る裁判が話題になっています。英国では、重い障害のある赤ちゃんに対し、「これ以上の治療は苦しみを与えるだけなので、意識不明に陥った場合、蘇生のための手段は講じない」とする医師側と、「赤ちゃんの状態は良くなっている」と信じる両親の間で、裁判が行われています。医療技術の進歩は、人間の死を複雑な問題にしています。この劇も、この問題への回答を提示することを目的とはしていません。ユーモラスなシーンに笑いながら、劇場を後にするときには、『死ぬ権利』と、充実した人生を送ることの意味を身近に考えさせてくれるものでした。

主役はベッドに横たわったままで頭しか動かさず、場面も病院内だけですが、周りの人間を効果的に動かすことにより、緊張感を持続させていたのは、演出の力によるものでしょう。キム・キャトラルの人気か、若いお客さんが多いのも印象的でした。彼女は動きが制限されているにもかかわらず、セクシーさをうまく表現していました。

05・3・28

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