ロンドン通信 122
国立劇場 首相を斬る

国会議事堂からテムズ川を隔てた対岸で、米英両国の首脳がホットな政治ドラマを繰り広げています。

英国からはトニー・ブレア首相、外相、国防大臣、諜報部トップ、首相の政治顧問など、米国からはブッシュ大統領、チェーニー副大統領、パウエル国務長官、ライス国防顧問、財務長官、大統領のスピーチライターなどホワイトハウスの要人たちが参集。アナン国連事務総長、イラクの武器査察団団長なども登場します。

これは国立劇場で上演されているDavid Hareの新作、Stuff Happensです。Stuff Happensというタイトルは、バクダッドで起きている略奪行為に言及した、2003年4月11日のラムスフェルド国防長官の発言を引用したものです。この劇は、イラク戦争開戦にいたる政治的駆け引きを、公式の場での人々の発言をそのまま使用し、密室での彼らの発言は綿密な調査に基づいて推測し、再現した、歴史劇です。トニー・ブレア首相は、米国の最重要同盟国としての地位を維持するため、奮闘する姿が辛辣に描かれています。

私はプレビュー初日に出かけました。1200人収容の大劇場は満席で、開演前から期待の大きさを感じさせました。舞台には大きなテーブルと、いす、電話の小道具がある程度ですが、ホワイトハウスから英国首相官邸、バグダッドと、舞台の切り替えがうまく、役者も彼らが演じている実物を髣髴とさせるところがあり、3時間という上演時間もあっという間でした。デイリーテレグラフ紙が「Stuff Happensは間違いなく、今年必見のドラマである」としているのをはじめ、各高級紙のレギュラーの劇評家たちは総じて高い評価をしており、演劇的要素が高いレベルにあることを裏付けています。

登場人物たちが現役の政治家であり、イラク問題はフセイン政権打倒後も終わりが見えない状況であるだけに、この劇はプレビューの段階から注目度が高く、メディアでも大きく取り上げられ、反響を巻き起こしています。上演するのが町外れのアングラ小劇場ではなく、国立劇場の大ホールであることも、これに輪をかける原因となっています。私が把握できただけでも、劇評を含めこれに関する40以上の記事が新聞にでていますし、ひとつの新聞でも複数の意見を紹介しています。これは舞台の扱いとしては異例のことだと思います。「批評家がなんと言おうと、David HareのStuff Happensが今年の一大文化イベントであることは否定しようがない。」とGuardian紙が述べているのが、その状況を物語っています。

劇評家以外の著名人も新聞紙上で観劇の感想を披露しているので、興味深いものをご紹介します。

Robin Cook(劇中にも登場、2003年3月、ブレアのイラク参戦の決断に抗議して外務大臣を辞任。労働党議員)

「・・・この劇は、ホワイトハウスの主が誰であるかに関わらず、米国に最も近い同盟国としての地位を維持することを主要目的として、トニー・ブレアが英国を戦争へ導いたという現実を想起させるところに価値がある。・・エピローグでイラク人が占領軍の無能、無知、残忍さを嘆くところは、まったくもっともなことだと思われる。イラク人にとってのよりよい未来は、彼ら自身の手によってしか構築することはできず、我々が押しつけた解決法の先にあるものではないという中心となる真実を、この劇は伝えている。」

Hans Blix(劇中にも登場、国連の武器査察団団長)

「私は、一年以上にわたる国内および国際間の議論・論争を、David Hareが数時間の劇に凝縮することに成功していることに、非常に心を動かされた。劇中の多くのせりふはもちろん、劇的効果のために実際より鋭く露骨なものになっていたが、自分の記憶では、その多くが信頼できる引用である。」

Ann Widdecombe (保守党議員)

「Stuff Happensは、露骨なプロパガンダを目的とした、レニ・リーフェンシュタール以来の、最もはなはだしい芸術の堕落である。ただしそこには芸術はなく、人物の性格描写もなく、一貫性のある筋も感情移入もない。・・・私のそばに座っている女性は居眠りを始め、前の席の男性は腕時計を少なくとも20回はチェックしていた。私も同様であった。」

Tim Collins (イラク侵略開始時に英国軍の指揮官の一人であった。現在は退役)

「この劇は示唆に富むスペクタクルであり、新世紀のこれまでの輪郭を形成してきたイベントに、新しい光を当てるものだと、私は感じた。それによりこの劇は、私を含めた何百万もの人々がこの一年以上抱き続けてきた、戦争の理由に対する疑いや不安に、再び息を吹きこむものであった。・・・劇の最後に、イラク人亡命者の心打つせりふがある。『連合軍の死傷者数は、どんな種類のものにも正確な統計がある。弾丸の数だって、費やされたドルの額だって正確な数字がある。でも何千人というイラク人の死者数はちゃんと記録されていない。そして誰もそんなことに関心を持っていないように思われる。』自分は司令官として、敵味方双方の死傷者を避けることに心血を注いできたので、この問題に光があてられたことを嬉しく思った。戦争原因の正当性を米国による国家再建プランを考察することよって測ろうとするなら、我々が解放しようとした人々に対するこのような背筋の凍る配慮の欠如は、彼らに対する目に余るまでの無関心を、実に天下にさらすようなものである。」

立場によってこの劇の見方は様々だと思いますが、私は国立劇場がこのような劇を上演する英断と、それを許容している英国社会に敬意を表したいと思います。

Stuff Happensを演出したNational Theatreの芸術監督、Nichols Hytnerは、BBCラジオのインタビューで、国家予算を使ってこのような劇を上演することの是非を問われ、次のように答えています。

「私は上演を誇りに思う。国立劇場は権威に対して懐疑的であるべきだ。国立劇場は、我々の政府がどのような行動を取っているかを探究する義務がある。国立劇場は、我々が相手とする世界に対して、容赦ない好奇心を向けるべきである。」

04・10・05     目次へ