ロンドン通信121

   夏目漱石のロンドン下宿めぐり

夏目漱石は1900年の10月末から2年余り、英語研究のためロンドンに滞在しました。その短い間に、4回も滞在先を変えています。私は先日、漱石に関心のある日本人の方々と一緒に下宿のあとをたどり、漱石の見たロンドンに思いを馳せる体験をしました。

漱石がロンドン到着後最初の2週間ほどを過ごしたのは、大英博物館に程近いGower Streetの76番でした。漱石は妻にあてた手紙の中で、「ここは宿屋よりはずっと安いが、ここでの生活を続けると留学費を全額当てても足りないので、早めに他所へ移るつもりだ」と報告しています。

ロンドンは今も100年前も、物価の高いのは変わらないようです。現在のロンドンでは、高級ホテルはハイドパークに沿ったパークレーンに集中していますが、ツーリストクラスのホテルは、漱石が最初に滞在した大英博物館近辺に数多くあります。またこの地域はロンドン大学があるので、学生向けの寮もたくさんあり、ロンドンに短期留学する日本人もよく利用しているようです。この夏も友人の娘さんがこういった寮のひとつに滞在するというので、入寮時に立ち会いました。小さい部屋にはベッド、机、戸棚と小さな洗面台がついており、部屋の外には共同のトイレ、バスタブ、シャワー、洗濯場があり、食堂で朝夕の食事が提供されます。その寮は漱石の滞在したGower Streetのすぐ隣の通りにあります。漱石が「宿屋より安い」と記しているのですから、Gower Streetの下宿もこんなものだったのかもしれません。ちなみに現在のGower Street76番は別の用途に使用されており、ドアも取り去られて、壁になっていました。

漱石はこの下宿滞在中のことを『永日小品』のなかの「印象」に綴っています。下宿を出て、人の波にもまれながら知らないうちにトラファルガー広場まで来てしまうのですが、背の高い英国人に囲まれ、周囲に人が大勢いるにもかかわらず、孤独を感じると記しているところを興味深く思いました。現在のトラファルガー広場は、漱石の見た2頭のライオン像やネルソ記念碑は変わらないものの、周囲は外国人観光客であふれています。日本人にも数秒ごとにすれ違います。100年の間に世界がずいぶん変わってしまったことを、改めて感じます。

2つ目の下宿はロンドン北西部のウエストハムステッド(85 Priory Road)でした。高級住宅地であるハムステッドからは少し外れたところにありますが、交通の便の良い住宅地です。しかし漱石は大家である家族の雰囲気に不快感を持ち、下宿料も割高であったため、ここには1ヶ月ほどしか滞在しませんでした。この下宿での様子は、『永日小品』の中の「下宿」と「過去の匂い」に描かれています。

この家は現在もそのまま残っています。持ち主が変わり、今は日本人がオーナーです。日本人女子学生の宿舎として使用されています。

漱石は新聞広告で新しい下宿先を探し、テムズ川を渡ってロンドン南東部に移ります。カンバーウェル(6 Flodden Road)という地域なのですが、漱石は妻にあてた手紙の中で「以前のところは東京の小石川のようなところであったが、今回は深川のようなところである。どちらにしても辺鄙なところである。」と説明しています。ウエストハムステッドもカンバーウェルも、ロンドンの中心からは直線距離で4キロほど離れています。この下宿の建物は、今はもう残っていません。

漱石はこの下宿時代に、シェイクスピア研究家であったクレイグ先生のところや、書店、劇場にたびたび出かけています。地図で見ると、カンバーウェルからロンドン中心部に出かけるにはランベスを通過するはずです。ランベスは今でも低所得者の多い地域ですが、19世紀末のランベスのスラムに生活する人々の様子は、サマセット・モームがその小説の処女作Liza of Lambeth (1897)で克明に描いています。

まもなく大家の引越しにより、漱石はさらに辺鄙なツーティング(5 Stella Road)に移ることになります。彼はそこが気に入らず、別の下宿に移ることを考えますが、ここに滞在中に後の味の素発明者である池田菊苗と同宿になり、友情を深めます。池田は科学だけでなく文学、哲学、宗教にも幅広い知識を持っていました。ツーティングの下宿であった建物は今も残っていますが、あたりは今でも寂しい感じのするところです。

1901年7月、漱石は知人の紹介で、クラップァムコモン(81 The Chase)にある5番目の下宿に移りました。ここは文学者、哲学者の多く住むチェルシーからテムズ川を隔ててそう遠くないところにあり、感じのよい落ち着いた住宅地です。彼は3階の部屋を借り、帰国までの約1年4ヶ月を過ごしますが、ほとんどの時間部屋に閉じこもり、読書と思索に没頭しました。外出は少なくなりましたが、前述の池田菊苗と、チェルシーにあるカーライル博物館を訪れており、K.Natsume、K.Ikedaの署名が今も残っています。漱石の「カーライル博物館」はこのときの訪問記です。

最後の下宿の建物は、美しく手入れされて、今も残っています。小説家、夏目漱石が住んでいたことを示すブループラーク(歴史的に有名な人物がすんでいた建造物を示すもの)も取り付けられています。この家の斜め向かいの建物には、「倫敦漱石記念館」があり、水曜と週末に漱石関連の展示を見ることができます。

100年以上前の建物が今も数多く残っているところがロンドンらしいところです。日本の文豪である漱石を身近に感じることのできた下宿めぐりでした。

    [ 写真は漱石ロンドンでの最後の下宿 ]

            あとがき

この下宿めぐりを企画してくださったのは、ロンドン在住のフリーライター多胡吉郎さんです。多胡さんの著書 『我輩はロンドンである』(2003年文藝春秋刊 ISBN 4-16-365210-8)は、漱石のロンドン時代をご自分のロンドン滞在と重ね合わせてよみがえらせる、大変興味深い読み物です。

多胡さんは長年、日本放送協会(NHK)でディレクター、プロデューサーを務めてこられましたが、1999年NHKエンタープライズ・ヨーロッパへ出向となり、英国ロンドン勤務となります。このあいだに漱石から強い影響を受け、人生の一大決心をするに至ります。帰国辞令を機にNHKを退職。2002年9月に英国に戻り、フリーのライター、プロデューサーとしてご活躍中です。


04・09・30       目次へ