ロンドン通信 113
鈴木 真理


    60年後の和解

60年目のD-Dayは、前日の65日から数多くの記念行事がおこなわれました。BBCでもその様子を一日中実況中継するなど、国を挙げての一大イベントでした。その取り扱い方は、戦争を美化するのではなく、作戦に参加した人々の勇気と献身を称え、帰還できなかった人々に心から哀悼の意を表するもので、英国が成熟した国であることを感じさせました。

行事に参加した元兵士たちの多くは、子供や孫を連れてきており、D-Dayのことを知らない世代に、戦争体験を伝える貴重な機会となっていました。当時の作戦を再現したり、使用した船、戦車、飛行機などが公開されたりしていました。そのひとつに、パラシュート隊の降下があります。60年前には、66日の未明に敵前線の背後に降下、敵の拠点を奇襲して混乱させ、本隊の上陸作戦を援護しました。

また上陸予定地の東端にあるペガサス・ブリッジでは、作戦に使用されたグライダーが再現されました。60年前のペガサス・ブリッジは、ドイツ軍が占拠していました。連合軍本隊の上陸予定地点と、海岸線の防衛に当たるドイツ軍の中心基地の間にある要衝です。ここを押さえれば、敵の援軍到着を阻むことができるため、本隊の上陸を援護できるということで、橋の奪取が計画されました。またこの橋は、連合軍が上陸後に、ベルリンに向かって進軍するのにも必要です。つまり破壊することなく、無傷で奪取することが要求されたわけです。そのため、敵に気づかれることなく橋に近づくことが必要でした。普通の飛行機では、音がうるさくて相手にすぐわかってしまいます。そこで木製グライダーの登場となりました。『空飛ぶ棺おけ』と呼ばれたこのグライダーは、木製の荷車で高速道路を時速100キロで疾走するような乗り心地だったそうです。

パラシュート作戦も、グライダー作戦も、一歩間違えば生きては帰れない作戦でした。本隊の上陸作戦も、地雷と有刺鉄線が張り巡らされ、マシンガンを構えたドイツ軍が待ち構えている浜辺へ突進するという、実に無謀なものでした。連合軍の総指揮を取っていたアイゼンハワーは、作戦実行前から甚大な犠牲の出ることを覚悟しており、その責任は自分が取ることを明言した手紙を用意していました。しかし作戦決行後は、いくつかの幸運も重なり、連合軍の綿密な計画と訓練が実を結び、兵士たちの勇敢な行動に支えられて、連合軍側の死傷者は予想をはるかに下回ったそうです。それでも当日、3千人近くが帰らぬ人となりました。

今回の連合軍による追悼記念式典には、60年たってはじめて、ドイツのシュレーダー首相が招待されました。彼は式典に先立って、次のようなコメントを発表しました。

「・・・連合軍の勝利は、ドイツに対する勝利ではなく、ドイツを応援する勝利(not a victory over Germany but a victory for Germanyであった。・・・この勝利は、SS(ナチス親衛隊)の蛮行に対する勝利であり、600万人のユダヤ人を虐殺した罪深い政権に対する勝利であった。そして1944年の7月、失敗はしたものの、ヒットラー暗殺を企てた勇気ある人々を応援する勝利であった。」

また戦争の責任を痛感しているし、過去のあやまちから学んだことは決して忘れないと誓っています。今回の記念式典への招待は、ドイツが国際的な舞台に戻るための最終ステップとは言わないまでも、大事なステップのひとつだと、ドイツ国内では捉えられているようです。EUの成立で一枚岩のように見える欧州も、中ではまだ複雑な感情が残っていることを、改めて感じさせられました。

さて、ロンドン通信111でご紹介したDestination D-Day: the Raw Recruitsの放送も終了しました。24人の若者のうち19人が、4週間にわたる厳しい訓練を耐え抜きました。体力的にも精神的にも成長した彼らは、D-Dayを経験したと思われる高齢者を見る目がまったく変わったといいます。今の自分たちが自由な社会で暮らせるのは、このような人たちの勇気と犠牲のおかげだと思うと、敬意と感謝を覚えずにはいられないというのです。彼らに自分の経験を語り、くじけそうなときには励ましてきた元兵士たちは、自分自身や命を落とした戦友の姿を今の若者たちに重ね合わせて涙をこらえきれない場面もありましたが、彼らの成長振りに満足し、60年の差がある二つの世代が、最後には固い絆で結ばれていました。

ここで私は、ドイツと同じ敗戦国である母国日本のことを考えました。天皇制が戦後も存続しているため、戦争責任という点ではドイツのようにすっきりわりきることはできません。しかし現在の平和で豊かな日本を築くため、犠牲になり、一生懸命働いてくれた世代に、私たちは十分感謝しているでしょうか。過去を振り返り、そこから学ぶことの大切さと、戦争を経験した世代に感謝することを教えられたD-Dayでした。 

04・6・13
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