ロンドン通信 112 鈴木 真理


    「冷戦」をめぐる政治劇

先日、Democracyというタイトルの新作劇を見に行きました。1969年にドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の首相となったヴィリー・ブラントと、その個人秘書であったギュンター・ギョームに焦点を当て、首相就任から5年後の引責辞任までを描いたものです。

自分の高校時代、ドイツの現代史といえば、ナチスドイツの台頭と崩壊、連合軍による分割統治と東西ドイツの誕生、ベルリン封鎖ぐらいまでしか学ばなかったので、ヴィリー・ブラントについても、ギョーム事件についても、私はまったく知りませんでした。

皆さんはご存知かもしれませんが、簡単に彼の業績をご紹介しましょう。

連邦首相在任中、東ドイツやソ連を始めとする共産主義諸国との関係改善を推し進める「東方外交」を展開します。また1970年にはポーランドの首都ワルシャワを訪れ、ユダヤ人ゲットーの跡地で跪いて献花し、ナチス時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表しました。このような功績により、1971年にはノーベル平和賞を受賞しています。1972年には東ドイツと基本条約を結び、お互いを国家として承認します。しかし1974年、個人秘書であるギュンター・ギョームが東ドイツのスパイであったことが発覚、ブラントは引責辞任し、ヘルムート・シュミットに連邦首相の座を譲りました。

Democracyという劇は、首相と彼を取り巻く実在の政治家たちの執務室を主な舞台として展開していきます。舞台は2層構造になっていて、上の階と下の階は螺旋階段で結ばれています。どちらの階にも、執務用の立派な机があり、壁には書類を分類する作り付けの棚が整然と並んでいます。

東ドイツのスパイであるギョームは、最初この執務室にコピー取りとして潜り込みますが、だんだんと周囲の信頼を得て、ブラント首相のスケジュールを管理し、彼の遊説に同行する役割を与えられます。首相は西ドイツ各地を訪問して、東ドイツとの和解と関係改善を国民に訴えます。ギョームはこの経緯を東ドイツに報告し、ブラントは信頼に値するという彼の結論を伝えます。これを受けた東側は、前向きに和解交渉に臨むことになり、1972年の基本条約締結が実現します。これによって緊張緩和の流れがうまれ、のちにベルリンの壁崩壊につながっていきます。

1974年、ギョームがスパイであったことが発覚し、ブラントは引責辞任することになりますが、この劇では、ブラントを辞任に追いやったのはむしろ、連合政権内で勢力争いを演じる彼の後継者たちであったという見方をとっています。ギョームには政権転覆などの悪意はなかったし、むしろ、ブラントの意図を正しく東ドイツに伝え、両国の信頼を橋渡しした功績のある人物として描かれています。

ブラントが失脚、ギョームが投獄された劇のクライマックス、物を叩き壊すような音が聞こえはじめ、それがだんだんと激しくなります。舞台は執務室のままなので、いったい何が起こっているのだろうと不思議に思っていると、壁に並んだ作り付けの棚が、突然音を立てて一斉に崩れ落ちました。ベルリンの壁崩壊を象徴する演出だったのです。ブラントとギョームにライトが当たり、二人の存在が壁の崩壊につながったことを示す印象的な幕切れでした。

この劇は昨年9月にナショナル・シアターの小劇場で初演され、高い評価を受けました。今年4月からは、ウエスト・エンドにある少し大きい劇場に移ってロングランを続けています。このような硬派の劇が支持されているところに、英国らしさを感じます。

実はこの劇を見に行く数日前、私は娘と一緒に学校の米国史の課題に頭を悩ませていました。『冷戦は避けられたか』というテーマでディベートをするのですが、娘は「避けられた」という側に立って議論することになっていました。イデオロギーの面から見ると、資本主義と共産主義は対立するのが不可避であるが、互いに相手の敵意を過大評価してしまったため、冷戦が深刻化してしまったのではないか。当時の指導者が相手をもう少し信頼し、共存のために互いに譲歩することができたら、冷戦は避けられたのではないか・・・。娘はそういう結論を出しました。私はこの劇を見ながら、『信頼』することの大切さを強く感じました。  

    04・6・3    目次へ