ロンドン通信 109
英国での引越し
英国の4月、お天気はとても気まぐれです。ほんの数分前まで青空が広がっていたのに、空が黒雲で覆われ、激しい雨が降ってきます。雷や稲妻を伴うこともあります。その雨もひとしきり降るとぴたっとやみ、また青空が戻ってきます。これを『エイプリルシャワー』と呼びます。こんな時期には傘が手放せません。こうもり傘を手にしたシルクハットの英国紳士のイメージも、この時期には非常に合理的ないでたちだと納得できます。この雨と春の日差しを受け、木々の緑が芽吹きます。
3月はじめに新しい家(といっても築80年を超えるレンガ造りのフラットです)に引っ越した時、中庭にある木は丸裸でした。それが今ではみずみずしい若葉に覆われています。ロンドンの八重桜も満開となり、日本を思い出させる懐かしいほのかな香りが、あたりに漂っています。
英国内での引越し、それも夫が帰国してからの引越しは初めての経験で、なかなか大変な仕事でした。私たちが家族で住んでいたのは、家具つき(furnished)の借家でした。一般的に、ベッド、テーブルなどのいわゆる家具だけでなく、冷蔵庫、テレビといった生活に必要な電化製品、食器やなべ、ナイフ、フォークなど、台所用品も備え付けられています。そのほかこの家には、シーツ、枕カバーから、バスタオル、ハンドタオルまで用意されていました。日本から引っ越してきたときは、すべてが揃っていて本当に助かりますが、長く住んでいると困ったことに、備え付けのものであるか、個人所有のものであるか分からなくなってきます。そこで参照するのが『インベントリー明細書』です。これは入居時に作成されるもので、部屋ごとに、備え付けられたものの詳細が記されています。それに加え、テーブルの傷、カーペットのしみ、ドアのペンキの状態、壁に残る釘のあと、庭の状態、電気製品の作動状態まで克明に記録されています。退去時にはこれをもとにインベントリーチェックが行われ、なくなっているものや壊れているもの、汚れがひどいものなどをリストアップして、原状回復に必要な金額を保証金から差し引くことになっています。
そこで引越しの作業は、この『インベントリー明細書』を片手に行うことになります。自分では分かっているつもりでも、引越し業者が間違って備え付けのものを荷造りしてしまうことがあるので、大変気を使います。気がついたら、家に備え付けの額に入った絵画が船便として日本に発送されてしまった後だったという話もあります。日本向けの船便を発送し、国内引越しの荷物を出し、それを新しい家で受け取ったら、今度は元の家に戻って、前日まで使用していたリネン類の洗濯とアイロンがけなど、インベントリーチェックの準備に追われました。
元の家のインベントリーチェックが終わってほっとするまもなく、今度は新しい家での仕事が待っています。荷物の開梱と整理もありますが、何よりも大事なのは、入居時に家の不具合をきちんと調べて貸主に報告し、修理を要請することです。時間がたってしまうと、入居後に不具合が発生したものとみなされ、借主の責任になってしまいます。回らない換気扇、動かない洗濯機、閉まらないドア、ひびの入った窓ガラス、鳴らないドアベル、鍵穴に入らない鍵などを報告して、それぞれに修理の人を派遣するよう手配してもらいましたが、英国らしくどれも大変時間がかかりました。一番大変だったのは洗濯機。やっと来てくれたサービスマンは、故障の箇所を特定できずに帰りました。2度目の来訪でやっと原因が分かり、修理代のほうが新品を買うより高くつくということで、そのあとさらに1週間待って新しい洗濯機が届きました。
ここ数日ロンドンは気温も上がり、明るい日差しに恵まれています。週末のリージェンツパークは、待ちわびた春を楽しむ人々でいっぱいでした。不思議なことにロンドンでは、お天気がよいとみんな笑顔になります。私も新しい暮らしを楽しむゆとりができてきました。
写真:リージェンツパークの八重桜
04・04・29 目次へ