ロンドン通信 102

                東欧の古都プラハ 2

チェコの人々は長い間他国の支配を受けてきましたが、独自の文化を大切にする気持ちを失うことはありませんでした。政治的にはドイツ語の使用が義務づけられていた19世紀末、民族復興の気運が盛り上がり、「チェコ人のためにチェコ語で上演する劇場を」という悲願をかかげ、チェコ全土から募金を集めて国民劇場の建設が始まりました。ところが10年以上の歳月を費やしてやっと正式にオープンできるという数日前、建設現場での失火から建物は全焼。関係者を失意のどん底につき落とします。しかし人々の情熱は、この惨事に屈することはありませんでした。火災からわずか6週間後、再建に十分な金額が寄付で調達されたそうです。それから2年後の1883年、チェコがんだ作曲家スメタナによるチェコ語のオペラで、新劇場のこけら落としが行われました。第一線で活躍するチェコ人建築家や芸術家が精魂を傾けた建物自体とその内装も、この劇場の宝です。以来この劇場はチェコ文化再興のシンボルとなり、現在もモルダウ河畔に美しく凛とした姿を見せています。

国民劇場には現在オペラ、バレエ、演劇の3部門があり、国民劇場およびプラハ市内の他の2劇場を拠点に活動しています。今もチェコ語で上演が原則です。私はモーツアルトのオペラ「魔笛」を、国民劇場拠点の1つであるスタヴォフスケー劇場に見に行きました。この劇場は、モーツアルト自らがピアノを弾き、オーケストラを指揮して、オペラ「ドン・ジョバンニ」を初演した由緒ある劇場です。歌はチェコ語で、ドイツ語の字幕がつきました。オペラでありながら、ダンサーを使ってバレエの要素も取り入れ、舞台装置にも細かい工夫があって、芸術的に優れたものであったと思います。この劇場では、日替わりで主に演劇とオペラが上演されています。シェイクスピアの作品も人気のようです。2003年10月の上演日程を見ただけでも、「間違いの喜劇」「十二夜」「空騒ぎ」「ロミオとジュリエット」と4作品が並んでいます。もちろんチェコ語で、字幕に英語が表示されるのでしょう。私の滞在日程とチェコ語のシェイクスピア上演が合わなかったのは、ちょっと残念でした。

演劇の上演日程を見ていると、ヴァーツラフ・ハヴェル(Vaclav Havel)現大統領の作品も、今シーズン上演されることになっています。しかし共産主義体制のもと、彼の作品は長い間国内での公開・公演を禁止されていました。彼が生まれたのは1936年のことですが、その翌年、もう一人の劇作家がチェコで産声を上げます。今や英国演劇界を代表する脚本家のトム・ストッパード(シェイクスピアの「ハムレット」を裏返しにした「ローゼンクランツとギルデスターンは死んだ」で、劇作家としての地位を固め、映画「恋におちたシェイクスピア」ではマーク・ノーマンと共同で脚本を執筆、アカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞)です。彼が英国に渡った経緯は次にご紹介するとして、このハヴェルとストッパードの出会いが1977年に実現します。ストッパードは、東欧で言論・出版の自由が弾圧されていることに異議を唱える国際グループの一員としてチェコスロヴァキアを訪れ、共産党政府の弾圧を受けているハヴェルに会い、西側世界にその実状を伝えました。1979年にストッパードが書いたDogg’s Hamlet, Cahoot’s Macbethは、チェコスロヴァキアにおける表現の自由弾圧の様子を伝えています。

このように自分たちの言葉で自由に表現できるということは、プラハの人々にとって大変な苦労の末やっと勝ち取ったかけがえのないものでした。国民劇場の座席で、その深い意義に思いを馳せました。

(写真はスタヴォフスケー劇場)

03/11/7    目次へ