Martin Buberの聊斎志異訳の序文 附:目次一覧 |
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マーチン・ブーバー(1878年- 1965年)はオーストリア出身のユダヤ系哲学者でフランクフルト大、後にイスラエル大で教えた。、日本では『我と汝』Ich und Duなどの著作で広く知られている。私は今、野口慊三さんと彼のIch und Duをドイツ語で読み続けている。 その哲人ブーバーが『聊斎志異』の中から16篇をドイツ語の翻訳していて、彼がどんな観点から『聊斎志異』を読んだのか知りたく、その序文を読んで見た。 イギリス人のガイルズの英訳本や中国人の手助けを借りて読んでいるのだが、その理解は深く、『聊斎志異』の基本をよく抑えていると思うので、下記に訳して置きます。 2021・11・6 ブーバーがどんな作品を選んで翻訳したのか興味のある方へ、目次一覧(原題、独訳、巻数)を末尾に掲げておきます。 2021・11・12 |
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マーチン・ブーバーによる聊斎志異のドイツ語訳
Chinesische Geister-und Liebesgeschichten 1948
Vorwort 序文 私が悪霊神話の研究の過程で、最初は、翻訳で、次いで、Chingdao王氏の親身な指導によって、中国の幽霊談話集、特に、古典「聊斎志異」を知った。他の民族には、このように親密で調和のとれた雰囲気のあるものがないので、私をどこか惹きつけた。ここでは、悪霊(デーモン)は人間から、人間は悪霊から、愛され、憑りつかれている。それらは、我々の所にやって来て、憑りついたり、求愛をするが、あの世から身震いさせるような恐怖を相手に齎す夢魔Incubusや淫魔Succbusではなく、現世の存在で、深く暗い層から生まれたものに過ぎない。ケルト人の農民がお化けに出合った話と中国の語りのBildsicherheit(像の安全性?)と正確性は似ているが、驚くような恐ろしい不可思議Mystikはなく、自明のことのような魔術Magieなのである。 ここでは自然の秩序は破られていないし、むしろ広がっている。生命の横溢を止めるものはいないし、あらゆる生き物は精神の種を宿している。デモーニッシュなものが動物、植物、石にも花を開かせ、果実のように人間の形に凝縮されている。貴方の手で作ったものが、息をしたがり、息をしているものが結婚したがる。貴方の感覚が作り出したものが、語り、本物のように見える世界に入って来る。それらの行為は、デーモンがあなたの友として、妻として、息子として家にやって来て、あなたに仕えるものであることを証明することが出来る。 これらすべては、異郷のものではなく、故郷であり、生きることなのである。 この民族は、すべてが円循環する老子の教えと、すべてが因縁を持つ仏陀の教えが、同居し、いや、互いに補い合っているのであるが、その幽霊談の中に、ひとつの兄弟愛や異性愛の要素を持つ歌を作り出した。それは神々と人々への歌である。 中国民族が聊斎志異に集められた幽霊談を作りだしたのである。 彼は可能な限り、報告された出来事に対する語り手の記録を残すようにしたが、今日、中国で他のどの近代的な散文作品よりも一般的に賞賛されていることであるが、彼の著書は一貫した言葉がなされている。しかし、資料を直接利用したことはない。 彼は言う「私は、人の変わった話を聞くのが好きだった蘇東坡の精神に影響を受けた。人々に私に話したことを書き出すように仕向け、それらから、私は物語を作った。このように、私の人生で、友人が、あらゆる方面から、多くの素材を供給してくれて、私の収集愛の下には、大きな集積が出来上がった。」 この本は筆記の形で流通していた。蒲松齢には出版に要する十分な費用を出すことが出来なかったので。1740年、叔父によって初めて出版された。業績も評価も、この詩人は生涯無縁であったようである。自序の終わりは次の通り。「私はただの鳥だ。冬の霜を前にして惧れ、枝に宿る所がない。月に向かって鳴いていたコウロギだ。戸に向かって這っていき、ちょっとした温かさを得ようとする。私を知る人は何処にいるのか?」 これは実に約400の物語、奇妙な話である。 これらは次のこと伝えている。 これらの中には次のような者への皮肉を入れることを忘れていない。即ち、不公平な役人、不正を働く試験官、無知な医者、いかさま僧侶。それはしばしば、人間世界とそっくりなあの世の社会構造という形でなされている。 しかし、最も数が多く、重要なのは幽霊の話である。動物霊、植物霊、水の霊、雲の霊、目の中にいる霊、絵の中に住む霊、 死んだ人の霊、あらゆる種類の霊、彼らの人間への様々な関与、危機や僥倖を前にしての人間への愛。 なぜなら、それら霊は皆、人間を求めている。玩具のように人と遊ぶために、または友達のように遊ぶために、人間を罰したり教えるために、一緒に飲んだり、働いたり、助けたり、助けられたり、愛を与えたり、その愛は自分独自のやり方が許されないのだが、また、愛の中に、生命を得るために、その生命は、人間と共に共同体を通してのみ近づくことが出来る。この愛は、人間にとり、時には脅迫ともなり、時には、幸福をもたらすものである。デーモンにとっては常に達成なのである。 特別な地位を占めるのが狐の霊で、色々な姿で現れるが、多くの場合、美しい娘の姿で現れ、男に近づき、男に愛され、子供を産み、家を切り盛りし、一緒にいることによって、存在がより確実で明快な形を獲得している。狐の珍しい習性に次のようなものへと導く。彼が冬、凍結した川や湖を渡る時、体はずうっと氷の上に保ちながら、その下に水の流れを聴く。そして、あたかも、女性的な暗い原初の力である陰Yinの領域と、男性的な活力ある要素である明るい陽Yanの世界結び付けているようである。 聊斎志異からの個々の話は、ヨーロッパの言語に翻訳されている。Herbert A. Gilesが豊な内容の選集を出版している。(Strange Stories from a Chinese Studio, neue Auflage London 1909) 残念なことだが、彼に不快に思えるすべての個所を、削除するか、書き直している。私は王氏の助けを借りて、Gilesの本に含まれているものの幾つかを、翻訳されてないものも含め、完全、忠実に翻訳した。私が選んだのは、、他の理由から、無視したくない幾つかを除いて、人間と霊(デーモン)の間の愛についての最も美しく価値ある物語である。 マーチン・ブーバー 1948
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マーチン・ブーバーのドイツ語訳(1948) ハーバード A ガイルズの英訳本(1908) |
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目次一覧 (ブーバーがとドイツ語訳した作品) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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