アリスとチェシャ猫との対話(93)


458 猫: ふたつの話題共に焦点がずれているようですね。あとのほうから先に取り上げます。

<見性体験で味わったことは、この一歩一歩では届かないということでした。関所、絶望と表現したのはこのところです。>

私はこのことを「歩いても歩いても、ちっとも登っているように思えない」という言葉で表現したつもりでした。私の5項目を見れば、この手順を踏んでいけばしかるべき成果が順次現われるように思えるかもしれません。けれども実際はそうではありません。何も変わらない。何の効果もない。それどころか事態はますます悪くなる。「この道はどこへもつながっていないのではないか」と思うようになることがあります。

飛躍はある日突然やってきます。それは起ったらわかります。誰もそれをコントロールすることはできません。人間にできることは、ただ関所の手前で歩く努力を続けることだけです。いつ関所が開くのか誰も知りません。自分が進歩しているのか、退歩しているのかさえ分かりません。けれども、歩く努力をしなかったら関所は永遠に開かないでしょう。ひたすら歩く努力を続けていれば、ある日突然、関所が開くのです。

<勿論、この一歩一歩がなけれは、埒が開かないのですが、それだけでは足りない何かがありそうで>とお書きになりましたが、私は一歩一歩歩く努力をする以外に、関所を開ける魔法の呪文のようなものは存在しないと考えています。実は、呪文は存在しないのではなく、存在するのですが、誰もそれを自分で意識して使うことができないのです。それは、エゴが神に対して全面降伏するということなのです。仏教の言葉でいえば、我を捨てる、無我、ということでしょうか。これができれば関所は消えてなくなるでしょう。結局のところ、歩く努力とは、エゴを消滅させるためのプロセスなのです。

はじめの問題に戻ります。

<私はこの問題に30年ぐらい取り組んできました。つまるところよく分らない。>

これは、他人が口をはさむ問題ではないかも知れません。ご参考までということで申し上げますが、この問題は、頭で分析しても答えは出てこないと思います。ご自分の心の精妙な感覚を感じる努力をなされば、そのうちに「魂が自分の現状に満足しているかどうか」ということに気づかれるようになるのではないかと思います。あくまでフィーリングの問題です。

459アリス: 色々ご教示有難うございました。
前段についてはよく分りました。後段については、その後1つの解を見つけました。自分のやりたいことは自分を知ることにあるのだな!そして真の自分になることだ、ということです。猫さんの結論となんだか近いものになりました。
そのためには、猫さんの仰るように、<頭で分析>つまり言葉で追っかけていてはダメだと分ってきました。猫さんとの2年以上ものご指導の賜物だと思います。有難うございました。更に掘り下げて、改めてご報告いたします。言葉を介してのこの対話もそろそろ終りに近づいたのかもしれません。

猫さんが取り上げたい話題は沢山あると思いますが、真の自己に帰ることについて、お聞きすべきことがあれば、どうかお教えください。

460 猫: 私も本来言葉にならないことを言葉にしすぎましたので、そろそろ終わりにする時期だと考えています。アリスさんが、言葉を超えた世界に本気で入って行かなければならないとお考えになるようになれば、私の言うべきことは既に終っています。

 真の自己に帰るということについて、アリスさんにとってはいまさら言う必要もないことだと思いますが、この対話を読む人のために一つふたつ付け加えておきます。
  第一に「真の自己に帰るというプロセスには終わりがない」ということを肝に銘じておいていただきたいと思います。真の自己に帰るということは、究極的には、人間が自分の生まれ故郷である神に帰るということです。けれども、人間と神の間には、無限の距離があります。人間が本来神であるということを知ることと、本来の神に帰るということの間には天と地以上の開きがあるのです。

 「宇宙の果てまで150億光年」と言うのには5秒もかかりません。けれども、実際に宇宙の果てまで旅しようとすれば、150億回生まれ変わってもまだ足りないでしょう。これが単なる知識と実際の経験の違いです。

 真の自己に帰る旅もそれと同じです。エゴはすぐに、もう目的地に着いた、と思いたがります。けれども、それはただ階段を一段登っただけに過ぎません。中途半端な階段の途中で満足しないようにしてください。その一つの階段を極め尽くすのに時間をかけるのはかまいません。いくら時間をかけても結構です。時間は無限にあるからです。けれども、真の目的地はいつもはるか彼方にある、ということを憶えていてください。

 第二に「自分の進化の度合いを決して他人と比較しない」ようにしてください。エゴはすぐに他人と自分を比較します。「あいつより俺の方が進んでいる」とか、「あいつにだけは負けたくない」とか「俺の道が一番正しい道だ」などと思いたがります。エゴは相対評価をしないと、自分の位置付けを判断できないのです。

 けれども、真の自己に帰ろうとする人は、相対評価を捨てて絶対評価をしてください。絶対評価とは、自分と神、自分と真理、自分と仏との関係においてのみ、自分の位置付けを判断するということです。

 世界には本来平和を説くべきはずの宗教が互いに反目しあう姿が多く見られます。それは、宗教が自分自身の位置付けを相対評価によって決めようとしているからです。それはエゴのわなにはまっているのです。相対評価に立てば、自己の宗教への信頼はそのまま他の宗教の否定につながります。けれども、絶対評価に立てば、自分の道への信頼はそのまま他の道への寛容と尊敬と協力になります。

 真の自己へ帰る道をほんの少し進めば、相対評価はしなくなるでしょう。なぜなら、比較すべき他人などというものはどこにも存在しないということがわかるからです。

 第三に、「真の自己に帰るということは、これから真の自己になるということではない」ということも憶えておいてください。これから真の自己になるということは不可能です。なぜなら、私たちはいま既に真の自己であるからです。

 それなら、なぜ真の自己へ帰る努力をしなければならないのでしょうか。これは、真の自己への道における最大のパラドックスでしょう。

 パラドックスですから、誤解する人もいます。「そのままでいい」と言われて、あらゆる努力を止めてしまう人もいます。けれども、もしそれでいいなら、釈迦もキリストも地上に降りてくる必要はなかったでしょう。エゴにはこの「そのまま」が理解できないのです。なぜなら「そのまま」とはエゴがなくなることだからです。

 対話150で、絵本を読みすぎて「自分は熊のプーさんだ」と思い込んだ男の子の話をしました。男の子がいくら「自分は熊のプーさんだ」と思い込んでも、実際に人間のこどもが熊になるわけではありません。男の子は男の子です。ただ、自分はプーさんだと思っている間は、人間の男の子として振舞うことはできません。

 私たちも同じです。私たちがいくら自分は物質の肉体だと思い込んでも、私たちが物質になるわけではありません。ただ、自分は物質だと思い込んでいるあいだは、霊としての本来のあり方で振舞うことはできません。

この「自分はプーさんだ」と思い込んでいる意識がエゴです。エゴの力でエゴをなくすことはできない、というところにパラドックスの生じる原因があります。エゴをなくそう、なくそう、とエゴが力んでいる間は、エゴはなくなりません。それが、あるとき、ふっと力を抜いたときに、突然エゴ以上の力が働くのです。

実際にはエゴはなくなりませんが、このエゴ以上の力、魂の力、にエゴが支配権を譲ったときに、「自分はプーさんだ」という思いが消えて「人間の男の子」が戻ってきます。

 私たちは、これから真の自己になるのではありません。真の自己とはどんなものであるかを思い出し、自分がそれであることを思い出すのです。

461アリス: 色々とアドバイス有難うございました。2年以上にわたって、お話いただき、自己というテーマで、私自身も自分に対峙するという得がたい体験をさせていただきました。

対話をこれ以上続けるには、私自身更に深め必要があると思います。この対話を一先ず終えることにしたいのですが、猫さんに纏めのメッセージをお願いします。

462 猫: わたしのほうこそ、楽しい二年半を過ごさせていただきました。またしばらく時間をおいてから、双方がその後学んだこと、体験を深めたことなどを交換できると楽しいですね。

 最後に、この対話のはじめのほうで紹介した A Course in Miracles という本の終わりにある言葉をアリスさんにプレゼントします。

 「この本は始まりであって、終わりではない。しかし、この後にはいかなる教科書も用意されていない。その必要がないからである。なぜなら、これから先は神ご自身があなたを導かれるからである。」

 だれでも、あるところから先は、神自身によって、あるいは真理自身によって、直接導かれるようになります。本であれ、人であれ、自分の外にあるものに頼ることを、人はいつかは止めなければなりません。ひとりひとりの内面から来る導きに信頼することを覚えてください。

アリスさんの真の自己への帰郷の道が、平坦でスムーズで速やかなものであることを祈ります。アリスさんが波乱万丈の道を望まれるのであれば別ですけど。

462アリス:長い期間、本当に有難うございました。猫さんのお蔭で充実した2年半でした。
対話が再開される日の来ることを楽しみにしています。

 [   自 2001年3月26日    至 2003年9月15日  ]


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