アリスとチェシャ猫の対話(64)


244 猫: ここは一度通った道です。あわてずにゆっくりと進みましょう。

 独白の部分にコメントするのはルール違反かも知れませんが、ひとことだけ言わせてください。私は、一なる霊=神=ロゴスと考えていますが、アリスさんのお考えは違うのでしょうか。

 さて、「不如意解消」のためには、「不如意」がいかにして生まれるか、ということを知らなければなりません。

 アリスさんは、一なる霊が世界を創ったのであり、「自分」はそのようにしてつくられた「幻想のアリス」であると同時に、世界を創った「一なる霊」でもあると考えておられます。また、アリスさんは、チェシャー猫もブッシュ大統領もパーキンソン病の患者もすべてが幻想であり、そしてすべてが「自分である」と認識しておられます。このことを一言で「世界は自分である」と言うことにしましょう。アリスさんは「一なる霊」であり、同時に、それが生み出した「幻想の世界」のすべてです。

 一なる霊は、その意志によって世界を生み出します。では生み出された世界はどこにあるのでしょうか。それは、一なる霊が存在するというような意味では、どこにも存在しません。それは、ただ一なる霊の心の中に存在するだけです。このことを指して「世界は幻想である」といいます。幻想のアリスさんも、幻想の猫も、すべて一なる霊の心の中にあります。

 一なる霊が世界を創造するというのは、一なる霊が自分の心の中を見ることです。アリスさんは幻想のアリスであると同時に、一なる霊でもあります。したがって、アリスさんにとって存在する世界は、アリスさんが自分の心の中を見ているということです。

 ここまで、よろしいでしょうか。

 

245アリス: <私は、一なる霊=神=ロゴスと考えていますが、アリスさんのお考えは違うのでしょうか。>私はその問題が分からないから、独白にそう書いたつもりです。

猫さんの242の<神が「光あれ」と言ったら光が存在するようになった>という「意志」が存在するのか分かりませんし、また、意志は私の中ではパトスであってロゴスには結びつきにくいのです。いずれにしろ、この問題を今は跨ぎたいので、毒矢の譬えを書いたのですが・・・

猫さんの<アリスさんにとって存在する世界は、アリスさんが自分の心の中を見ているということです。>これには異存ありません。

 

246 猫: アリスさんが何をわかったと思い、何をわからないと思っておられるかを知っておくことは、話を進めてゆく上にとても大切だと思います。また<意志は私の中ではパトスであってロゴスには結びつきにくいのです>などといわれると、私もはっとして「なるほどそうか」と思います。感情の動きも思考のプロセスも人それぞれですから。

 さて、「不如意解消」の方法論のほうへ進んでいきます。

 アリスさんは「アリスさんにとって存在する世界はアリスさんが見ている自分の心です」ということに同意されました。ということは解消すべき不如意もすべて自分の心の中にあるということです。一見、自分とは無関係に、独立に、客観的に、存在していると思われる難病の人も、どこかの国の戦争好きの指導者も、地震や噴火の災害も、すべてアリスさんの心の中にあります。

 したがって、問題はアリスさんの心の中をいかにして静めるか、ということになります。ここまで、よろしいでしょうか。

 

247アリス: OKです。話が最初から拡散しないように、出来るだけ身近な例を取ることにして、私がヘルペスのような病気で、全身の「痛み」に苦しんでおり、何とかこの不如意解消を図ろうとしているというケースを取り上げて見てくださいませんか?

 

248 猫: 身近な例を取り上げることに異存はありません。私が外国の政治家や自然災害の例を取り上げるのは、ともすれば、自分の肉体が意識の影響を受けるのはわかるが、他人や自然がこちらの意識で変えられるとは思えない、と考える人がいるからです。アリスさんはそのレベルは通り過ぎておられるようなので、何を例にとっても問題はないと思います。

 では、一つの例でまずお話します。

 アリスさんが、自分がヘルペスにかかったという夢を見ていると考えてください。夢の中のアリスさんがヘルペスから解放されるためには、何をしたらいいでしょうか。

 この問題にアプローチするには二つの立場があることを思い起こしてください。夢の中のアリスさんと、夢を見ているアリスさんです。

夢の中のアリスさんの立場では、どうしたらいいでしょうか。特に、夢の中でアリスさんの前に変な猫が現れて、これは夢ですよ、と言っているとしたら。

 また、夢を見ているアリスさんの立場で考えたらどうでしょうか。健康なアリスの夢を見るようにするか、夢から覚めるかのどちらかですね。

 それぞれのケースを考えて見てください。そして、今のアリスさんはどうしたいと思われるかをおっしゃってください。

 

249 アリス: 私は意識して「痛み」という紛れも無い事実と思えるものを取り上げたつもりですが、その「痛み」を一旦「夢を見ている」と考えるのですね。それなら、いずれの場合も悪夢から一刻も早く覚めたいですね。

 

250 猫: アリスさんは私が「痛みのある現実」を「夢」に譬えたことがご不満のようですね。私は痛みが「私たちにとって」確固たる現実であることを否定しません。その確固たる現実が「夢」であるという立場があることをアリスさんに理解していただきたいと思っているのです。

 アリスさんは、夢を見ているとき、その夢の中の出来事を確固たる現実であると思っておられなかったでしょうか。私たちは夢を意識するのは覚めた後だけですから、そのとき思い返せば、夢の中の出来事というのは何かあやふやな茫漠とした世界のように思えるかもしれません。けれども、夢の中では、夢の中を確固たる現実であると思っていたということも思い出せるのではないでしょうか。そして、夢の中で痛みを感じたり、悲しみを感じたり、怒りを感じたりしていたことも、思い出せるのではないでしょうか。

 先ほど私は、痛みが「私たちにとって」確固たる現実であることを否定しません、といいましたが、この「私たちにとって」という言葉に括弧をつけたのは、それが「夢の中の私たち」を示しているからなのです。夢である痛みが現実であるのは、それを感じている「私」も夢だからです。

 この点は如何でしょうか。ここはとても重要なところです。ゆっくり確認しながら進みましょう。

 

251 アリス: 「痛み」が夢であると仮定した上で、<夢である痛みが現実であるのは、それを感じている「私」も夢だからです。>と仰れば、それはそうだと思います。

 

(独白:夢の話は「不思議の国」や「鏡の国」ではお馴染みで、猫さんとの対話で繰り返されているのですが、例えば「鏡の国」ではアリスは赤の王様の夢とされます。王様が夢から覚めればアリスも消えてなくなると。夢の話は私は論証不能の循環論ではないかと思っています。どうして「私」という夢が発生するかについても、今の私にはそのプロセスが解明できるかどうか分りません。何とか解明したいと思いますが・・・。だから毒矢の譬えを持ち出しているのです。それが夢であるのなら、覚める方法を知りたい。たとえ夢だとしても何とか痛みから脱出したい。ゲームで言えば「攻略本を見てもいいから何とか勝ちたい」。猫さんがこのゲーム攻略本がないと思っておられるのならそのことを明らかにして欲しい。ゲームから降りる以外にないと思っておられるなら(それが正解かも)そのことを言って欲しい。「夢」であるということが総てだというお答えでも驚かない。痛みが消えればの話ですが・・・)

 

252 猫: アリスさんは、「痛みが夢であると仮定すれば」と仰いました。このことは、アリスさんが「痛みが夢である」ということを信じていない、ということを表わしていますね。そこがいちばんの問題なのです。

2500年前、釈迦は、生老病死の四苦から人間を解放したいと思いつめて、栄華を約束された王宮を捨て、修業に出ました。今のアリスさんの願いと同じですね。

そしてその結果、釈迦が得たものが、色即是空の真理だったのです。現象世界は、実際には存在しない架空の世界、幻である、というのが釈迦の得た真理でした。色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是。私は、この言葉は、端的に、私たちが経験している現象世界が仮想現実である、ということを意味していると考えています。世界は幻であり、その中で私たちが生きているということも幻であり、そこで感じる喜びも悲しみも、痛みも苦しみも、すべてが幻である、というのが釈迦が教えたことだったのです。

では、幻でない、本当に存在するものは何でしょうか。それが仏性です。私の言葉でいえば「霊」です。それは、生まれることも死ぬこともない、傷つけることも破壊することもできない、永遠の存在です。仏性(霊)には身体がありません。したがって身体が痛むということもありません。ただ、仏性(霊)は「私は身体が痛い」という夢を見ることができる、ということです。

アリスさんは人間ではありません。「人間である」という夢を見ている仏性(霊)です。アリスさん自身が永遠の存在です。まず、このことを心の奥に受け入れることができるかどうかをじっくりと考えて見てください。

夢をコントロールすることができるのは、夢を見ている存在であって、夢の中の存在ではありません。アリスさんがまず「自分は人間ではない」ということを本当に受け入れることができるまでは、痛みをコントロールする力を得ることはできないでしょう。

253 アリス:分かりました。私は昨晩中、般若心経を反芻しておりました。

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。というのがお答えかなと思っておりましたが、いずれにしろ同じでした。

空即是色ですから、世界を幻または夢とし、仏性(霊)と対比して捉えることがいいのか、空=仏性(霊)と考えるかついては、議論があると思いますが、その議論は改めてすることにして、何度も繰り返しておりますように、今は「痛み」をとることに的を絞っていますので、

<アリスさんがまず「自分は人間ではない」ということを本当に受け入れることができるまでは、痛みをコントロールする力を得ることはできないでしょう。>というお言葉に対して、では、どうすれば、このことを本当に受け入れるようになるのでしょうか?とお聞きしたいのですが、いかがでしょうか?

 

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