アリスとチェシャ猫との対話(41)

128 猫:
 「なぜわかるのか」というのは、これまでの質問の中で最高の難問ですね。

アリスさんは、同じ疑問をニュートンについてもお感じになるのでしょうか。「ニュートンはなぜ万有引力があるとわかったのだろうか」と。リンゴの落ちるのを見た人は、ニュートン以前にも何万人もいたはずです。それなのに、もしアリスさんの質問がこれと同じ主旨の質問であるなら、その答えは私にもわかりません。

けれども、ニュートンと私の場合にはすこしちがいがあります。ニュートンがなぜ万有引力を思いついたかはわかりませんが、その後ニュートンは万有引力の法則を数学的に表現し、多数の天体の観測結果と照合することで、その法則が正しいことを証明しました。アインシュタインも同じです。アインシュタインがなぜ(どのようにして)相対性理論を思いついたかはわかりませんが、アインシュタインがたてた相対性理論の方程式は、その後、多くの研究者によって観測結果とあうことが確かめられました。アインシュタイン自身、相対性理論の生い立ちについて次のようなことを語っています。「相対性理論は数学的計算の結果として出てきた理論ではない。理論の基本的アイデアは直観で得られたのであって、計算はそれが正しいかどうかを確かめる手段に過ぎない」と。

 アインシュタインが言うように、新しいアイデアのようなものはみんな直観によって生まれるのであって、何か論理的な必然性のあるプロセスの結果として生まれるのではないと私は考えています。ただ、ニュートンやアインシュタインの場合には、そのアイデアが正しいかどうかを確かめる手段が存在し、後に実際に自分自身や他の人の手で正しいことが確かめられました。もしアリスさんの質問がこの点を問題にしているのなら、「なぜわかるのか」ではなく、「なぜ猫の考えが正しいと言えるのか」という質問をなさるべきです。そして、その質問に対しては、私は「私の考えが正しいかどうかは確かめられていないし、確かめる方法もない」とお答えします。

 こう言うとすぐに「なぜ確かめる方法がないのか」という質問があると思いますので、そのことについてひとつのたとえをお話ししておきます。私の「理論」によれば、私たち人間は「夢を見ている」霊的存在です。アリスさんの夢の中の登場人物が「これは夢だよ」と言っているのです。それが正しいかどうかを確かめるには、夢から覚めるほかに方法はありません。夢を見つづけているままで、自分の見ている現実が夢であることを証明する方法はないと思いますが、いかがでしょうか。

 

129アリス:私の疑問は、「ニュートンはなぜ万有引力があるとわかったのだろうか」ということです。これが分からないと核心に触れないのではないでしょうか?

29アリスに述べましたように、門から校舎までの長い道の両側に真っ赤な彼岸花が咲いているのを見て、この赤い花ははたして存在しているのか、私の意識の中だけにあるのかわからなくなった経験があります。私の根源的疑問です。その頃、数学のレポートで、数学的推論、例えば、三段論法のA=B,B=C 故にA=Cと進むときに理性以外のものがあるのではと論じ、思いもかけない点をいただきましたが、分るとということの本質が知りたいのです。しかし、これは「この「なぜ」は「神を忘れる」というゲームへの入口の鍵でもあり、ひょっとしたら出口の鍵のように思えるのでのですが、いかがでしょうか?
あるいは「なぜ」という鍵を使っては脱出できないゲームなのでしょうか?」と質問しているように、どこかで疑問を捨てなければならないかも知れません。
猫さんの夢から覚める方法をお聞きすると、このあたりのことが分るかもしれません。

130 猫: アリスさんの質問の主旨がよくわかりました。この問題はかなり長くなりそうな予感がします。ゆっくり考えていきましょう。

 「ニュートンはなぜ万有引力があるとわかったのだろうか」という質問を中心に置きながら、その周辺をゆっくり探索することにします。

 はじめに、もう少し焦点を絞りたいと思いますので、逆に質問をさせていただきます。

「ニュートンはなぜ万有引力があるとわかったのだろうか」という質問は、「万有引力というアイデアは正しい」ということを言外に含んでいるような気がしますが、アリスさんのお考えはいかがでしょうか。つまりこの質問は「ニュートンはどのようにして物事の真実を見抜いたのだろうか」という質問なのでしょうか。それとも、「正否は別にして、万有引力というアイデアをどうして思いついたのだろうか」という質問なのでしょうか。

 

131アリス: 前者の方です。猫さんの分けられた、仮説的アイデア、その正否の検証と2段階に分解することも可能かもしれませんが、おそらくニュートンは瞬時に見抜いたのではないかと思います。

 

132 猫: アリスさんの関心の焦点が次第にはっきりしてきました。これに対する私の答えは、既に対話46で部分的には提示しています。ここでもう一度、その問題を取り上げたいと思います。

 「ニュートンは、どのようにして真実を見抜いたか」という質問に対して、「ニュートンは真実を見抜いてはいない」というのが、私の答えです。これは、万有引力の法則が間違っていると主張しているのではありません。「真実とは何か」ということに関係しているのです。

 「あらゆる物質が互いの間に一定の法則に基づいた引力を働かせている」というのが万有引力の法則ですが、私はこの法則を正確に表現すれば、「あらゆる物質は互いの間に一定の法則に基づいた引力が働いているかのように行動する」と言うべきであると考えています。この二つの表現の間の微妙な違いを感じ取っていただけるでしょうか。万有引力の法則によって惑星の動きを計算すれば、それは観測事実と正確に一致します。万有引力の法則によってロケットの軌道を計算すれば、ロケットを月にでも火星にでも送り届けることができます。多くの人はこのことをもって、万有引力が実在する証拠であると考えます。けれども私は、これらは「万有引力が存在するかのように物質が行動する」ということの証拠であると考えます。

どこに違いがあるかというと、私は「万有引力が実在しなくても、すべての物質が万有引力が存在するかのように行動することは可能である」と考えているのに対し、世間の人々は「そのようなことは不可能である」と考えているということにあります。別の言い方をすれば、私は「すべての物質が万有引力の法則にしたがう」ということと、「万有引力が存在する」ということは同じではない、と考えているのです。

その一つの例として、対話46にパソコンの画面に描かれた太陽系の例をお話ししました。パソコンの画面に赤い小円と緑の小円を描き、赤い円を太陽、緑の円を地球と考えます。パソコンにソフトを入れて、地球が太陽の周りを公転運動する様子を計算して表示するようにします。いま、パソコンのことを何も知らないETがやってきて、このミニ太陽系をしばらく観察した後に、「この二つの小さな星の間には、距離の二乗に逆比例する引力が働いている」と結論したら、その結論は間違いか、というのが対話46でお話した事例です。

この結論が、二つの小さな星の運動の状況を記述する法則と考えるのであれば、この結論は正しいと言ってかまいません。けれども「二つの小さな星の間に本当はどんな関係があるのか」という「真実」を問う問いかけに対しては、この結論は正しくありません。二つの小さな星は、ソフトウェアによって「引力の法則にしたがっているかのように計算されている」に過ぎません。

パソコンの画面をいくら観測しても、パソコンの後ろに隠されたソフトウェアの存在を推測する結論は出てきません。同様に、物質宇宙をどのように観測しても、物質宇宙が巨大なコンピュータのディスプレイであるなどという結論は出てこないでしょう。ニュートンは、物質世界の存在がしたがっている法則を見出しました。けれども、そのことは物質世界が「本当は何なのか」という真実を開示するものではありません。そのような意味で、私は「ニュートンは真実を見抜いたのではない」と言うのです。

では、ニュートンがしたことは一体何だったのでしょうか。それは「観測データを一つの法則性のもとにまとめる」という、科学技術の世界で日常的に行なわれている作業の非常に顕著な輝かしい事例である、ということです。ご興味があれば、このような作業に際して人間の知性がどのような推論メカニズムを用いているかということについてもお話できると思います。アリスさんの言われる「ニュートンは瞬時に見抜いたのではないかと思います」というのが、「ニュートンが観測データを眺めて『このデータは逆二乗引力の存在を示しているにちがいない』と考えたであろう」ということであれば、この推論メカニズムのほうに話を持っていったほうがよいと思います。けれどもここでは、もう少し「真実」の追求とは何か、ということについて話を進めたいと思います。それが、アリスさんの「なぜ」という質問の本性を明らかにすると思うからです。

「パソコン上の太陽系」というモデルを使って話をすれば、ニュートンはこのETのように、観測結果から「万有引力の法則」を導き出しました。この法則はミニ太陽系の運動を記述あるいは予測する方法としては完璧です。けれども、これはミニ太陽系の「真実」を示してはいません。

私はいま、物質宇宙がこのミニ太陽系と同じように、超巨大コンピュータのディスプレイ画面ではないかと、いう話をしています。なぜ、私はこのようなアイデアを思いつくのでしょうか。そして、私のほうがニュートンより「真実」に近いのでしょうか。

私たちが「真実であると思うこと」と「真実」とは同じではありません。ニュートンは物質世界の観測データに基づいて万有引力の法則を導き出しました。そしてそれが真実であると思ったでしょう。それ以上の「真実」に近づくことはありませんでした。それは、ニュートンが物質世界のことだけを考えていたからです。

私は、物質世界の観測データだけでなく、神秘体験を含む自分の精神的内面的経験や直観もデータとして取り込んで、ある一つの世界像を描きそれを真実だと思っています。けれども、それは私よりももっと深く大きな世界で生きている高次の存在から見れば、やっぱりパソコン上の世界を実在だと思い込んでいる程度のものではないでしょうか。

最初の「ニュートンはどのようにして真実を見抜いたか」という質問に戻れば、ニュートンも私も、それぞれが経験の中に取り込むことができるようになった世界について、「真実と思うもの」を見出しただけに過ぎません。別の見方をすれば、人間は、成長するにつれて意識を拡大し、拡大した程度に応じて新しい「真実」を受け入れていく、ということです。

この連鎖はどこまで行っても終ることがありません。神でない私たちは、どこまでいっても自らの経験した世界の中での「真実と思うもの」を見出していくのであって、その真実を十分に経験したときには、更により高次の真実に向かって旅を始めます。

アリスさんの「なぜ」は、そのような意味で、決して終ることのない質問でありつづけることでしょう。

 

13 アリス:丁寧にご説明くださりありがとうございました。理解できました。そして、このことを猫さんがいつ気づかれたかと言うと、この対話に一番最初に戻るわけですね。

1アリスの会話からこの132猫の会話までを何度かループさせた後に次に移るべきですが、取敢えず、今心に浮かぶことを申し上げますと、「物質世界の観測データだけでなく、神秘体験を含む自分の精神的内面的経験や直観もデータ」も映し出している巨大スクリーンは何か?また見ている者は何か?ということに思いが行きます。

ニュートンの推論に関し「このような作業に際して人間の知性がどのような推論メカニズムを用いているか」ということについても是非お話を伺いたいものです。

対話40へ   対話42へ  トップへ  Alice in Tokyo へ