108 猫: ブラックホールに近づく最初のステップとして、「神が純粋の意識である」とはどういうことかということを、まずお話しします。

 『意識』については以前にも話題にしましたが、そのときに、私の「意識という言葉」の使い方には多少癖があるということも明らかになりましたので(対話94)、まず意識という言葉をどういう意味で使うか、ということを定義しておきます。ここでは、意識という言葉を、私たちがふつうに「意識する」とか「意識がある」というときの意味で使います。それは知覚、感情、思考、欲望、意志等のすべてを含む精神活動であり、そして「自分の精神活動に気がついている」ということであり、「そのような精神活動の主体である自分というものの自覚を持っている」ということです。

 ところで私たちは、ふつう、意識というものは脳の産物であると考えており、そのため脳のないものには意識がない、と考えています。したがって、意識をもっているのはある程度高等な動物だけであり、下等動物や植物や無生物には意識はないはずだと考えます。意識とは、「何か意識を持つもの」がいてはじめて存在するものだと考えています。

これに対し、「純粋の意識」というのは、「意識のみで存在する意識」という意味です。 神が「純粋の意識」であるとは、いわば、意識だけが宙に存在する、「何者によっても持たれていない意識」であるということです。神が意識をもっているのではありません。意識それ自体が神なのです。

実はすべての意識は純粋の意識です。私たち人間も、実は純粋の意識です。肉体が意識を持っているのではありません。意識が肉体を持つのです。けれども、人間についてはまた別に取り上げることにしましょう。とりあえずは、神の話を続けます。

神は純粋の意識ですから、神には形も大きさも重さもありません。神が存在するのに、いかなる空間も時間も必要としません。時間も空間もないところで、純粋の意識だけが存在している、それが神です。

次に、「神が存在の根源である」ということを説明します。

それは「神以外に存在するものは何もない」という意味です。時間も空間もないところに、ただ純粋の意識だけが存在している、それが神です。それ以外には何も存在していません。それが、聖書的な表現をすれば、「神が世界を創造する以前」の状態です。そして、実はその状態はいまでも変わっていません。神以外に存在するものは何もないのです。

私たちが存在すると思う「神以外のもの」は、すべて神から生まれました。たとえ悪魔であっても、もしそれが存在するなら、それは神から生まれたものです。神以外に存在するものはないのですから、神が何かを創ろうとしても、神自身以外の材料はありません。神から生まれたものというのはすべて、「純粋意識」である神の「思考」です。神の意識の中にある「想念」です。神の意識の中の「精神活動」です。それが神の創造です。

したがって、それらはすべて神の意識の中に存在します。神が何かを創造したとしても、神の外に何かを創るわけではありません。神以外には何も存在しないのですから、神の外というのはないのです。私たち人間が心の中にもつ想念は、すべて私たちの心の内面に存在します。それと同じように、神の想念あるいはもっとダイナミックな神の精神活動である被造物は、すべて神の内面に存在しています。すべてが神から生まれ、すべてが神の中に存在している、これが「神が存在の根源である」ということの意味です。

アリス 109:「神が純粋の意識である」「純粋の意識は意識のみで存在する意識である」「神が存在の根源である」「すべてが神から生まれ、すべてが神の中に存在している」ということですね。どうぞ、先を続けてください。


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アリスとチェシャ猫との対話(33)