アリスとチェシャ猫との対話(31)

104猫: 霊的次元から見た物質世界というのは、ちょうど私たちが文学作品を読んだり、映画を見たりするのと同じです。

 「人は、苦しみもあり、甘美でもある夢を出来るだけ長く見つづけたいと思うのは何故なのでしょうか」とのおたずねですが、私はその言葉をそのままアリスさんへ返しましょう。「人間は、苦しみに満ちた映画や甘美なロマンスの物語を次から次へと作りつづけています。それは何故でしょうか」。

 昨年のカンヌ映画祭で、イタリアのモレッティ監督の「息子の部屋」という映画がグランプリをとったというニュースがありました。この映画は、互いに愛し合い固く結ばれていた家族の絆が、息子の突然の事故死をきっかけに崩壊して行くという苦悩の日々をテーマにしたものです。何故こんな、話を聞くだけで苦しくなるような映画を人は作りたがり、それに賞まで与えるのでしょうか。

 実は、霊的次元から見れば、私たちの世界そのもの、私たちの人生そのものが映画なのです。モレッティ監督は、自分が作った映画の中に自分で出演し、息子を失って歎く父親の役を演じました。私たちも、自分でつくった映画に自分で出演しているのです。

 「肉体人間の物語が面白く出来ているのは何故でしょうか」といわれますが、それは私たち自身が「自分で面白いと思うもの」を作っているからなのです。

 人はホラー映画と呼ばれるような恐ろしい物語を作り、しかもそれをお金を払って見に行きます。それは何故でしょうか。一言で言えば面白いからです。面白いと思う人が見に行くのであり、見に行く人がたくさんいるので、そういう映画が作られるのです。

 面白いという言葉にもいろいろの意味があります。単純に娯楽的な意味で面白いものから、思想的、社会的、人間観察的に面白いものまで、いろいろです。要するに、作る価値があると作者が思うものを作っているのです。

 霊的世界も同じです。物質世界のドラマは、すべて人間が自分で作っているものです。神とかそれに類する何者かが勝手に作って、人間をその中に勝手に引きずり込んでいるわけではありません。人間は霊的次元の存在であり、自分で地上のドラマの筋書きを書き、そして、モレッティ監督のようにそれを自分で演じるために、肉体の衣装をまとって地上の舞台に上がるのです。地上で出会う人たちは、何かの偶然で出会ったように見えますが、すべてそういうドラマの共演者なのです。

 私たちは地上の人生の中の個々の些細な出来事の一つ一つに気を取られていますが、もうひとつ別の見方で、このようなドラマを演じることで、私たちはここに何を表現しようとしているのだろうかと、作家の目で眺めてみることが必要だと思います。

105 アリス: 自作自演するのはなぜか?とその理由を知りたがるのはおかしいかもしれません。作家は自ずと作家となり、演者も自ずと演者となるのですから。
しかし、私には、何を表現しようとするかの問題の前に、なぜ、表現したいと思うのかを知りたいと思うのです。
これは、私が何故、絵を描くのかの問題にも通じますが、(実はこれが分からない)猫さんのお考えをお聞かせください。

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