102 猫: 階層の重みについて補足する前に、人間が霊的存在であるというお話を続けたいと思います。

存在の階層を二つだけ考えてください。下の階層は物質の次元です。そこには物質宇宙が存在し、その中に地球という惑星が存在し、その上に60億の人間が住み、そしてその人間の一人として、現在の私たちが存在しています。

 上の階層は「霊的次元」と呼んでおきます。実は「霊的」という言葉は既製品なのでここでいう意味以外にもたくさん使われており、それなりの意味や語感をもっています。霊といえばすぐに幽霊や死を連想する人も多いでしょう。そういう理由であまり使いたくはない言葉ですが、ほかに適当な言葉がないのでやむを得ません。むしろここでは、新しく言葉を定義しながら使っていると考えてください。

 現在のところ「霊的次元」というのは、物質次元より一つ上の階層であるということしか定義されていません。「霊的次元が物質次元の一つ上の階層である」というのは、物質次元というものが、霊的次元の存在が自分の意識の中に作り出した想念であるということです。対話50でお話した「体験劇場モデル」という心のモデルを思い出してください。ここに描かれている心は、肉体の中にある心ではありません。霊的次元に存在する心です。その心の中に「外界映写スクリーン」というものがあり、そこに「物質世界」が描き出されます。これが、霊的次元の存在が自分の意識の中に作り出す物質次元の世界なのです。

 私たち人間は、ふつう、肉体の中に心があるように感じています。けれども本当は、心の中に肉体があるのです。霊的次元の存在から見れば、物質世界も肉体も存在していません。それは、わたしたちが「不思議の国のアリス」を実在しない架空の人物と考えるのと同じです。霊的次元から見れば、私たちは「地球世界のアリス」や「地球世界の猫」という架空の人物なのです。

 そして、「人間が実は霊的存在であり、物質世界は『架空の世界』である」ということに気づくことが、現在の人間にとって非常に重要である、と私は考えています。

階層の重みというのは次元の違いといってよいと思いますが、それもこのように3次元と4次元の違いというよりは、むしろ「現実」と「架空の世界」の違いなのです。

私は例としてよくパソコンゲームの中のキャラクターと生身の人間を使います。現在の私たちは「肉体が人間である」と思っていますが、これは、パソコンゲームに夢中になった少年が、自分はそのゲームの主人公の○○○であると思い込んで、現実世界のことにまったく注意を向けなくなっているような状態です。

 私はパソコンゲームをしないので適当な主人公の名前が思い浮かばないのですが、アリスさんは『不思議の国のアリス』の大ファンですね。ハンドルネームもアリスと名乗っておられますが、いくらアリスが好きでも、自分が不思議の国のアリスと同一人間だとは思っておられないでしょう。けれども人間はいま、まさに、アリスの物語を読んでいる少女が「自分はアリスだ」と思い込んでいるようなものなのです。私たちは、肉体人間の物語を読んでいる霊的存在なのです。肉体人間の物語があまりにも面白いので、自分が霊的存在であることを忘れたのです。

 以前にお話したかどうか忘れましたが、私は学生時代のある夏休みに、帰省を三日間遅らせて、朝から晩までぶっ通しで『カラマーゾフの兄弟』を読みました。食事と睡眠の時間以外はずっと読み続けという状態でした。現実世界のことはどこか遠くの夢のようで、カラマーゾフの世界の方が現実であるような気分でした。それと同じように、いま人間は、自分にとっての本当の現実である霊的次元のことは夢の世界のように考え、夢の世界である物質世界を本当の現実であると思い込んでいます。

 アリスさんは、夢を見ているときに、これは夢だと気づいていたことはないでしょうか。私は何回かそういう夢を見たことがあります。これは夢だと思いながら夢を見ているのです。『ソフィーの世界』のソフィーとアルベルトは、自分たちが、アルベルト少佐が娘のヒルデに書き送る物語の中の存在であることに気づきます。夢に気づいているというのは、ちょうどそれと同じようなものです。いま、私は自分が霊的存在であることに気づいていて、なおそのまま肉体人間を続けています。それは、夢であることに気づきながら見ている夢です。

 

103 アリス:奇妙な夢を、しかも、夢と知りつつ、見続ける人間とは不思議な存在ですね。

「私たちは、肉体人間の物語を読んでいる霊的存在なのです。肉体人間の物語があまりにも面白いので、自分が霊的存在であることを忘れたのです。」とありますが、面白く出来ているのは何故なのでしょうか?「不思議の国のアリス」の物語も結局は夢なのですが、アリスのお姉さんは、アリスが将来、楽しかった夏の日 the happy summer daysとして思い出すだろうと思い描くところで、物語を閉じております。

「鏡の国」でも同様です。夢と現実のどちらが真実なのか?荘周胡蝶が夢のような形で終わります。人は、苦しみもあり、甘美でもある夢を出来るだけ長く見続けたいと思うのは何故なのでしょうか?霊的次元からこのことを説明できるのでしょうか?



対話29へ 
  対話31へ  トップへ  Alice in Tokyo へ

アリスとチェシャ猫との対話(30)