アリスとチェシャ猫との対話(29)

100 猫: 階層といっても、自分より上の階層のことはそれほどよくわかるわけではありません。したがって、「本当の神」とのあいだにいくつの階層があるかというようなことは、考えてもほとんど意味のないことだと思います。

 階層を考えるときに重要なことは、まず「階層」という言葉のもつ重みをしっかりと理解すること、第二に、現在の自分より一つ上の階層と一つ下の階層についてしっかりと考ることです。それより遠い階層について考えても、ほとんど意味はありません。

 「階層」の重みというのは、階層の違いということが何を意味しているかということです。存在の階層というのは、人間社会の中の上流階級と下層階級の差のようなものではありません。現在の私たち、つまり物質的肉体の人間から見れば、一つ下の階層というのは、パソコンの中につくられたゲームのキャラクターのことなのです。逆に言えば、私たちが一つ上の階層である霊的存在について考えるというのは、パソコンのゲームの主人公が、私たち人間のことを考えるというのと同じくらいのレベルの違いがあるということなのです。

 以前に、私はベルの定理のことを、テレビゲームの主人公が、自分たちの世界を成り立たせているゲームソフトの存在に気がついたようなものだと言ったことがあるはずです。あれは、このことを言っているのです。私は、量子物理学が、仮想世界である物質世界と、私たちにとっての実在の世界である霊的世界との接点であると考えています。量子と私たちの関係というのは、ゲームマシンの画面を描き出している電子ビームか液晶の膜とゲームの登場人物との関係のようなものなのです。

 アリスさんは、「ソフィーの世界」という「童話」をお読みになったでしょうか。ソフィーという15歳の誕生日を目前に控えた少女のところに、アルベルトという哲学者のおじさんから手紙が来て、ギリシャ時代から現代にいたる数多くの哲学者の思想を紹介して行くという筋書きですが、この物語には、もう一つの仕掛けが仕組まれています。

 その仕掛けというのはこうです。ちょうど物語りの真中あたりにきたときに、ヒルデという少女とその父親のアルベルト少佐という2人が登場し、哲学者のアルベルトおじさんとソフィーの物語は、このアルベルト少佐が娘のヒルデの誕生祝に書き送る小説の内容ということになります。そして、終わりの方になると、ソフィーもアルベルトおじさんも少佐とヒルデの存在に気づき、ヒルデもソフィーが実在するような気分になってきて、物語を読むヒルデと、物語の中のソフィーとが交錯しあう、複雑な関係になって行きます。

 私は、この本の著者であるヨースタイン・ゴルデルという人は、人間という存在が「神の思考」であるというイギリスのバークリーなどに代表される一派の思想を下敷きにしていると考えています。この本に関する巷の書評の中に、この仕掛けのことに触れたものがほとんどなかったのが、私には奇異なことに感じられます。「ソフィーの世界」の著者が、自分の個人的思想として、この「人間存在が神の想念である」という考えをどのように評価しているのかわかりませんが、私は、人間だけでなく、存在するものはすべて神の思考あるいは神の思考の思考・・・であって、真実に存在するものは、最初の思考をはじめた存在、すなわち「本当の神」以外には何もない、と考えています。

 ところで、このような「存在の階層」があるとしても、単にそれだけなら、人間にとってたいして意味はありません。人間が、神から数えて何階層目の存在であろうが、人間が物質人間であるということにとどまっている限り、何らこれまでと違いはありません。重要なのは、人間が本当は物質の階層に属するものではなく、その上の霊的存在の階層に属するものである、ということなのです。

 このことをこれまでお話したかどうか、どのようにお話したか、わからなくなってしまいましたが、これからそのことについてお話して行きたいと思います。

 

101 アリス:「階層」の重みというものが、今ひとつ、よく理解できません。2次元的巨大迷路で迷っている人も3次元の上から見れば簡単に救い出されるように、次元の差に近いのでしょうか?下の階層のことは良く分かるというお話は実感としてわかります。

「ソフィーの世界」数十ページ読んだ後は、拾い読みしていましたが、猫さんのお話だと順を追って読んだほうが面白そうですね。



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