98 猫: 97の最後にすごい式を書いてくださいました。この式を種に、また新しい対話が生み出されそうな感じですが、しばらくそれは置いておいて、意識の話を続けましょう。

 ただし一つだけ、式について付け加えておきます。アリスさんは次のように式を書かれました。

    ΣN=0 または ∞ = 神 = 私

 私なら、こう書きます。

    ΣN=0 = ∞ = 神 = 私

 では意識の話に戻ります。

 まず意識は何によって生み出されるかということからはじめますが、私は、意識は何物によっても生み出されない、最も根源的な存在であると考えています。それは、聖書的な言葉でいえば、アルファでありオメガであり、仏教的な言葉でいえば不生不滅、不増不減の不二の法門(ダルマ)ということでしょうか。たしか維摩経にそんな言い方があったように思います。

真に存在するものは意識だけであるというのが私の考えです。意識を説明する言葉がない、というもう一つの理由がここにあります。最も根源的なものは説明するということができません。なぜなら、説明や定義は、一つの概念を他の概念によって組み立てるものだからです。最も根源的なものは、それを組み立てる材料がないのです。

 ただし、私は存在の階層のようなものを考えています。

真に根源的な存在である意識というのは、神のことです。私たちは、神についてさまざまな概念や説明や理論を作りますが、人間が神についてなにかまともなことがいえるとすれば、「ただ一つの真に存在する意識」という程度のことにとどめておくのが適当ではないかと考えています。

中世の著名な神秘思想家エックハルトがこんな言葉を残しています。

「神は存在であると言うなら、それは真ではない。神はむしろ一つの超存在的存在であり超存在的無である。その故に聖アウグスチヌス(ディオニシウス・アレオパギタ?)は、神について人が言い得る最もすばらしいことは、内なる豊かさの智慧からして沈黙し得るということであると言うのである。故に沈黙せよ。神について口を開くこと勿れ。なぜならば、神について口を開くことによって、お前は虚言し罪を犯すことになるからである。」

(上田閑照、エックハルト、講談社学術文庫)

私は神を「最も根源的な存在」といいますが、それは人間にはそれ以上の言葉が無いからです。エックハルトの言うように、神は存在をも超えています。神は存在であり、同時に非存在でもあるのです。「存在」が神を規定するのではなく、神が「存在」を規定するのです。

すべて存在するものは、神の意識の中にある、神の想念です。こういえば、なぜ神が存在も非存在も超えているかということを、感じ取っていただけるのではないでしょうか。

アリスさんのN1N2にならって言うと、最も根源的な存在である意識=神を0次の存在とします。神が直接思考して生み出した神の意識の中の内容物を1次の存在とします。1次の存在が思考して生み出した意識の中の内容を2次の存在とします。このようにして、いくらでも存在の階層を考えることができます。

このような階層がどのくらいあるのか、私にもわかりません。さまざまな情報を総合して推測すると、すくなくとも7、8個の階層はあるのではないかと思います。たとえば仏教にも七つくらいの天の階層があるようですし、西洋にも第七天国というような言葉があります。けれども、これが有限の階層にとどまる保証も無いような気もしますし、七つという数は、単に人間がその程度の天まで想像することができた、ということなのかもしれません。

さて、ある次数の存在にとって、自分と同じ次数の存在は「現実」と感じられます。自分より次数の低い、つまり根源に近い存在は「実在」(リアリティあるいはプラトンのいうイデアでしょうか)となります。そして、自分が生み出したものは「仮想現実」(バーチャル・リアリティ)になります。

現在、人間は「物質世界」が「現実」であると考えており、夢の中やコンピュータの中に「仮想現実」をつくります。物質世界より根源に近い世界は、人間の意識の中にある観念や理念であると考えられています。

けれども、私はそれを逆に考えます。「人間は本来霊的な存在であって、それが作り出した仮想現実が物質世界なのだ」ということなのです。「霊的」という言葉は、ここでは、物質世界より一つ次数の少ない世界と考えておいて結構です。それは、わたしたちの脳が生み出した観念のように見えますが、私たちが自分の意識であると思っているものは、もともと霊的世界に属する意識の一部であって、脳という器官を通して物質世界の認識に密接に結びついている部分だけを指しているのです。それを物質の側から見れば、脳は自分より根源に近い「上位の」世界の意識を受信する器官である、ということになります。これが、私の脳=受信機説です。

一息にここまで書いてきましたが、一休みしましょう。

ご質問でもあればどうぞ。

99アリス:私がN1,N2・・・と言った時は、階層を意識しませんでしたが、猫さんの世界には階層(次元)があるのですね。仏教でも六道(六趣)と階層化して考える伝統があるようですが、猫さんの階層がどんなものか、是非お話ください。階層があると、見通しのきく世界が開けそうですね。

なお、引用のエックハルトの説教集を私も最近少しずつ、岩波文庫で、読んでおりますが、大変面白いと感じています。どこまで解かってのことかわかりませんが・・・当時の聴衆にどれだけ理解されたかと思うと不思議な気がします。


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アリスとチェシャ猫との対話(28)