94 猫: 「猫さんが意識という言葉を使われる場合、いわゆる心理学で言う意識、無意識といったものとは異なっているようですね」といわれてみて、確かに意識という言葉の使い方についてあまり神経を使ってこなかったな、と反省いたしました。そこで、今回は「意識についての議論」を中断して、「意識という言葉の使い方」についてお話したいと思います。そしてあわよくば、今後の対話を快適につづけるために、もっと適切な言葉の使い方について合意が得られればありがたい、と考えています。

 意識という言葉には、大きく分けてつぎの三つの意味があると考えています。

(1)気が付いている

Conscious の語源は com + scirecon-sciusという形になったもので、これは英語に直せば with knowing ということだと思います。つまり「知覚とともにある」わけで、他の英語で言えば aware ということだと思います。これがconscious の原意だと思います。

「意識して」、「意識的に」、「無意識のうちに」というような言葉はこの意味で使われています。

(2)心の中の内容

 気が付いた結果、心の中に対象物を描くイメージが生まれます(哲学的な言葉でいえば「表象」でしょうか)。そのような心の中の内容物を「意識」と呼ぶ場合があります。特に、「自分で気が付いていない内容物」のことを「無意識」あるいは「潜在意識」と呼びます。これに対比して、特に「自分で気が付いている内容物」を指すには「顕在意識」という言葉が使われます。意識という言葉の原意からいえば、「気が付いていない意識」というのは自己矛盾ですが、言葉の意味が「心の内容物」というように広がったためにこのような矛盾した使いかたになったものと思われます。

(3)意識をもった存在

 (1)、(2)で表わされるような心の働きを持った存在自体を「意識」と呼ぶことがあります。この使い方は、私だけのものではないと思っていますが、私がかなり頻繁にこの使い方をすることは事実です。この場合、その存在がどんな姿をしているかとか、物質的であるかとか、非物質的であるかとか、そういったことはまったく問題ではなく、ただ意識をもった存在であることだけを表現したいときに、こういう使い方をします。

それは、別の言い方をすれば、意識というものを脳の働きであると見るような「何かの属性」と考えるのではなく、意識自体に主体的な存在性を与えているということでもあります。もしアリスさんが違和感を感じられるとすれば、意識というものをあくまで「何かの属性」と考えるか、意識というものに「主体性」を与えて考えるか、という点ではないでしょうか。

 このことを、少し別のたとえで考えてみると、意識というのは「情報」というのに似ているのではないでしょうか。物質世界では、情報はそれ自体で存在することはできません。それは、紙の上の染料の配置であるとか、プラスチックフィルムに塗布された磁性体の磁化の分布であるとか、何かしら物質的な土台を必要とします。けれども、情報という見地から見れば、その土台(媒体)が何であるかということにはまったく意味がありません。1010という情報は、紙の上に書かれていようが、磁気テープに転写されようが、コンピュータのメモリーに書き込まれようが、まったく同じ意味と価値をもっています。そのような意味で、情報というものには、物質次元とは別個の存在性と独立性があると考えられます。

 では、意識と情報の違いは何でしょうか。それについては次回にお話します。

 

95 アリス: 意識と情報の違いを是非お聞かせください。意識の問題については、以前(16猫)で、説明する言葉を持たないというお話を聞いていますので、猫さんにお伺いするのは、なんとなく控えたほうがいいのではと思っていましたが、よろしくお願いします。

 

96 猫: アリスさんは対話15で、「意識が脳で生み出されないとしたら、意識とは何なのでしょう」といわれました。そのときわたしは「意識とは何かを説明する言葉はない」と申しあげました。

 今回のわたしの質問の意図は、アリスさんの意識に対する考えを再確認することと、対話88でわたしが「担当者意識」という言葉を使ったことをさらに深く説明するためです。

 対話15では、アリスさんは意識とは脳によって生み出されるもの、つまり普通の科学者たちが考えているように、脳の何らかの状態が意識を生み出していると考えておられたと思います。けれども、今回アリスさんは山や川にも意識があると考えるとおっしゃいました。ということは、アリスさんも、意識というものが必ずしも脳から生み出されるものではないと考えておられると思います。対話15のときと現在では、アリスさんの考えが変わったのかどうかを確認したいと思います。あるいは、対話15の時は、アリスさん自身の考えではなくて、世間一般の考えを代表して質問されていたのでしょうか。

 もしアリスさんが、山や川に意識があると考えておられるとしたら、私の考えはそれをほんの少し先へ進めただけのものです。わたしは、対話88でも言いましたが、山や川に意識があるのではなく、山や川を担当する意識があって、それが物質世界に山や川の姿を描き出しているのだと考えています。山や川が先にあってそれが意識を持つのではなく、まず意識が存在して、それが山や川という観念や表象(心の中に描き出されたもの)をもつのです。山や川は、私たちの意識の中だけに存在する「体験」であって、真に存在するものは意識だけなのです。わたしたちが外界であると考えている物質世界は、実は存在していません。意識の中に「外界の体験」が存在しているだけです。以前にも申しあげたと思いますが、「色即是空」という言葉はこのことを意味していると思います。

山や川の姿は、わたしたちが自分で自分の意識の中に描いているのですが、そのための情報を提供しているのが、山や川を担当する意識なのです。それがどのようにして可能になるのかはもう少し先で説明することとして、ここで意識と情報の違いを説明しておきたいと思います。

まず情報と意識の共通面について触れておきます。それは両方とも「意味」を表わしているということです。こういうと「意味」とは何かという質問がすぐ出てきそうですが、そのようにするときりがないので、ここでは一応「意味」の意味はわかっているものとします。

そのような「意味」のうち、わたしたちの「外部」から来るものを「情報」といいます。もうすこし一般化して言えば、「意識」の外部にあるものが「意識」に対してもつ意味が「情報」です。意味を知るのは意識のある存在だけですから、情報というものは、常に「意識」の外部と「意識」の内部との間で出入りするという形を取ります。

このように言うと、コンピュータに入るのは情報ではないのか、ということになりますが、コンピュータが情報の意味を知っているわけではありません。コンピュータは、CDや磁気ディスクの光や磁気のスポットに対応して決められたとおりの物理的な動きをしているだけで、それはたとえて言えば、ドミノ倒しの駒が次々に倒れて行くのと変わりはありません。ただ、その倒れ方のパタンが人間にとって意味があるので、コンピュータを情報処理機械と言うのです。

これに対し、「意識」というのは常にわたしたちの「内面」を指しています。意識は常に自分が感じるもの、自分が自覚するものです。「自分」の中にある感覚、観念、記憶、感情などを知覚していることが「意識」です。したがって自分以外のものの意識については、私たちは何も知ることができません。単にその外見から推測することができるだけです。

実は「意識とは何か」ということを説明できないと言うのは、このように意識がつねに「自己の感覚」であるということによるのです。対話26で、わたしはカーナビを例に「意識をもっているように見える」ことと「意識をもっている」ことは違うというお話をしました。同じように、「意識をもっていない」ことと「意識をもっていないように見える」ということは、同じではありません。私たちは、鳥や花や山や川や地球や宇宙のどれが意識をもっており、どれが意識を持っていないか、外見だけから判断することはできないのです。科学者たちは、脳のどの状態が意識に対応しているかということを調べようとしていますが、脳の状態が変われば外部に対する反応が変わるので、このような状態になったときには意識はないように見える、と思っているだけで、本当に意識がないかどうかは判断できないのです。

次回は対話93の続きに戻ります。

 

 97アリス: 私が対話15での「意識が脳によって生み出されないとしたら、意識とは何なのでしょうか?」という問いは私にとって根源的な疑問で、対話21,22にも繋がりますが、猫さんの脳=受像機説に興味があったためです。私が最初に猫さんに近づいたのは、この説をもっと知りたかったためでした。普通の科学者たちが考えているように、脳の何らかの状態が意識を生み出していると考えていた訳ではありません。分からないというのが正直な所です。山や川にも意識があると考えるとお答えしたのは、93で申しあげたように、根拠はなく、直感です。

意識を94で(1)、(2)のほかに、これらをもたらす何ものかを(3)として意識を持った存在、担当者意識というものを出しておられますが、私の現在の理解は次の通りです。

(これは多分に猫さんの影響下で生れた発想だと思うのですが、)意識をもたらす存在がある。N1意識を生み出す存在を1意識担当者と呼ぶ。川や山はそのうちの一つであろう。N1、N2、・・・Nx・・・・意識担当者があり、有限か無限かわからないが、全部あわせると

ΣN0 または ∞ =神=私  である。

猫さんのお考えとのあっているか、異なっているか、分かりませんが・・・

(1)(2)(3)を共に意識という言葉であらわすと議論しにくくはありませんか?

(3)だけ、ふらふらと彷徨うこともあるのでしょうか?

お話の続きをお聞かせください。

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アリスとチェシャ猫との対話(27)