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1 アリス: チェシャ猫さんが最初にこの世がバーチャルなものであると気づかれたのは、いつですか?

2 チェシャー猫: 1990年ごろです。そのころ私はある会社のソフトウェア研究部門の部長をしていました。部下達はそのころはやりはじめたバーチャル・リアリティの研究に取り組んでいました。それを見ながら、私は、バーチャル・リアリティといいながら視覚の研究しかしていないことに不満を感じたのです。そして、仮に人間の全ての感覚にバーチャル信号をいれる事ができたらどうなるだろうかと考えたのです。その結果は明白でした。人間はバーチャル・リアリティとほんもののリアリティを区別できないはずです。この世がバーチャルであるかもしれないということを真剣に考えはじめたのは、その時からです。

3 アリス: それ以前にはそんなことは思われなかったのでしょうか?

4: ご承知のように、仏教では「この世は迷い(迷妄)である」といいます。また多くの「チャネリング」情報のなかで、ただ一つの現実というようなものはない、ということも言われています。これらの情報が、バーチャル・リアリティという言葉で一つに結び付いたといえます

5 アリス: 俗に言う神秘体験といわれるものなのでしょうか。

6 : 神秘体験ではありません。これは純粋に思索の産物です。神秘体験としては、また別の体験があります。

7 アリス: バーチャルということを簡単に説明できますか

8 猫: 先日紹介した A Course In Miracles という本に、「あなたの肉体の目の役割は、seeing ではなく image making である」という言葉が出てきます。目の役割は、外にある物を見ることではなく、思考の内容を外にあるかのように見せる事だといっているのです。
 最近、バーチャル・リアリティの技術も進歩してきて、昔のようにパソコンの画面にバーチャル世界を映し出すのではなく、目にかぶせたゴ−グルの中に映し出し、右を向くと右側の景色が、左を向くと左側の形式が見えるようになってきています。このようにすると、全く自分がバーチャル世界の中に入り込んだように感じられます。これで、ゴーグルの中に見える木にさわったときに、指先に木の触感が与えられるようになったら、本物の木とバーチャルな木との区別が出来なくなるのは目に見えています。
 世界がバーチャルであるということが信じがたいのは、物質をはなれて意識だけが存在するという事を信じられないからです。最近、意識の研究に取り組む科学者が増えていますが、その主流は脳のどの機能が意識を生み出すのか、ということに集中しています。その脳自体がバーチャルなものである可能性など、想像もつかないのではないでしょうか。

9 アリス: 最近ではバーチャルという言葉はバーチャルリアリティー「仮想現実」ということでよく使われていますが、ご専門の物理学の世界ではどうなのでしょうか。

10: 量子物理学の研究者たちが、量子の性質が物質粒子の性質とは全くかけ離れている事に困惑しているのは事実です。けれども、そのことを深く考えて哲学的な思索にまで進む人はごく少数のようです。物理学者達は、物理学の論文を書くためには、哲学をやっている暇はないのです。
 けれども中には、物質世界とは何か、リアリティ(実在)とは何か、ということについて思索する物理学者もいます。アーサー・エディントンだったかと思いますが、宇宙は人間の精神の現れである、といった宇宙物理学者がいます。朝永振一郎は、量子の性質は、物体ではなく、電光ニュースの光点のようなものであるといいました。いずれも、物体性というよりは「情報」が主であり、その情報によって人間がもつ宇宙像というものが形成されるということを言っているのではないか、と思います。けれども、最終的には、物質を離れた意識の存在、あるいは物質を離れた存在の意識、ということに至らないと、本当の世界像は描けないのではないかと思います。

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