アイルランドの細道  

徒歩旅行開始 バートへ

朝は見事にセッティングされたテーブルで、暖かい皿(ソーセージ2、ベーコン2、卵焼き1、三角のポテトフライ、焼きトマト、マッシュルーム)に、オレンジ・ジュースや果物などが付く。旅の楽しみの一つは朝食の豊かさだ。ワシントンDCから観光にきた中年のアメリカ人夫婦と相席で、夫人の方は、アイルランド人の優しさに惹かれてもう5回も来ていると言う。私が徒歩旅行の話をすると「私も歩かなくちゃ」と自分のお腹の周りをさすって笑う。主人の方は昨日行った所の感激をガイドブックを部屋から持って来て、熱心に話してくれる。話が弾んで終わりそうもないので途中で失礼して、支払いを済ませて、絵を描くために用意した画用紙にピーターさんのサインを貰った。デリーは3日ぐらいかけてゆっくり見たい街だが、1日で立つことにしたのは、早く徒歩旅行を開始したい気持ちからである。
9時20分、いよいよ徒歩の旅が始まる。ザックにサブザックを背負わせたように取り付けたので、子供を背負っている感じだが、「子連れ狼」と思ながら歩き出した。宿の前のグレート・ジェームス通りをゆっくりと登って行く。取り付きを間違えると、精神的なダメージが大きいので、出会う人に何度も道をたしなめながら、ブルック公園の横を通り、次第に人家がまばらになる中を30分も登るとGroatry Roadへの分岐に着く。この道は真っ直ぐ、今日行くバートに延びていて、街道が丘の裾に沿って弓なりに湾曲しているの対して、丁度弦のように直線なのである。道はやっと車一台が通れる山道で、徒歩者には好都合である。緩やかに上下する丘の道は、少し行った所で、犬を連れて、散歩をしている夫婦に出会った後は、もう人や車には会わない。曇り空の下、あたりは広々と拡がる緑の牧草地に羊や馬が草を食んでおり、デリーの北側の山並みが遠くまで眺められる。申し分のない景色だ。
  懐かしのデリーの谷間 川沿ひに さ迷いて
  あふれさく 岸辺の菫を 手をりし日よ かの昔
  はるかなる夢とはなれど みどりこき川島に
  さすらいの旅にしあれば 遠く心はあくがるゝ

これは、高校時代に習った「ロンドンデリーの歌」で、同窓の細木君が正確な歌詞を調べてくれたものである。この歌は、「ダニー・ボーイ」としても知られていて、占部君の勧めもあってそれを原語で歌えるようにしてきた。そのデリーの谷間とはどのあたりだろうか?など思いながら歩く。ひょっとすると、私をアイルランドに誘ったのはこの唄かも知れない。

スドラーズ・ハウス
食堂の一部

朝食


Groatry Roadへの
分岐

ザックにサブザックが付く

曇り空
ひたすら歩く

馬の親子?

道は降りとなる

ここから左に折れる

Anaria Farmhouse

玄関兼サンルーム

丘に付けられた真っ直ぐに伸びる道は轍の跡のある黒い道で、それを50分歩いて10分小休止、これを2回繰り返した当たりから、少し足が与太ついてきた。前方の丘の頂上に古い要塞の跡が見え、次第に近づいて来るのを励みに歩いていると、中学生の男の子3人に出会った。学校の帰り路なのであろうが、人家もないので不思議に思った、要塞への入り口を聞くともう少し先だという。このあたりから下り坂となり、前方に深く食い込んだシウィリーの入り江が銀色に光っていて、その向こうの丘と共に見事な景観を作っている。陽の変化に応じて、姿を変えるこの景色は一日中見ても飽きないことだろう。
折から小雨が降ってきて、腹も空いてきたので、昨日スーパーで仕入れたトマト味のパンを出して、傘をさし立ったまま食べた。小雨の中、立って食べることを教えてくれたのは英人Phさんである。本当は要塞まで行って、暖かい紅茶でも作りたかったが・・・路は急な下り坂となり、要塞への道標があったが、もう一度2キロほど登らなければならないので諦め、杖を取り出し、それを頼りに、痛くなってきた足を庇いながら降り、13時20分、バートに着いた。8キロ足らずの山道を4時間掛けて歩いたことになる。広い道に出て直ぐ傍に、小さなホテル・レストラン・バー、教会がかたまって建っている所があったので、迷わずバーに入って、ギネスを注文した。ギネスはいつでもどこでも満足を与えてくれる。合気道黒帯だという若いバテンダーが相手してくれ、彼の調べてくれたところによると目的の宿は2マイル先だと言う。一口にバートといっても広いのだ。青年は、引き締まった細身の体格で、マフィアの子分のような黒い服装をしていた。日本へ行きたいらしく、飛行機代のことを聞き、携帯電話を電卓代わりに使って、ユーロに換算して独りうなずいていた。
ギネスの効果はてき面で、やや軽くなった足取りでまた歩き始めた。途中、半身裸で自分の家の塀にペンキを塗っているおじさんと立ち話をしたりした。日本へは2度行ったことがあり、錦鯉に感心したと言っていた。

道は国道で車がビュンビュンと通るが、道幅が広いので、歩くのには支障はない。小1時間くらい歩き、なかなか行き着かず、うんざりして休みを取った。小休止の後、腰を上げると、数メートル先にB&Bの看板が出ているではないか。昨日のパブと同じ現象だ。そこから左に折れ、100メートル近く登ていくと、B&Bの20メートルぐらい手前に宿の女の人が太った犬2匹を連れて出迎えに降りてきてくれる。家の窓から私が近づくが見えたのだろうが、不思議な気がした。

Farm Houseに泊まるのは初めてある。家の前の斜面の広い牧草地には羊や馬が草を食んでいて、西側に広がる眺望は「息を呑むほど」(これはパンフレットに書いてあった表現)すばらしい。私の泊まる2階の部屋も明るく清潔で、15畳くらいでゆったりして、真ん中に大きなダブルベッド。この宿を選んでくれたデリーの案内所のキャザリンさんは良いことをしてくれたものだ。
ルイゼさんとローズマリーさんがお相手してくれる。宿はこの2人の姉妹が運営しているようだった。コーヒーか紅茶かはいかがですかと勧めてくれたが、まずシャワーを取らせて貰い、ついでに洗濯もした。 相客の姿をちらりと見かけたが、立派な身なりの大柄の若夫婦で、新婚旅行なのかもしれない。玄関に当たる所がサンルーム風になっていて、遠くの山並みが見える。雑誌などが適当に散らばっているのも気が休まる。戸を開けるとさっきの太った犬がやって来て、訴えるようにクゥーンと鳴く。「魔法によって犬に変身させられているのです。どうか呪縛を解いてください」と訴えているようであった。暖かい陽が降り注いでいた。

問題は夕食で、相談すると、ひとつの案として示されたのは、今夜教会でバーべキュー・パーティがあるので、それに一緒に行かないかということだった。場所が何キロも離れており、行くと恐らく好奇心の対象となり、もみくちゃにされ、明日の行程に差し障ると思った。 何でもいいから食べるものを作って欲しいと頼んだら、冷凍の肉と魚を持ってきて、どちらが良いかと言うので、魚を選んだら、サラダやデザートが付いて14ユーロというメモを持ってきて、これでよいかと確認する。この宿にはアルコールは無く、そんなこともあろうかと昨日アイリッシュ・ウイスキー「ジェムソン」を仕入れておいたのが威力を発揮することになる。5時半、私一人だけの食事が出来、窓越しに広大な景色を見ながらの食事は贅沢そのものだ。からりと揚げられた白身の魚、茹でたジャガイモ、かぼちゃ、グリーンピースが付く。野菜は裏の畑で作ったものという。すばらしい味で、胡椒と岩塩だけで食べさせるのは敵ながらあっぱれと思った。フルーツサラダとアイスクリームとコーヒーと至福の時が流れた。車の運転が出来きて、家族をここに連れてくることが出来ればどんなにすばらしいかと思った。ルイゼさんが、非常の際にと、携帯電話の番号を書いたメモをくれて、出て行った後は、私独りとなった。相客の人も帰ってきた気配もなく、ベッドに横になったら寝てしまったらしく、目が覚めると11時半だった。皆かが帰宅しているかどうかわらない
ベッドの上で日記を書いたが、この宿はインターネットは使えない。「インターネットなんて、幸せには何の関係が無い」など思いながらもう一度寝た。ベッドと窓との間に張った細紐には昼間の洗濯物が吊るされて、月明かりに浮かんでいる。

(このFarm HouseはAnaria Farmhouse Accomodationが正式な名前である。)

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