アイルランドの細道  

バートからレタケニーへ

私に今回の旅で、準備不十分の点の一つは事前のトレーニングをしていないことで、12キロの荷物を背負って歩くことに体を徐々に慣らさなければならない。日本でトレーニングしておけば苦労は少ないのだが、私のしたことと言えば、2キロ離れた「ヤマヤ」へオリーブ・オイルなどを買出しに行ったり、1キロも離れていない「渋谷市場」へ大根、ジャガイモなど重い野菜の買出し行ったり、これを数回づつ繰り返しただけである。10キロくらいの砂袋を背負って、20キロくらい歩いてみる、そんな練習が嫌いなのだ。ある日、日本語を教えているアメリカ人Gさんと今回の徒歩旅行の話をしていたら、彼は、「最初は少し歩き、慣れるにしたがってたくさん歩けば良い」と言ったので、ああこれだと思った。怠け者の私にぴったりの方法である。昨日10キロ歩けたから、今日はもう少し長く歩けば良いのだが、少しくらい多く歩たぐらいでは今日中にレタケニーに着くとは思えない。

朝から晴天で、宿の前に広がる牧場では、羊たちは殆ど動かず朝日を浴びており、馬の毛は朝露で光っていて、そのすっきりとした立ち姿には胸を打つものがあった。8時、朝食、アイリッシュ・ブレックファースト。同宿の若夫婦はまだ寝ているのであろう。私一人姉妹にかしずかれての朝食は豪勢なものであった。壁に大皿が掛かっているので伊万里であると指摘したら、姉妹はその話を聞きたがる。昔、伊万里を少し買った経験があるので、皿をひっくり返し、色や高台の形から、あてずっぽうに、200年ほど前のもにでしょうと言うと、何でもお祖父さんから伝えられたものだと言う。ルイゼさんがなぜ徒歩旅行をするのかと聞くので、”I don’t know why” と答えると、ちょっと怪訝な顔をして、少し間をおいて、大きく微笑んだ。このやり取りはデリーのピーターさんも同じだった。「・・・?・・・!」といった感じ。旅心の不思議を理解したと言うことなのある。ルイゼさんは、どこかロートレックの絵のマルセルのような、頬が上気していて、なんとも言えな優しさがある。妹のローズマリーさんはお姉さんより一回り大きく英国風で、彼女の質問は「なぜアイルランドを選んだのですか?」 これの答えは簡単で、「美しい国で、いい人がいっぱいいて、食べ物がおいしい国だから」というと納得してくれた。荷物を背負って家の外に出て、ローズマリーさんも自分のカメラを持ち出して、お互いに写真を取り合い、2人と犬に見送られ、この宿を発ったのは9時20分だった。


朝食


ゆっくり独りで


出発のいでたち


ルイセさん(右)
ローズマリーさん(左


宿の前の牧場
宿が見える

レタケニー8キロ


スウィーリの
入り江が見える

ニュータウンクニンガム
の入り口

レタケニーへ
15キロとある

アンさん


国道を歩くので、横を車はどんどん通るが、道幅が十分あるので身を避けるほどではない。
50分前後歩き10分休む、これを3回繰り返すころにはかなり疲れが出る。12キロの荷物を背負うと登山に近く、ランニングや水泳のようにハイにならない。黙々と足を交互に出すだけ。村の入り口には歓迎の印に立派な石の道標がある。バートから5キロでニュータウン・カニングガム、さらに6キロ歩くとマノア・カニンガムに着く。ここの峠にあたる所にギネスの看板を見つけて当然のごとく入った。老人が独りグラスを傾けて、亭主は大柄な老人で、聞き取りにくい英語で困ったが、何とかギネス1パイントと会話を楽しんで出た。ギネスの効果は30分も持たない。そろそろレタケニーの町に近いと思われる所で、腰を下ろしていたら、道の反対側を豊満なお嬢さんがペットボトルだけを持ってすたすた通り過ぎて行った。今日初めて見る歩行者だ。声を掛けるまもなくスーッと目の前を通り、見る見る小さくなって消えていった。人家もなく、若い娘さんが独りで歩くような場所でないので、ひょっとしたら妖精かも知れない。それを追おうとして立ち上がった自分に苦笑した。まもなくレタケ二―の町に入ったようで、眼前に立派なホテルが建っている。街の中心部まであと何キロもあり、着いても5時はなっているだろうし、そこに宿があるか分らない。ホテルに入ってフロントで聞くと空き部屋はあると言う。迷わずこのクランリー・ホテルで泊ることにした。
受付の娘さんは小太りのアイルランド娘で、私がコークまで歩いて行く所だと言うと、「オオ!ファンタスティック!」と感激して、後ろの事務室にいる同僚に大きな声で「この人、コークまで歩くんだって!」と説明している。なんだかこちらも誇らしい気持ちになる。
アイルランドのホテルは初めてだが、部屋は東京の一流ホテル並みである。まずお風呂、これに勝るものはない。節々が痛く、足も豆も出始めた体をゆったりと浴槽に沈めると、疲れがお湯に溶け出して行くのが分る。昔の登山の後の温泉を思い出した。
部屋でのインターネットへの接続をうまくいかなかったが、ます腹ごしらえにとホテル内のバーで、ギネス、スープ、サーモンなど取った。質量とも申し分ない。
さて、ネットへの接続だが、その前に、受付へ降りていって、例の娘さんから画用紙にサインを貰った。アン・マーリン・マクアリンといい、既婚であることも分った。このアンさんにいろいろと接続の方法を聞くのだが、うまくいかない。インターネットコーナーもあるのだがうまく使えない。アンさん自身も私のパソコンをいじってくれるのだが、これもうまく行かず諦めた。
昨日もネットに繋がっていないので、家族への安否連絡に電話が使おうとするがこれがまた上手くゆかないのである。海外から電話をした方はご存知のように、まず時差のあるため、相手が起きていないといけないのでこちらは遅くまで起きていなければならない。アイルランドの夜11時が日本の朝8時。部屋の電話機で外線につなぎ、00813・・・・とやっても繋がらない。オペレータに接続お願いしたら話中という。2回やってもらってもだめで、FAXという手があると、紙に書いて受付へ持っていくと、これも受信不能とのこと。家内が長電話している可能性もある。受付で困ったなという顔をしているとアンさんが自らフロントの電話を使って掛けてくれて、やっと通じた。海外では無事でいること伝えるのに時として難しいものである。アンさんには大変世話になった。
「死ぬということは、この世の人と連絡が取れない状態を言うのだなぁ」など思いながら、眠りに付いた。

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