アイルランドの細道  

 ダブリンの一日

アイルランドでの初めての朝である。アイリッシュ・ブレックファーストはどんなものかと期待していたが、お盆に好きなものを取って行くバイキング方式だったのであまり衝撃はなかった。しかし、メインとなる料理はガラスのケースの中で湯気を立てているのを、若い女性が客の希望に聞きながら、暖められた皿に盛ってくれる。炒り卵、ソーセッジ、ベーコン、マッシュ・ポテト、焼きトマトを欲しい量を言っていく。コーヒーか紅茶かも聞いて、入れてくれる。これに各種ジュース、果物、シリーアル、パンが沢山あり、これらをお盆に載せて席に付く。中庭に面した明るい食堂は10卓ほどのテーブルがあり、まだ朝早いので客は疎らだった。
8時半ごろ宿を出て、まず、5分ほどの所にあるコノリー駅へ向かう。出勤時で足早に歩く人の群れ。通りがかりの中年の男に、駅への道を聞くと、身を乗り出して親身に応えてくれる様が、なんだか人間臭く、暖かく、ダブリンに来ているのだという実感がする。私は鉄道の駅舎を見るのが好きだ。それはかつての栄光の跡であり、郷愁を感じさせるからである。しかし、ここの駅舎は建て替えられたらしく、ガラスを多用した新しいものだった。折から出勤する人たちを吐き出していた。切符売り場で、デリーまでの料金を聞くと47ユーロと言う。近くの中央バス・ステーションに移り、同じことを聞くと20ユーロと言う。鉄道だとベルファストで乗り換えだが、バスは乗り換えなしに4時間で着く。私の心はバスに傾いた。


リフィ川



トリニティーカレジの
構内

ケルズの書のあるところ


北アイルランド政府
観光案内所

グラフトン通り



ジョイスも通った
パブ

スイフトとステラは
この床の下に眠る

コーラス隊


聖パトリック大聖堂
画面をクリックください。

立派な税関の前を通って、リフィー河を渡り、真っ直ぐ行くと、トリニティ・カレレッジの脇腹にぶつかる。そこから、大学へ入ると、石造の重厚な建物が並んでいて、その一角に、ケルズの書の展示場と図書館があった。どちらも写真では何度も見ているのだが、驚愕の一語に尽きる。この二つを見るためにだけにダブリンを訪れる価値があると思われるほどである。9世紀に作られたという「ケルズの書」は、展示されているのは一部であるが、その渦巻状の細密な絵のような飾り文字のある文書を見ると、それ自体が呪文のように惹きつけ、写経僧たちの恐ろしいほどの執念が伝わってくる。無限にループしながら、深みへと誘う力がある。
その二階が図書館になっていて、百メートルあろうかと思われる細長い部屋の、両側に櫛状に背の高い本棚があり、革表紙の本がぎっしり詰まっている様は圧巻である。折から、シングの手稿が展示されていた。

今度は、大学の反対側の脇腹から出て、大学の塀沿いのナッソー通りを東に向かい、北アイルランド政府観光局へ行く。明日のデリーでの宿を取るためである。年配の女性が手早くコンピューターと電話を駆使して、予約までしてくれた。泊る宿の人と話しているのが聞こえるので心強い。予約票と地図など貰って、これで一安心と通りに出る。これから、このように、毎日、尺取虫のように泊る宿を取りながら進むことになる。

ナッソー通りの少し古風なショウウインドウを見ながら引返し、大学の入り口近くで、左に折れて、グラフトン通りに出ると、これは見事な商店街で、上品で穏やかなこの感じはヨーロッパにしかないものである。ダブリンはほとんどが白人なので、白っぽく明るい光景を人が作り出している。その通りの途中のちょっと左に入った所にある、Davy Pyrnesというパブに寄る。まだ開店してしてないようだったが、ギネスを飲みたいと言うと入れてくれた。客は私だけ。お腹も空いてきたので何か食べるものは無いかというと、食事は12時からでないと 出さないと言う。
娘さんに、「ジェームス・ジョイスも通ったという店だと言うので、この店に来たのだよ」と言うと、そのことの書いてあるパンフレットを奥から出して、呉れた。そうこうしているうちに11時半になり、注文を取ってくれる。迷わず牡蠣半ダースと白ワインの小瓶を選ぶ。茶色のパンが3枚とバターが付いて、それに岩牡蠣にたっぷりとレモンをかけて白ワインとを交互に食へると、期待に応えるように、美味しさが口に広がる。このパブは清潔に磨き抜かれていて、パブの中では高級な方かもしれない。ここまでもう1日分の感動は頂いた感じである。客が次第に増えていった。
いい気分で、セント・スティーブンスン公園の美しい緑の中をかすめて、聖パトリック大聖堂へと向かう。脇の広場では大勢の子供たちが緑の芝生の上を元気に走り回っていた。

聖堂に入って先ずしたことは、折からの自然の要求に耐えかねて、手洗いの場所を聞いたことである。そこへ直行すると戸がなかなか開かない。目を白黒させてよく見ると、思い切り引っ張れと張り紙がしてあった。建て付けの悪い戸を力一杯引っ張って入り、用を済ませば現金なもので、大きな顔をしている自分がおかしかった。5世紀のアイルランドにキリスト教を布教したアイルランド最高の聖人、セント・パトリックの名を冠した、由緒ある教会であるが、私のお目当ては、ここの司祭をしていたジョナサン・スイフトと愛人ステラの眠っている場所で、ルイス・キャロルがこの二人に関心を持って、2人にちなむ詩を書いているので興味があった。その場所はすぐ分かった。

嬉しいことに、折から、パイプオルガンの伴奏で、男女合わせて30人くらいの合唱団が、歌っていて、抑制の効いたそのハモニーをしばらく聞き入った。聴衆といえば通りすがりの観光客しかいないのに、なんと贅沢なことだろう。

外は暑い日差しで、人通りの殆どない道をテクテクと歩いた。建物はレンガつくり、せいせい3階止まりの街並みは、上品で心を落ち着かせる。ところが、ふと私の歩いている方向が全く間違いであることに気付いた。地下鉄などでよくあるように、急に暗い所から外に出る時、方向感覚を失うのである。引返して、テンプル・バーのある通りやオコネル通りなど、人の集まる通りを宿の方に向かって歩いた。この時間帯で出歩いているのは観光客はかりで、イタリア、スペイン、フランス語が飛び交っていて、ヨーロッパから結構な人数が来ているのに驚いた。東洋人もアフリカ系の人も余り見かけない。人にも景色にも酔って、少しくたびれて宿に帰った。ここまででもう2日分の値打ちがあった。

シャワーを浴びて、夕食に出かけた。アジア料理の店とあるので、汁そばでも食べようかと思って入ったら、中華料理のバイキングで、ビールは青島ビールしかなかった。品数は多いのだが、味の方は値段相応といった所。近くのテーブルの人を見ると、労働者風の2人が、驚くほどの量を皿に盛って、食べていた。

腹ごなしに、また中央バス・ステーションへ行き、デリーへの時刻表を入手して帰った。3日分ぐらいある長い一日だった。


次へ 目次へ