アイルランドの細道

ダブリン2

朝、食堂で、U2というロック・バンドを追っかけて来ているという、ちょっと小太りの娘さんと隣合わせになった。大阪の在日韓国人だと自己紹介して、この次はロンドンにも行くという。世界にはそんな追っかけのファンのネットワークがあって、仲間の間ではチケットはプレミアムなしで手に入ると話していた。「U2はファンを大切にしてくれるの」と、メンバーとの交流があるようだった。それにしても、海外まで足を伸ばす女性の追っかけには畏れをなす。

今日こそKLMのフライトの確認をすべき日である。9時、宿の前から、空港にも寄るバスに乗り、20分後空港に着く。空港は沸きかえっていて、その喧騒に飲まれてしまった。
空港の案内所でKLMのオフィスを聞いたら、そんなものは無いという。Oh my God!と絶句してしまった。都会にはKLMの事務所があるだろ、ダブリンにはあるだろ、そして空港にはあるだろうと最後の頼みにとやって来たのである。旅行案内所の人が空港にはあると言うから来たのですよと入っても、そんなものは無いと言う。「Aerlingusへ行きなさい、2階にあるから」と教えられて2階に上がるとAerlingusという緑のサインの横に各社のブースがずっと並んでいる。端からゆっくり見て行くがない。困ってある航空会社の窓口にKLMの場所を聞くとBの所だという。そこは搭乗口なのである。そこに行ってKLMはここかと聞くとそうだという。事情を話すと、「Aerlingusへ行きなさい。そこでKLMの面倒を見るから」と、私が最初に目にした緑のサインを指差す。この時初めて、Aerlingusという航空会社があることを知った。先客があって、やっと話が通じることが出来た。パソコンに私の名前、搭乗日を入力して、男はうなずいた。OK。後のプリンターから一枚打ち出してこれがチケットだという。E−ticketなのである。これで一切終わり。あっけらかんとしたものである。勇気を出してこのチケットの変更は可能なのかと聞いたら、KLMに話してくれという。KLMはもういい。
一階に降りて、半分ほっとした気持ちでコーヒーを飲んで休んだ。心は空っぽになった。
(KLMといえば、私の頭の中では、世界冠たる航空会社なのだが、現在は、エアーフランスと合併し、アイルランドでは独自の事務所を持たず、地元航空会社のエアリンガスに依存している会社ということが分ってきた。)

帰りは空港と都心を結ぶ高速バスに乗った。2階建てバスの2階の席に座ったが、2階は私だけだった。空港周辺や郊外の開発が進行している様子が見えた。バスはオコーナー通りに止まったのでそこで降りる。針のような、高い「光の尖塔」が目印で、これがあれば私は宿に帰れるのである。
降りてしばらくすると、小柄なおばあさんが寄ってきて、口元に人差し指を当てるので、私の口に何かついているのかと思ったら、「スリに気をつけなさい」と小声で言って、そのまま去って行った。スリが私の後をつけているのかもしれない。おそらく私の歩き方に隙があったのだろう。あるいはカーボーイ・ハットで明らかに旅行者と分かるのでスリの標的になりやすいのかもしれない。おばあさんは神様が遣わされた使者だと思った。
街ではこの帽子を被らないようにしよう。財布に気をつけようと自分に言い聞かせた。

私には、もう日程を変える気力はなかった。2度目の変更をKLMと話をつけるだけでも大変な上に、またその確認に半日取られるのはいかにも大変なのである。8月3日までの4日間は神様が私に下さった休日と思いダブリンで過ごすのが一番と思うようになった。
昼はサンドイッチを買って宿で食べた。食後、まずしたことは、インターネットで、海外旅行保険を今日から8月4日まで掛けることである。私の好きなことをしていて、万一の事故に遭って、家族に迷惑を掛けたくない。しかし、これは駄目であった。日本の各社ともネットで保険を掛ける資格は本人が申し込みの時点で日本にいることが前提となっているのである。カードについている保険だけで我慢するほかない。
次にしたことは、今の宿をさらに4日伸ばすことである。ここはしっかりしたB&Bで、やや割高だが(といっても都心のホテルに比べれば安い)安全のためには今のままがいいと判断したからである。この方は難なく片付いた。これで帰国までの大きなフレームワークが出来上がった。
後はこの4日間何をするのか?ガイドブックを失ったあと参考にすべきものがない。自分のやりたいことをブログに書いたのを思い出して、出してみると色々書いてある。それを一つずつこなして行くことになる。

今日の目標をナショナル・ギャラリーにした。宿から歩いて20分のところにある。一ヶ月以上歩き続けたリズムが体の中にあるのを感じながら歩き始めた。街は、観光客でごった返しており、新宿、池袋の賑わいで、フランス語やイタリヤ語が飛び交い、地図を持った人がいたるところにいる。ナショナル・ギャラリーのあたりまで来て、それらしき建物がないので、ビルの陰に立っている立派な紳士に聞くと、「ここがそうだ。どうぞ!」と言う。入ってみれば確かに美術館だった。美術館と言えば、前庭とか大きな門構えとかあるとばかり思っていた。受付で料金を尋ねると無料だという。少し見始めると、この美術館がかなりの規模だと分かってくる。3階建てで展示場が迷路のように思える。友人の古市さんが何年も打ち込んでいるフェルメールが一点ここにあるはずで、それを見過ごすわけにはいかない。案内の人に聞くと、見取り図に印を入れてくれた。

フェルメールの「手紙を書く女」は、想像していたより黒味がかった絵だったが、よく見ると本物の持つすごさが伝わってきた。古市さんが見れば見飽きないと思う。高校生の一団が先生の予め言われていたのであろう、群がって来た。この絵の前に椅子があって、私は腰を掛けて、人の途絶える合間を見て何度か見返した。少し横にはフランス・ハルスの絵があり、これも黒っぽかった。日に当たらないと黒ずんでくるというリンシード・オイルを使って入るのかもしれない。この美術館は有名な画家たちの絵を一通り持っているという感じで、ブリューゲル、グレコ・・・ゴヤのいい肖像画は3点あった。モネ、シスレー・・・モジリアーニ、ピカソなど。2時間近くいて、また喧騒の街に中に出た。時々夕立がきた。アイルランドで傘を持たずに歩くと、このシャワーを浴びることになる。長期滞在?に備え、スパーマーケットで青リンゴとワインを買って帰った。
夕食は昨日のパブにしようかと覗いたが、人が沢山るので、やめにして、宿に帰ると、ここでも夕食が取れると分かったので、今日はここにした。アイリッシュ・シチュー、2度目の挑戦である。お袋の味という感じで満足する。
洗濯をし、シャワーを浴び、ワインを飲んだ。

(7月29日のこと)

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