アイルランドの細道

 コーク ― ダブリン

9時過ぎ、宿を出た。昨日のF青年も玄関先まで出て見送ってくれ、強い握手を交わしてして別れた。バスターミナルでぼんやりと時間を過ごし、やがて列が出来たので並んだ。バスは、30人ほどの乗客を乗せて、10分遅れで発車した。14時間25分後にダブリンに着くことになっている。車窓から見る景色は、私が歩いて見た景色と違って、絵葉書のようなよそよそしいものとなっていた。通過する街は、皆よく似ていて、もう馴染みのものとなっていた。銀行、郵便局、レストラン、不思議と中華料理の店がある街が多かった。それに化粧品店、勿論パブも・・・教会も忘れてはならない。バスは途中で少しずつ客を乗せたのでほぼ満席となり、Urlingfordというところで15分の休憩。後の2時間はうつらうつらしているうちにダブリンへと入て行った。ダブリンは、他の街を圧して、巨大な都会であることが車窓からも伺えた。バス・ターミナルは、一月前に、デリーに向かったので覚えていた。そして、その時と同じ宿を取ってあるので迷わず行けた。このGlobetrottersというTown House(B&Bの規模の大きなもの)は受付もあって、ホテルと変わりがない。この前と違って新装の部屋をあてがわれた。落ち着けるいい宿である。

一番気がかりなのは、帰りの航空便が取れているか、バンラッティから予約をしたときには、チケットの受け取り場所はメールで知らせて呉れることになっているのだがその知らせがないままになっている。その時、出国をは8月3日発に変更したのだが、いまから考えると少し間がありすぎる。出来ることなら帰国を早めたいと思っている。ダブリンに着けばKLMのオフィスがあるだろうから埒もあくだろと、コークの滞在も1日にしてダブリンにやって来たのである。

受付でKLMの電話番号を調べてもらい、それに掛けるが、自動案内の言葉が早すぎて聞き取れない。やはりiへ行ってKLMのオフィスを探そうと、旅行案内所を探し当てて、聞いてみると、KLMのオフィスは空港にしかないという。斜め向かいの旅行代理店が助けてくれるかも知れないというので行ってみると、2階へ行けという。2階に上ると、そこは航空券専門に扱っているようなのだが埒明かず、ほとほと参ってしまった。4時過ぎで、空港に行けばよいのだがその気力はもうなかった。宿に帰って、受付が変っていたので同じことを繰り返したが、これも結局KLMのホームページにアクセスしたらとそのURLを教えてくれただけだった。インターネットでは、困ったときに欲しい情報が得られないという経験は過去にもあるが、今回もその例であった。

ちなみにこのホテルでは部屋での無線LANは電波が弱く、食堂上のロービーのような場所に皆パソコンを持ってきていたので、私もそうした。
このようなことで神経をすりへらし、時間が経って行った。明日空港に行くと腹を決めたら、急にお腹が空いてきた。昼はバスの中でスナック菓子を齧っただけだったので。

この前行ったCeltというパブが伝統的アイルランド料理を出すと看板を出していたので、そこに行った。ここは前に来たときよりも大勢の客で賑わっていた。カウンターでギネスを頼みながら、伝統的アイルランド料理を食べたいのだが、どんなものがあるかというとメニューを出してきてくれて、その中にアイリッシュ・シチューがあったので迷わずそれにした。隣の白髭の老人がギネスを傾けていたが、話かけてきた。老人の英語は苦手なのだが、彼は今日は70歳の誕生日だと言う。私が何歳に見えるかと聞くと50歳くらいかなというので、72歳だというと、アイルランド人は早く年を取るのかなといいながら、白い髭をしごいた。シチューは親しめる味でおいしかった。日本の筋煮込みを豪華にしたようで、、やわらかい肉やジャガイモ、セロリなど具が沢山入っている。パンも付き、これ1品で日本人は十分である。(9.95ユーロ)店に飼っている小鳥が甲高い声でよく鳴いていた。老人のお相手とシチュウを食べるのに忙しい思いをしているところへ、その人の奥さんがやってきてビールを注文したので助かったと思った。男は彼女も72歳ですよと言って私のことを紹介すると握手を求めてきた。彼女の英語は聞きとりやすかった。男は2杯目のギネスを注文したので、私は、また奢られては大変と早々に店を出ることにした。店の前を掃除していた女の子が日本人ですかと声を掛けてきた。中国人のようだったので中国人ですかと聞くと蒙古人だという。朝青龍の話がでた。入り口での立ち話しなので、切り上げたが、アイルランドに来て2年になるという。

明日のことはどうなるのか分からない。早く寝て体を休めよう。
(7月28日のこと)

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