アイルランドの細道

ブラーニー

宿の人が取ってくれたのはブラーニーという所のクリスティー・ホテルであった。コークまでは30キロ以上あるので、その手前の宿を探してくれたのである。ここ以外に途中には何もないのだから仕方がない。夫婦で相談したのであろうから、喜んでそこに決めた。
女主人の車で町を案内してもらい、町外れまで送ってもらった。
日曜日とあって、町は眠っているようであった。あちらに見えるのは何、こちらに見えるのは何と案内されながら、町を出た。町外れといっても数キロ走って、丘の上の見晴らしのいいところで降ろしてくれた。私の一筆書きは少し途切れるが、これも止むを得ないと思った。広々とした丘を上り下りながら進んだ。もうすぐお別れするカントリー・サイドの景色を味わいながらピッチを上げた。

12時過ぎ、コークとブラーニーの分岐点へ来た。教えてもらったように曲がって進むが、どうも地図とは違うようである。おそらく彼女は進行方向の車線に沿って私が歩くものとして、教えてくれたらしい。反対車線を歩いている一番の問題は、進行方向の標識が、中央分離帯の背が高い時は見えないことである。折悪しく雨が降り出し、泣きたい気持ちで引き返した。やがて、ブラーニーへの道の入り口を見つけて進んで行くとすばらしい緑の丘陵が眼前に広がる。この一帯はバード・サンクチャリーで路沿いには木が多いが、その向こうは南に丘へと牧草地が広がる。この丘の向こうはコークのはずだ。30分歩いて到着したブラーニーは観光客で一杯だった。古い遺跡が点在しているらしい。途中、地元の少年が3人道端で駄弁っていたので、道を聞いたら、目的のクリスティー・ホテルは教会のすぐ傍だと教えてくれたが、それが見当たらない。町は観光客で華やいでいて、目的のホテルを聞いても観光客ばかりで分からない。買い物帰りの、大きな籠を持ったおばさんが通ったので聞くと、案内してやろうという。公園の裏の近道のような所をその方の後に付いて行くと、この向こうがそのホテルですよと指さされて、別れたが、指されたホテルは、Woollen Mills Hotelとある。間違ったホテルを教えられたと思い、そのホテルのフロントまで行って、「クリスティー・ホテルを探しているんですが」・・・と言うと、ここがそのホテルだと言う。狐につままれたようだった。(ホテル名を最近変更したようで、こんなことはパリでも経験した。あの時は、タクシーの運転手が古い名前を覚えていて助かったけれど・・・)
フロント嬢は、「あなたの部屋は予約されているので安心しなさい。チェックインの時間には間があるので、荷物を預かってあげるから、隣のレストランで昼ご飯でも食べてきなさい」と言う。私の荷物をカウンター越しに軽々と受け取り、机の横に置いた。アイルランドの人は行動が早い。

隣のレストランは古めかしくて体育館ほどある巨大なもので、観光客で賑わっていた。カフェテリアで好きなものをお盆とって会計をするのである。中には大きな水車もあり、子供づれの家族で混んでいた。白ワインとサーモンで軽く食事をして、、外に出てみると壁に創業1823と年号が出ていた。マローの宿の夫婦が、同じ泊まるならこの由緒あるホテルが良いと選んでくれたのだ。近くの古い教会を見たりショッピングモールの覗いたりして、部屋に落ち着いたのは3時過ぎ。風呂に入り、足の疲れをとり、インターネットへの接続を試みたら、意外と簡単に繋がった。転送速度が遅かったが、家へのメールやブログの更新が出来た。(私は、ゴールウエイでガイドブックを失っていて、ここに15世紀の「ブラーニー城」のある観光地であり、キスすれば雄弁になるという伝説の石、ブラーニー・ストーンがあることを知らなかった。)

夕食は近くのタイ料理の店で、トムヤンクンとカレーを食べた。前者は最近家もよく食べていて懐かしく、後者は白いご飯がまぶしく、早く日本に帰りたくなった。ビールはバンコック製であった。

明日、2時間も歩かないうちに私の徒歩旅行のゴールに到達するはずであるが、それからどうするか、未確定のことが多すぎて、憂鬱になってきた。これまでは、毎日宿を取り、長い道のりを重い荷物を背負って歩くのはそれなりの苦労はあったにしても、単純な行為の繰り返しであったが、急に選択肢が多くなり、都会の生活にもまれるのも、気が進まないのである。
アイルランドの田舎の綺麗な景色、人々の人情を、都会の雰囲気で汚染されずに、そのまま日本へ持ち帰りたい、そんな思いが強い。

ホテルのパンフレットを読んでいたら、「クリスティー・パブに寄らないとブラーニーに来たことにならない」と書いてあり、そういえば、今日はギネスを飲んでいないなと、ホテルに隣接するそのパブに向かった。ギネスが少し空いたところで、隣でビールを飲んでいた青年が話しかけてきた。自分は夏はビールで、冬はギネスを飲むのだといった。アイルランドは初めてか?といった質問から始まり、何やかや一時間くらい話しただろうか?日本の経済の話を聴きたがった。私はトヨタが今年赤字になったいうぐらいしか話題を提供できなかった。経済を論じるほどの知識と英語力がなかった。Hurlingという世界でもっとも早いというアイルランド特有のスポーツの話やら、コークの見所、逃してはならないパブも教えてくれた。来週は奥さんと2週間トルコに旅行するといっていた。恵まれ階級に属すのだろう。自分のビールの切れ目にすかさず、私のためにギネスも併せて注文した。アイルランドの人の奢り方は、電光石火で見事である。彼は大きなショッピング・センターのナンバー2であると名刺を呉れた。経済の話などいつまで続くかと思ったが、彼は奥さんが気になるといって引き上げていった。最初に家族があるか?との私の質問にはNOと答えたが、家族とはこちらでは子供のことを指すのかもしれない。あるいは、まだ、その奥さんとは正式な結婚をしていないのかも知れない。
自分の部屋に帰るともう10時を回っていた。

(7月26日のこと)

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