アイルランドの細道

マロー

朝、今日泊まる宿の情報をもらった。マローに着いたら、こうしなさいというメモを貰って、失っては大変とノートにも写し取った。私は国道を避けて、その脇を走っている別の道を歩きたいと思い、彼女に説明したら、その道の所まで送ってやろうというで、お願いした。連れてきてくれたのは国道の入り口だった。この方とは何かと齟齬があった。私の英語が悪いのか、彼女の聴力に問題があるのか分からない。昨日の小柄な女性との電話も十分聞こえてなかったのかもしれない。

考えてみれば、25キロ以上の距離をこなすには、この国道が一番なのは私も分かっていて、彼女もそう考えたのであろう。逆らわず、9時10分、国道を歩き始めた。
国道は歩くためのスペースが3メートルほどあって、横を走る車を無視すれば、大変歩きやすい。両側の景色は、すぐ私の好きな田舎の景色に変った。
1時間後、大きなレストランがあったので、寄ってみたが閉まっていた。途中Ballyheaという村を通過したが、私の地図には載っていなかった。今日の行程の中間地点Buttevantまで、5キロの標識が出ていた。珍しく雨に遭わず、ここまでは快調に進んできたのだが、やがて道幅が狭くなり、車が通るたびに、止まって身を避けねばならなくなり、加えて、空模様が不安定で、雨具を着たり、脱いだりせねばならず、神経が擦り切れてしまった。ようやくブテバントに着いたのはもう2時であった。パブに入り、1パイントのギネスを注文したら3.95ユーロだった。5,6人の男達がテレビの大画面で競馬の実況を楽しんでおり、ゆったりとしたパブのスペースはコミュニティーの場所だということがよくわかる。トイレを借りたら広く清潔で立派なものだった、アイルランドのトイレのレベルはどこも高い。ゴールウエーの日本料理店のトイレが恥ずかしいほど小さかったのを思い出した。このパブでは食事が取れず、勧められて、数軒先の、創業1786年と店の表に彫られたカフェに移り、スープとオムレツを頼んだが、食べ切れなかった。ここで初めて試みたのは、食事中、足を靴から出して、風に当てることで、これは効果があった。
3時、残りの10数キロの旅が始まった。1時間ほど歩いたところで、反対車線に車が止まり、女の人がこちらに向かって来る。日本女性で、日本語で話しかけてくる。レイノイズ順子さんといって、私のブログを読んでおられて、私が本人ではないかと声をかけてくださったのである。リムリックに住んで13年、これから家族で南の何とかという町に泊まりに行くところだそうである。私はアイルランドの景色の素晴らしさを言うと、順子さんは長く住んでいると気が付かなくなっているかも知れませんねとおっしゃった。わずかな立ち話でお別れした。ご主人や子供さんも車の中から手を振ってくれた。地球は狭いなあ!そんなことがあって、少し元気を取り戻し、マローへ向かった。
6時半になって、マローの入り口に着いた。ガソリンスタンドとスーパーなどのあるところで、通りがかりの人に町の中心までどれだけあるか訊ねると、まだ30分は歩かなければならないと言う。意を決して歩き始めるとすぐ傍にTOYOTAの看板やKeay’s という文字が見える。宿の人が書いてくれたメモでは、ここで電話をするようにと電話番号が書いてある。スーパーの隣に珍しくピサ屋があって、その店員をつかまえて、近くに公衆電話はないか?ここに電話をしたいのだが・・・と電話番号の入ったメモを差し出してみたが、娘さんはつれなく、スーパーに聞いてみたらと言う。隣のスーパーのレジでは客の応対に忙しそううで困っていると、その時奥から、でっぷりとした大きな、マネジャーらしい男が出てきたので、その人をつかまえは話してみたら、即座に携帯電話を出して、B&Bへ電話をしてくれた。「大きな帽子が目印だよ」と宿の人に言っているのが聞こえる。話がついたらしい。お礼を言いうと私の帽子のつばをちょっと引っ張って、たいしたことはないよという表情をして、励ましの積もりなのだろう、ぽんと私の肩を叩いた。
道端に立って待っていると、5分もしない内に宿の主人が車で迎えに来て、あっという間に宿へ連れて行ってくれた。こんなに簡単にことが進んでいいのかしらと思った。

シャワーを浴び、宿から数分のところにあるパブ兼レストランに食事に行った。
外観は落ち着いた店で、中へ入ると天井が6、7メートルもある立派な店だった。黒光りするカウンターで独りの男が、高いところに取り付けられているテレビでドラマを見ていた。私は、テーブル席で、ギネス、スープ、シェパード・パイを取ったが、パイは付け合せにサラダがたくさんついていたので食べ切れなかった。そして、ギネスをもう一杯追加した。これは私が私自身へ贈るプレゼントの積もり。
今日は私の72歳の誕生日なのである。
病弱な私を苦労して育ててくれた両親、40年近く何かと気使ってくれた家内、息子たち、私を愛し、助けてくれた妹弟、友人、多くの方々、ありがとう。
(7月25日のこと)

ここでお会いしたレイノイズ順子さんからは、後に私のブロッグに次のような書き込みがあった。

2009-07-27 07:13
まさか、お会いすることがあるとは思っていなかったので、道を歩いている姿をお見かけしたときは、本当に驚いてしまいました。
そして、あの日が72歳のお誕生日だったのですね。
とても70を過ぎていらっしゃるとは思えないお姿でしたので、あらためて驚いています。
ブラフまでの行程で、リムリックの町からもしR512を選択していらっしゃったら、我が家を通り過ぎていましたよ。
いよいよコークですね。最後までお気をつけて旅を続けてください。
そうそう、バンラッティでお泊りのホテルは、十数年前に私たちが結婚披露宴を行ったホテルなのです。
(このレイノイズ順子さんのHP「アイルランド・ライフ」http://www1.cjnavi.co.jp/ireland-e/reynolds.phpは家族を通じてのアイルランドの一面を描いて面白い)
さらに追記:
上記順子さんの頁は、「e-ふくしま」に掲載されていたものであるが、2013・3・30で閉鎖された。
事情は分からないが残念なことだと思う。)
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