アイルランドの細道

ブラッフ ― チャリヴァイル

8時少し前まで、ぐっすり眠った。食堂で女主人に昨日宿を取ってくれた礼を言うと、
「あなたのためなら何でもするわ」という、アリアの1節のようなのを歌って、ウインクした。隣のテーブルは高校生の娘さんを連れた家族だった。皆、シリアールを取っていた。お決まりのアイリッシュ・ブレークファースト。
色紙にサインを頼んだら、アイルランドの格言が引用されていた。

 May the road rise before you,
 May the wind be at your back

(貴方の前に道が開け、追い風が吹きますように)

これは徒歩で旅していた時代の格言だということが歩いた人間には良く分かる。

インターネットの接続を試みたがうまく行かず、この手のことはすぐ時間が経つのが分かっているので、途中であきらめた。
出発前、出勤前の人のよさそうなご主人や赤ちゃんを抱いた彼女と息子の写真を撮った。宿を出て振り返ると、赤ちゃんを抱いた彼女がガラス越しにこちらの方向ですよと手で示している姿が見えた。

ブラッフという町も見るところは色々ありそうで、町の名所案内では、ケネディー一家もブラッフ近くの出だと書いてあったが、どこも寄り道をせず、歩いた。
R512に沿って、10キロ進むとキルマルロックに着く。1時前だった。町の入り口に大聖堂があって、私は吸い寄せられるように入り口に向かった。重い木の扉が固いので、がたがたやっていると中から黒衣の、こけえた頬に髭を生やした神父さんが開けてくれた。ステンドグラスを通して明るい光が差しており、それから私と神父さんだけの時が流れる。まるで私を待っていたかのようである。
「あなたはキリスト教徒なのか?」
「いいえ、キリスト教徒じゃあありませんが、キリストを信じる良い知人が沢山いますよ」
といった会話から始まって、日本へは行ったことが無いが、長崎のこと(殉教者のこと)はよく知っている。最近は、いわゆる物質主義に犯かされ、無私の心、他人を思いやる心が少なくなっているのは嘆かわしいと。
私は「アイルランド人の方が日本人より宗教心があると思いますよ」と言って、デリーから歩いて来たこと話すと、
「それは素晴らしい。Slowは霊性のために大切なのです。日本人はトヨタみたいに忙しい人ばかりと思っていたが、良いことをしておられる。仏陀は急がれたでしょうか?仏陀はゆっくりです。」
そんな会話がいつまでも続きそうなので、伽藍を案内してもらうことにした。ステンドグラスの説明も面白い。イエスを失ったマリヤの悲しみをどのようにして回復したのでしょうか?・・・あそこに書いてあるラテン語はこういう意味です。・・・英語が理解できないながら、30分ぐらいいたであろうか?神父さんの大きな手と握手して、この町の中心部へ入っていった。
歩き出してしばらくして、たとえ5ユーロでも10ユーロでも献金しなかったことが悔やまれた。これは私の旅の中で痛恨の思い出である。というのは、貧しい譬えに「教会の鼠のように貧しい」というのがあるが、その神父さんは随分痩せておられたからである。後で調べると、この教会は聖ペテロと聖ヨハネ教会という1879年に建てられたものあった。

城門の残っている町、古い修道院の廃墟のある町、銀行もあったので、私はここである実験をした。というのはキャッシュ・カードがATMに吸い取られて以来、私はATM恐怖症にかかっていて、(こんな心細さは海外でないと味わえないだろう)私は銀行が開いているのを確かめ、もし何か異変があれば銀行に相談するつもりで、銀行の壁面にとりついるATM機でキャッシュ・カードを使ってみたのである。うまくいって、自信を半分くらい取り戻した。B&Bでは現金が必要だからである。

私はお腹をすかして、バー兼食堂へ飛び込んだ。粗末な木のきしむ階段を上るとそこが食堂になっていて、数人の男性が食事をしていた。外は夕立で、こんな時に降るのは大歓迎である。本日のスープは無く、ランチ・メニューは限られていて、結局魚のフライを取った。人参やグリーンピースの外、茹でたジャガイモが3つ付いていて、皆おいしかった。食後、修道院跡は近くまで行ったが、その遺構が霞んでしまうほど激しい夕立がまたやって来たので、近くの建物の軒先で通り過ぎるのを待った。

ここからチャリヴァイルは10キロ弱である。ひたすらに歩く。途中、赤い車の青年が乗らないかと誘ってくれた。
南方に山並みが見え、その向こうがコークだと思う。

6時にようやくチャリヴァイルの町に着いた。ここも結構大きい。ゴートや今日通過したキマルロックなど町はどれもよく似て、やがて私の記憶の中で区別が付かなくなって融合することだろう。
夕食を済ます手もあるのだが、今日の宿に落ち着いてからのほうがよいと、町の中心部に来て、町の人に、泊まる宿のことを、今朝、オ-ルド・バンクの女将が作ってくれたメモを見せて聞くが、皆知らないという。買い物帰りの女性に見せたら、そこに電話したらという。私が携帯を持たないというと携帯を差し出してくれた。私は携帯が使えないことを彼女に言って、かけてもらうと、彼女は、私の予約はされていないと言う。びっくりしてしまった。これから、どこか探さなければならないのだろうかと、その女性に言ってみると、そうだと言う。この時間にどうしようかと呆然としてしまった。なぜこんな手違いが生じたのだろうか?この方は身長1メートルの小柄の方で、しかも重い買い物籠下げて帰る途中に邪魔をしたのだから、頼んだ私の方に問題があったのかもしれないと恥じ入った。
ところが、その時、そばの建物の陰から中年の男が出てきて、「こんにちは」と声をかけてきた。日本語である。「こんにちは。さようなら」とまた言う。先ほどから、女性と私のやり取りを見ていたのであろう。工事現場の労働者風で、アンソニー・クイーンのような、長い顔の、大きなその男に事情を話すと、すかさずジーパンの尻のポケットから携帯を出して、電話してくれた。何故か分からないが、今度は間違いなく予約されていることが確認出来、場所もよく聞いてくれて、メモに地図を描いてくれた。地獄に落ちたと思ったら、あっという間に救い上げられて、本当に不思議な思いであった。東京へ一度行ったことがある。私はスロバギア人だと言った。メモに名前を書いてもらって、大きな手と握手をし、「ありがとう。さようなら」といって別れた。Barry Watsonというのが、神様が私のために遣わされた男の名前である。
その男の書いてくれた地図を頼りに歩くが、なかなか行き着かず、心細い思いが高じ始めた頃やっとたどり着いた。
女主人の笑顔が待っていた。アイルランドに来て以来、B&Bの女主人の出迎えの態度は、心底、旅人を安心させるものがある。

今度は、最初に明日の宿のことをお願いした。お茶かコーヒーでも飲むかといってくれたが、まずシャワーを取らしてもらった。部屋が清潔そのものだった。
着替えて、さっぱりしたところで食堂に行き、お茶を入れてもらった。トースト2枚、バナナ一本出してくれた。おそらく、夕食には出ないだろうと見込んでのことだと思った。「私に素晴らしディナーです」と言うと、彼女は笑っていた。主人もいるが、どこのB&Bでも、男性は表に出ない。明日の泊まりは25キロ南下したマローという町にしたが、宿の決定までにはいたらなかった。彼女のお気に入りのテレビ番組が始まったからである。居間には息子と2人の娘の卒業の時の写真が飾られていた。孫はいないのかしら?と思った。私の泊まった部屋もかっては子供の部屋だったのであろう。
今日も驚くことの多い一日だった。ジェムソンを呑みながら日記を付ける。

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