アイルランドの細道

ブラッフ

受付の女性は交代していた。ブラッフへの道順を教えてもらい、ホテルを出たのが9時20分。空模様は良くなく、はじめは30分以上昨日通った道を引き返す。それから東に数キロ進み、R512を真っ直ぐ、20数キロ南下するというのが彼女の教えてくれた道筋である。今日はかなり歩かなければならない。

地図ではR512の手前1キロぐらいのところに、R511というのがやはり南北に走っている。私はこれを取ることにした。理由は彼女の選んだ道はドライバーの感覚で選んでいるはずだから、車ならそちらが早いかもしれないが、きっと車も多いだろうと推測したのである。逆にN511は静かではないかという私の推測は見事に当たって、田舎道を歩いた気分にさせてもらった。時々夕立、時々晴れを何度も繰り返した。
雨を浴びて鮮やかな緑の景色を見ながら、どうして景色がこんなに魅力的なのかと思った。 エメラルドの牧草地を縁取る深い緑の樹影、建物、牛、馬、羊の点景。その上に360度に広がる空。このアイルランドの景色を、何年もかけてビデオで映像化できれば面白いだろうな、もうアイルランド政府が手がけているかしら。つまり、広く景色が広がるので眺望が見事で、普通のカメラでは表現できないからである。
もうひとつ大切なことは、一歩一歩、歩きながら、ひとつひとつの樹、草、花、牛、馬、羊・・雲、光・・・自ら目で確かめながら楽しむ喜びは、車窓からは絶対に味わえないと思う。

田舎道を歩いていて、こんなことが起きた。それは私の目に入るものが、私と同じように存在していているという実感なのである。うまく表現できないが、すべてのものが、一つ一つ立ち上がリ輝いて、普通の映像から、ハイビジョン映像に切り替わった時に感じる鮮明さと立体感で現れた。山川草木悉皆仏性、私を含め、総てのものが共に同時に存在し、その存在の中から透明に輝いているという実感なのである。お経の中に出てきそうな荘厳な世界である。何日も歩き続けて、私の意識が深化したのかもしれない。そのような見性体験に近い感覚が、数秒なのか数分なのか分からないが続いた。

旅の目的はこれまではっきりしなかったが、ひょっとしたら、この旅は、これまでのしがらみを断ち切って、新しい世界に、裸のままの自分を置いてみて、世界を、自分を、純粋な目で見るためのものかもしれない。

この沿線の農家は大きいものが多く、日本人から見れば、富豪の邸宅に見える。日本でも大きな農家があるが、アイルランドの田舎の家は圧倒的に日本を凌駕する。

長い長い道が続いた。12時半、道路わきでの昼食は、リンゴ、ビスケット3枚、ジェムソン2口、水。

歩き始めて7時間後、やっとMeanusという、パブが一軒、他に何もない村に着く。勿論入る。男二人、女一人が飲んでいた。これからの道順を聞いたりしたが、パブの主人の言葉は良く聞き取れなかった。隣でウイスキィーを飲んでいる女性の英語は分かりやすかった。「日本って遠い国なのね」と女性が壁の地図に目をやると、その地図はヨーロッパだけで、中国も日本も無かった。少し離れた、戸口の席にいるおじいいさんが時々、歌の一節をいい声で歌った。もう酔っているのであろう。女性ともおじいさんとも握手して、「気をつけてね」という言葉に送られて、ギネスの力も借りて、歩き始めた。後5マイル。わたしはここから斜めにブルッフに向かう道があることを地図で知っており、パブの主人にも聞いたのだが、結局その分岐が分からず、三角形の2辺を選んでしまった。細い田舎道をどんどん進み、時々出会う車に道を聞こうと手を挙げたが、車の中の人も手を挙げて通り過ぎたので、結局、ホテルの受付嬢の教えてくれたR512に出てしまった。6時前、予想通り車の往来が激しく、さらに歩行者の使える道幅が極めて小さい。こんな道を一日歩いていたら参っていたことだろう。
今日は10回ぐらいは夕立に会っているが、ブラッフに足を引きづりながらたどり着いた時も雨が激しく降っていた。

B&B「オールド・バンク」は、昨日受付嬢が印刷してくれたものによると、リメリック州で、もっとも歴史的なヴィクトリア朝住居の一つとされている。ベルを押しても反応がないので、困っていると、泊り客が帰ってきて、中に入れてくれ、女将も呼んでくれた。玄関ロビーの暖炉には火が燃やされていた。
女将は私が荷物も降ろさない内から、明日の宿は決まっているの?と訊ねた。私の心配を先取りしている感じである。早速、私の条件を細かく聞いて、ここだと思うところ電話をして、予約してくれた。心にくい処置である。この間、2歳ぐらいの男の子がまとわりつくのをうまく捌きながらのことである。
神様はいつも女神を差し向けて私を助けてくれる。

それから、やっと部屋に案内された。天井が4メートルもあろうかと思うほど高い。3つくらいの女の子とさっきの男の子がお母さんの纏わり付いて来て、私の寝るベッドに上がってタンボリンのように跳ねるのをうまく捌いて、降りて行った。彼女にはさらに5ヶ月の赤ん坊がいるという。

夕食は真向いに「中菜館」という中華料理屋があって、宿の人にどうかと聞くと時々テイクアウトで料理を買うということなので、そこに行った。ビールは青島ビール以外には置いていない。ヌードル・スープと焼きそば。汁そばが食べたいのだが、こちらには無い。考えてみれば、ナイフとホークの世界に汁そばは無理だろう。私は箸を出してもらって、さらに酢をお願いし、ゆったりした気分となって食べた。味はなかなのものだった。アイルランドでは中華料理店がいたるところにあり、大変美味しい。ウエイトレスはマレーシヤ出の中国系の娘さんで、こちらに来て3年になるという。私が久しぶりに見る東洋人なのであろう。なんとなく懐かしそうに話しかけてきた。高級な店構えだが、客は私一人だった。
帰って部屋の中を歩くと足の裏が痛かった。どっしりと大きなベッドに横たわり、今日一日の無事を神様にお礼を言った。

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