アイルランドの細道

クレア ―ボンラッティ

海外旅行ではちょっとしたつまずき、たとえば、鍵が開かない、電話をしても通じない・・・といったことでも神経をすり減らすものである。今日の私は全く神経をすり減らした。

私には当面やるべきことは、@7月23日のダブリンの宿の予約を取り消すこと。A7月24日のKLMの航空機の予約を取り消すこと B8月3日の帰国の航空券を確保すること。この一週間ぐらい前から試みるがうまくいかない。ABについては日本の旅行代理店もKLMもメールでの照会につっけんどんな返信、パソコンだけで処理しようとする私には役立たなかったし、KLMへは電話も通じなかった。(このことはまた別の時に書きたい)簡単に思えることもうまくいかないのである。逆に成功するととても嬉しいのだが。

今朝、ホテルの受付で事情を話して、@の方は先方の受付に繋げてもらって、キャンセルした。Aについて電話番号を調べて貰ったが、もうまく繋がらなかった。私の英語の聞き取り能力に問題があるのは確かだが・・・
いずれにしろ、ひとつ片付いたのはありがたく、一応満足してホテルを出発したのは9時20分だった。小雨が降っていて、煙るような風景の中を黙々と1時間半も休まず歩いた。ハイウエイの中央分離帯はコンクリートの壁から背丈ほどの木のグリーン・ベルトに変った。道が二股に分かれている所で小休止。小雨の中の向い風だと下半身が濡れてしまうので、雨具のズボンもを着けようとしたら、胴回りがなんだか寂しいのである。ハッと気付いた。いつも着けている胴巻きがない。胸に手をやるとパスポートとキャッシュ・カードをいれて首からつるしている小型のポシェトもない。ホテルに置き忘れてきたのである。2日前、キャッシュ・カードをATMに吸い取られた時と同様、パニックになった。とにかくホテルに戻らなくては・・・1時間半歩いた道を歩いて引き返すのはあまりにも苦しい。幸い対向車線を歩いているので、誰か車で運んで呉れないかと、私はヒッチハイクのサインを出して、車を止めようとするが、100キロ近いスピードで走っている車が止まってくれるはずが無い。何十台もやりすごして、結局自分の足でホテルに戻るしかないと諦めて歩き始めた。ところが10メートル先にテールランプを点滅させて止まっている車がある。駆け寄ると中から青年が出てきて、トランクを空け、中に入っている、水のペットボトルのケースを脇に寄せ、ザックを入れるようにと言ってくれる。地獄で仏とはこのこと。この青年に事情を話すとアット言う間に元のホテルに連れ帰してくれた。名前を聞いたのだが、気が転倒していてすぐ忘れてしまった。背の高い、男らしい気持ちのいい青年だった。

受付には今朝、電話のことで世話を焼いてくれたアンジェラさんがいて、事情を話すとすぐ部屋の鍵を渡してくれた。急いでそれを持って部屋に駆けつけると部屋は開いており、掃除が終わっていて、胴巻きとポシェット入れていた鏡の下の引き出しは空っぽだった。引き返してアンジェラさんに話すと数分待ちなさいとのことだった。その数分は長かった。掃除の娘さんがビニールに入った胴巻きとポシェットを持って現れたとき、本当に嬉しかった。この二つは注意して何時肌身離さず身に着けていたのだが、朝の電話のやり取りで、注意がまぎれていたのである。ちなみにこの二つには家内と息子のお嫁さんが持たせて呉れたお守りが入れてある。
出て来なければ本当に立ち往生間違いなしで、ダブリンまで引き返して、大使館のお世話にならねばならないところだった。
眼鏡の置き場所をいつも忘れる年になっているのだから、旅先ではよほど気をつけなければならない。
アンジェラさんが「お茶でも飲みますか?」と言ったが、ホテルのロビーにお茶でも運ばせましょうかと言う意味なのかどうか解らなかったので、ノー、サンキューと言って、ホテルを後にした。

再び歩き始めたのは12時近くになっていた。取り合えず、引き返した地点へと急いだ。今度は雨が上がり、朝とは別の美しい景色が広がっていた。元のところに戻ったのが、1時。リンゴとチョコバーの昼飯を取った。入道雲がいたるところに湧いていて、強い向かい風が吹いていた。時々雨が来て、傘を差して、ひたすら歩く。近くのシャノン空港に発着する飛行機が時々頭上を通るので、このまま空港に行き、日本に帰りたいと思った。やがて道が下りとなり、前方に入り江が光って見える。そろそろ、バンラッティの村は近いはずだ。ところが私の歩いているのは対向車線であるため、その村へ行くには大きく迂回しなければならないことに気付いた。いつに無く激しい雨が降る中、すこし惨めな気持ちになりながら、村への迂回路を見つけた。
道路の水溜りを避けながら、ようやくその村に入ると、おやと思うほど綺麗な村でB&Bもいくつもある。エニスの旅行案内所の女性は、ここにはB&Bはないと言っていたはずだがと不思議に思った。雨は上がっていた。近くに古城があって観光地なのである。しかし、ホテルに着くと、彼女がこのホテルを取ってくれたのが分かる気がした。このBunratty Shannon Shamrock Hotelは、平屋造りの、内装もクラシックで、昨日のホテルと違って落ち着いたホテルなのである。すべて神の采配が効いているように思えた。

たっぷりとお湯を張った浴槽に身を横たえると、「神様ありがとう!皆様ありがとう!」という言葉が口をついて出た。

私にはやらねばならぬことがたくさんある。KLMへ7月24日の取り消しの連絡と、できれば同じ時間の8月3日のKLMの航空券を取ることである。私の最大の誤算は、大きな町に行けば、KLMの事務所や旅行代理店があるだろうと思ったことである。アイルランドではそんな機能を持つ所はダブリンだけなのである。
まだ6時前なので、何とかKLMに連絡が取れないかと電話をしたが、KLMへうまく繋がらないのである。「予約の方は1のボタンを、予約済みの方は2のボタンを」といった機械的処理がなされている。何度か受付へ行って、係りのインド人らしい青年に尋ねているうちに、その青年が私のしたいことを聞き、電話をかけてやろうと言ってくれた。彼がやると不思議と電話は繋がった。要求の大体を彼が伝えたところで、私とKLMとの直接のやり取りとなった。今のフライトを取り消し、一週間後のフライトを取り、追加料金の5万円ほどをクレジットカード決済にしてと、延々20分はかかったと思う。目的は達成された。チケットの受け渡しはダブリン空港と言うことにして、その場所の連絡をe−mailで受けることになった。長いカード番号や電子メールのアドレスなどのやり取りは本当にうまく言ったのだろうか?確信が持てなかった。

確認のメールは未だだが、一応成功ということにして食事にした。ギネスのお変わりもした。今日のスープ、今日の魚のフライ。とてもおいしかった。アイルランドにきて、食べ物ついて失望したことは一度もない。
遅い夕暮れがはじまったが、まだ私の神経の糸は張り詰めたままである。裕福そうな若者の姿が多く見られ、ホールにおいてあるグランドピアノで客の青年が上手にジャズを弾いていた。
近くに中世の城があり、そこで中世風晩餐が食べられる。日本を出るときには、ぜひ一度と思っていたが、その余裕が無くなった。もう一度このホテルに泊まってゆっくりと過ごしたいもの。(帰国後、「地球の歩き方 アイルランド」にはボンラティー城の中世晩餐会の模様が2ページに渡り紹介されている。ディナーはナイフやホークのなかった中世のように手掴みで食べるそうである)
(7月21日のこと)
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