アイルランドの細道  

旅の準備

旅に出ようと決意して、先ず私が始めたのは、「アイルランドの細道」というブログと掲示板を作ったことである。これは私のアイルランド行きの決意を公にすることによって、決意がぐらつかないようし、やがて、アイルランドの旅をするとき、インータネットを介して、私の動静を家族に知らせる電話代わりとなり、また、ここに情報を蓄えて、必要な情報を取り出す、私の安全ネットにもなるという欲張った目的を持っていた。二つの方式のいずれが良いか、分らないので、両方を平行し使ってみて、出発前までに一方を選ぶつもりだった。機能的には両者の差は素人に分からなくて、最終的に掲示板を選んだのであるが、これが、後に閉鎖されることになるとは予想していなかった。

「アイルランドの細道」というのは、勿論、「奥の細道」から借りたものである。芭蕉への敬慕の気持ちも勿論あるが、何の目的もなく歩く点、芭蕉の旅に似ていると思ったからである。芭蕉はこの気持ちを「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあいて、・・・」と表現している。何のために旅をするのか?今回の旅の道中でも、旅の目的について、多くの人から聞かれたが、正直はっきりしない。それに私が歩くのは、人の多く行く観光地ではなく、巡礼路でもなく、余り知られない街道や田舎道を歩こうというであるから、「細道」と呼ぶに相応しいと思った。

行き先にアイルランドを選んだのも、英語が通じ、歩くのに手ごろの大きさという以外には決定的な理由はない。映画「風と共に去りぬ」のスカーレットがアイルランド人だというのがアイルランドを意識した初めではないかと思うが、10数年前、司馬遼太郎の『街道を行く−愛蘭土』を読んで、アイルランドに惹かれ、アイルランドの本を読み、地図など買った時期があった。シングの『アラン島』や戯曲、イェイツの詩を少し読むようになり、そんなことが伏流として流れ、やがて、アイルランドへ行こうという思いになったのだろう。ケルト文化の残る妖精の国・・・なぜか自分でもよく分からない。

このネットへの公表によって、旅の計画が具体的に進み、思い返しても楽しい準備期間を過すことになった。旅の3分の1は行く前にある。毎日がアイルランド行きに向けて流れていった。

アイルランドの資料収集-アイルランド政府観光局へ行って貰ったり、大学クラスメートの占部勲司君が世界旅行博へ集めて送って呉れたりしたのでずいぶん集まった。

いつ、どのくらいの期間、どこを歩くか
地図の上で色々シュミレーションをするのは楽しく、また、巡礼の人達の一日の行程やら荷物の重さなども調べたりした。

旅装、通信手段、フライトの手配ー特に旅装は何度も登山用具店へ足を運び、靴やリックなど選ぶのは、若いとき山の道具を揃えた時と同じ楽しみが蘇ってきた。

コースは、アイルランドを北から南へ徒歩で縦断することは最初から変わらなかった。基点は、高校時代に習った「ロンドンデリーの歌」の北のデリーから南はコークを目指す。
徒歩旅行としたのは、若いとき、友人の吉岡さんと兵庫県横断、四国横断などの経験があり、車や鉄道で通過する旅に比べて、味わいが全く異なることを知っていたからである。

勿論、体調をそれに向けて作らねばならなく、歩く練習、体重減量、歯の治療などやることが一杯あったが、いつも「アイルランド、アイルランド、アイルランド」と心の中でつぶやきながら過す日々は一種の昂揚状態で、そのハイな気持ちで、あっという間に1年が過ぎてしまった。
結婚前の娘さんの気持ちに似ていると言えばちょっと大げさだが・・・・

この間のことで、後の旅行者にも役立ちそうなことは、旅行記の後に載せることにして、旅の出発から書くことにする。

写真:アイルランド政府観光局や占部君から頂いたアイルランドの資料

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