アイルランドの細道 |
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クラリンブリジ
9時20分、B&Bを出て、宿の前の道をまっすく南に歩く。二つ目の信号を右に折れるように言われたのだが、その信号が現れるまでに、20分以上も歩いた。N6へ入って右手に湾が見えた。ゴールウエイのほうまで深く切れ込んでいて美くしい景色である。Oranmoreの村の少し手前の橋の上で、10人ばかりの子供たちが先生に連れられて、なにやらやっていた。鴨や白鳥の数を数えていたから、理科の授業だろう。写真を撮らせてもらった。しばらく行くと小さな黒ずんだ教会があって、その一角が旅行案内所になっていたので、付近の地図でも貰おうと入っていったが、出来合いの地図はなく、目的地までの詳しい地図をコーピーしてもらった。それにしても、旅行案内所が教会の中で、すぐ隣が墓地というも珍しい。
1時にクラリンブリッジに付いた。1885からあるというパブに入った。老人が5人ギネスを飲みながら話していたが、どうやらゲール語のようだった。夕食の事を考え、傍の何でも屋で、チーズと洋ナシを買ったら、棚を整理していた主人が、「日本人か?」と聞くのでそうだと答えると、1リットルのペットボトルの水を無造作に取り出し、呉れた。レジの番をしていた奥さんは微笑んでいた。アイルランドではこの手の店では入れ物(ビニール袋)を呉れない。それらをむき出しに手に持ったまま、すぐそばのレストランに入った。スープとシーザースサラダを取ったら、どちらもびっくりするほどおいしかった。昨日の魚料理店もそうであったが、この辺り一帯は味のレベルが高いのかもしれない。中年の婦人2人が楽しげに昼飯を食べていた。
宿はそこから少し行って、左折して、街道から離れ、1キロあまり、車が一台通れるほどの道を歩く。木々の緑の中に立派な家が点在しており、人影は見えない。途中、7、8歳ぐらいの女の子二人が私の背丈ほどある塀の上で遊んでいたので、写真を撮らせてもらった。子供たちには余りにも静かな世界である。この2人以外には誰も存在しないという感じなのである。3時、今日の宿Kuraun Houseに着く。品のよい老婦人が優しく迎えてくれた。アイルランドに来ていつも思うのだが、客を迎えるやり方が、自然で上手である。その対応でほっとさせられる。部屋は清潔そのもので、塵一つなく、磨きぬかれているという感じである。
こんな早く宿に着いたのは初めてなので嬉しく、まず洗濯物をした。そして1時間昼寝をして、あたりを散歩した。大きな家が適当な間隔であり、緑豊かなこの一角は、日本人にはまるで桃源郷のように見える。濱までは近く、水の見える辺りまで行ったが、犬に吠えられるだけで、緑の宅地での散歩は直ぐ飽きてきた。余りにも静なのである。
女主人テレサさんに夕食のことを聞かれ、なんなら、レストランまで車で連れて行ってあげようか、と言われたが、お断りした。まず第一に、朝と昼の食事で取りすぎるほどの量をとっているし、第二に連れて行ってもらうのは良いが、帰りに1キロ以上歩くのはいやだし、第三に、先ほど村でチーズと洋ナシを仕入れておいたので、これで十分なのである。それにジェムソンがたっぷりある。一人で晩酌するのも楽しいものだ。また、アイルランドのB&Bではお茶は直ぐに沸かせるし、インスタントコーヒや紅茶、それにクッキーのようなものも付いている。
テレサさんとの会話でこんなことがあった。私の旅の目的について質問があって、私がいつものように「わからない」と答えると、”for charity
? or for fun?"と聞き返す。「チャリティーのためか?それとも 気晴らしかのためか?」ということらしい。私はどちらにも当たらないと思ったが、チャリティーのために旅をしているのではないから、気晴らしのためという方を選ばざるを得なかった。アイルランドではチャリティーのために旅をする人があるのかと聞いたら、あると言う。もう少し詳しく聞いておけば良かった。バリンロッホという村のパブでコインを沢山戴いたのもこれに関係があるのかも知れない。
インターネットの接続は26桁のネットワークキーを2度間違いなく入力しなけれらばならないが、一度でうまく行った。
昨日と違って、本当に平穏無事に日が過ぎ、これも旅の途中の掛け替えの無い一日となった。
(7月17日のこと)
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