アイルランドの細道

ゴールウエイ アラン島

この日のことは忘れられないだろう。1日で3日分ぐらいの体験をした。

昨夜、gmailがつながらなくなった。海外では、gmailが良いだろう思っていたが駄目だった。
どんな現象が起きるかといえば、パスワードを要求してきて、そのパスワードを入れても、いくらやっても誤りと出てきて、ラチが開かないのである。アイルランドで10回くらい経験済で、パスワードを要求し始めるとガッカリする。連絡をしたいことがあって、新しいアカウントを取ったら、前のアドレスのものが見えなくなってしまった。日本を出る時、知人に連絡はGmailして欲しいとわざわざ切り替えたのに不本意なことであった。

9時過ぎ、宿の前からバスに乗り、昨日の旅行案内所へ行き、向こう2日の宿を押さえた。対応してくれた青年にアラン島行きのことを聞くと、11時の便があるはずで、チケットはあらかじめ買っておく方がよいと教えてくれた。近くのチケット売り場でチケットを買って、よく見ると12時発となっている。切符売りの青年に、旅行案内所の人が11時発便があると言っていましたよ、と言うと、切符をボールペンで11時に修正した。そして11時バスの発着所に行ってみると、車も人もいない。また別のチケット売る場で聞くと次の便は12時だという。そんなやり取りで疲れて、ケネディーパークのベンチで休んだ。隣に6,7歳の男の子を連れた黒人の親子が座っていたので、男の子に日本のコインを上げようといったら、母親がその子に、貰ってはいけないと目でサインを送ったので、男の子は手を引っ込めた。とにかく12時まで時間をやり過ごさなければならない。
更に喫茶店で時間を潰し、早い目にバスの発着場所で待っていると、長い列が出来た。ところがやって来たバスは、行列の最後尾あたりに付けたので、先に並んだ人が最後に乗る羽目になった。、50人余りの人を乗せて、バスは5分遅れで出発した。アラン島行きフェリーの出るロッサヴェールまで1時間、道中はリゾート地らしい海岸べりのプロムナードが続く。海水浴客、青い綺麗な水、岩の露出した景色。フェリーで50分、憧れのアラン島のひとつ、イニシュモア島に着く。アラン島はシングの『アラン島』を読んで以来、一度は行きたい所で、また、行った人も一様に行って良かったと言うので、日程上、せめて日帰りでもと思って来たのである。

上陸すると貸し自転車屋が数箇所あって、その先にピア・ハウスというレストランが目に付き、そこへ向かう。食堂は昼食時のピークを過ぎていたので、大変静かで、窓から明るい日差しは差し込んでいて、窓際のテーブルに目をやると、2人の中年婦人が山盛りの料理を食べていた。私はギネスとスープ。「本日のスープ」は茶色のパン2枚とバターが付いているので、日本で言えば、味噌汁に飯という感じなのだが、私には丁度良い。スープを飲んでいると心身のぜんまいが緩み始め、来て良かったという思いがこみ上げてくる。
今日は体を使わないと決めているので、貸し自転車には用がなかった。旅行案内所で聞くと、観光バスが少し行った所から出ていると言う。観光馬車も2,3台いた。それらしきマイクロバスを当たるのだが、もう行かないという。ところが、尋ねた男が、あれに乗れと車を止めてくれた。既に10人くらい乗っているマイクロバスの中に割り込ませてもらった。10ユーロ、2時間半ぐらいで島を一回りするという、私にはうってつけのものである。
車1台しか通れない細い道を運転しながら運転手がマイクで説明する。これが何世紀の教会、これが・・・と、めまぐるしい。時々自転車に乗った観光客とすれ違う。島を半分以上行ったところで降ろされ、4時半に出発だという。1時間ほど時間がある。ドゥーン・エーンガスの遺跡である。青銅器時代、BC9世紀くらいものとされていて、丘の上、海に面して100メートル近い断崖を背に、半円形の砦のようなものがある。入り口に小さな展示場があって、そこで入場料2ユーロを払い、そこを通り抜けて、20分ほどかけて丘に登るのである。今日は動くまいと思っていたが、これは見ずにはおれない。この日はずーと天気がよく、この時も陽が差していた。石でごつごつして歩きにくい山道を登っていくと、降りてくる人が一様に幸せそうに笑みを浮かべていて、目で挨拶してくれる。登るにつれて、展望が開け、その美しいこと。砦まで来るともう、満足感で一杯になる。心の中で「アラン島に来て良かった!」と何度も叫んだ。島を大きく俯瞰でき、この島全体が岩で出来ていることが良く分かる。神々が降臨する聖なる場所といった、落ち着いた見事な景観なのである。アイルランド旅行の画龍睛点に当たるものかも知れない。大西洋に向けて切り立った断崖の上に半円形に作られた砦のようなものは何のためのものかはっきりしないという。ここからの景観は素晴らしくいつまでも動きたくなかった。海を隔て本島も見えへ、紺碧の空に白い雲、大パノラマが広がり、心が清らかなっていくのがわかる。この景色は生涯忘れないであろう。
バスは帰りは別のコースを通り、船着場のあるところへ帰ってきた。フェリーの出港までまだ時間があり、ス-パーでソフト・クリームを買い、近くのベンチで、ぼんやりと陽に当たりながら舐めたり、アランセーターの店や土産物店を見て回った。家内に頼まれていたアイルランドの陶器の人形が、そこに並べられていたが、徒歩旅行者は途中で土産物は買えない。

満ち足りた気持ちで帰りのフェリー乗った。そして、降りてから事件は起きた。
皆がぞろぞろ歩くのに付いて行くと、なんだか様子が変なのである。前を行く人にバスの発着場へ行くのかと聞いたら、自分達は駐車場へ向かっているのだと言う。あわてて引き返したが、もうバスの姿は見当たらなかった。後で考えてみると、バス組みは、バスの時刻に間に合うように、早々に下船し、急がないマイカー族のグループの中にのんびりと私はいたらしい。茫然自失。今回の旅で始めてである。バスの発着場の近くには、別の小さな駐車場があって、そこを管理している青年に聞いてみると、定期バスはもうなく、タクシーを呼ぶ以外にゴールウエイに帰る方法は無いと言う。夕立が降り出し、青年は駐車場の入り口の小屋に入れという。心細い気持ちで雨脚を見ていると、タクシーは5、60ユーロでゴールウエイに行くという。青年が呼んでやろうかと言うのでお願いした。アイルランドでまだ一度もタクシーに乗っていないので、まとめて乗ったと思えばよい。(実はスライゴーで一度乗っている)青年は50ユーロと料金を決めてくれて、タクシーのいる所まで連れて行ってやるという。青年の車に乗せてもらって、すぐそこだろうと思っていたら、なかなか、着かないのである。途中で、あなたは本当に50ユーロ持っているか?と聞く。持っているというと先にそれを渡してくれという。少し変だと思ったが渡した。他愛もない話をしながら、ずいぶん行くので、君がゴールウエイまで連れて行ってくれるのか聞くと、もう少しでタクシーのある村に着くと言う。長い距離を来たので、君にも少し払わなければならないねというと要らないと言う。
待っている車のところまで来た。「あの時、君に会わなかったどうなっているだろう。君は僕の天使だよ」といったら、腹を捩じらせ笑った。車はタクシーではなく、所謂白タクで、引き継がれた男とのゴールウエイ行きが始まる。助手席に乗っ手いるので、横をちらりと見たところ悪相でもない。「ダニー・ボーイ」は日本でも知れ渡っているとか、エンヤの話やら・・・今旬の魚は何かと聞けば、海老と鯖だという。今日はゴールウエイで魚料理の店に行くつもりだ、とサブザックから「地球の歩き方」を出して、店の名前を言うと1つは知っていて、その近くまで行ってくれるという。そんな話をしているうちに、ゴールウエイに着き、握手して別かれた。
後から考えたことであるが、天使だといった時、青年が笑ったのは、私のような人間が絶えずいて、タクシー(白タク)と組んで、捌いているのかもしれない。

車を降りた先からは、肩を摺り合うほどの人出の多い目抜き通りとなる。シーフードの店はすぐ見つかった。半分はフィッシュ・アンド・チップスを売り、半分はレストランである。外に出してあるメニューからもなかなかよさそうである。その時ふと、「地球の歩き方」をタクシーに置き忘れたのに気付いた。私の持参している唯一の資料で、これまでも大変役に立っていた。2度目の呆然自失である。気を取り直して、レストランへ入ると、10名ほどの待ち列が出来ているので、げんなりして、店を出た。数メートルの所に本屋があって、ガイドブックを買おうと物色したが、どれも上質紙を使った重いものばかり。ガイドブックに頼るなとの神の思し召しと思い買うのを諦めた。
もう一軒のシーフードの店は、かすかにガイドブックの地図で場所を覚えていたのを頼りにを探したが無かった。「敦煌」という中華料理屋があって、湯麺でも食べようかと入りかけたが、もう一押しと10メートル進むとなんとそこに目的の店「コロンズ・シーフド・レストラン」があった。先ほどの店に比べ、モダンで静かだが、ここも満席だった。ドアの入り口に立っていると、ブッシュ前大統領そっくりなマネジャーがやって来て、奥のバー・コーナーで待ってくれと案内された。そこには年配の男が既に白ワインを飲んでいた。高い椅子に腰を掛け、私はギネスを1パイント頼んで、カウンターの下を見ると、ガラスケースに牡蠣が目に入ったので、半ダース頼んだら、ブッシュさんのようなその男は、「ギネスに牡蠣は最高の取り合わせだ」とケースから3つばかり取り出して、牡蠣用のナイフを見せ、自分で開ける?と聞く。私が出来ないと言うと、大きな手のひらに牡蠣を乗せ器用に殻をはずし、その手をぬっと突き出して、そのまま食べろという。皿を使わないのである。それを受け取って口を持っていく。磯の香をたっぷり含んでおいしい。ギネスが来るまでにもう一度手渡され、ギネスが着てからさらに1個呉れた。後からカウンターに来た若い二人連れにも一個づつ上げていたが、彼らはレモンが欲しいと言った。私はなんと馬鹿なと思った。そのままでどれだけおいしいか知らないな。
ワインの飲んでいる男とマネジャーと日本語の話しになった。「ありがとう」「ありがとうございます」を教えて、男が乾杯の日本語を聞くので「カンパイ」と教えると、グラスを差し出し「カンパイ」といった。程なくして、私の席が出来たというので、隣の男と「カンパイ」して別れた。その時まで、オレンジ色のレインウエアを羽織っていた私に、マネジャーは「まだ雨ですかね?」とやんわりと脱ぐように促した。場違いな原色の雨具を部屋でも着ていた自分を恥ずかしく思った。
スープと鯖の料理を頼んだ。タクシーの運転手が鯖が旬だと言っていたからである。勿論ワインもハーフボトルで。
出てきたのは、日本人なら3分の1でよいほどの量で、中ぶりの鯖が三匹がグリルされて野菜の上に乗っていて、横に蒸した白いご飯が石庭の山のように盛られていた。鯖は、どう調理されているか良く分からないが、ハーブやスパイスで鯖の臭みを抜き、見事なものであった。今回の旅行中最高点を上げたいほどだった。2匹は食べたが3匹目はもう手が出なかった。幸福感がこみ上げてくる。朝からいろいろあったが、良い一日だったなと思った。請求書には先ほどの牡蠣の代金は含まれていなかった。店長の奢りということだろう。
帰りはタクシーに乗れば楽だと分かっていたが、自分に平静だと言い聞かせるために、ケネーディーパークへ戻り、もう客も殆どいない、バス停でバスを待って、それで帰った。

天国と地獄が交互にやってきて、まるでアイルランドの天気のような一日だったが、幸せな一日だった。

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