アイルランドの細道

ゴールウエイ

今日はゴールウエイまで10キロ歩くだけが、やるべきことがたくさんある日である。

一度目が覚め、次に目が覚めたのは8時だった。食事、パッキング。ホテルを出たのは9時半、しばらくは良い天気だった。アイルランドの景色にはバッハやモーツアルトが似合うと思いながら歩いていると、やがて雨となり、20分前後で止む。このような雨が3度繰り返された頃、ゴールウエイの入り口に着いた。雨が降るのはやむを得ないのだが、通る車に雨水をひっかけられるというおまけが付く。小さな銀行があったので両替えをした。1ユーロ137円で、日本を出るときと変わりがなかった。道幅の狭い古い街道筋と思われる道に沿って歩き、都心に近いパブで半パイントのギネスで休んでいたら、横に坐っていた青年が旅行案内所の場所を教えてくれた。それは私の行こうとしていた所とは異なっていたが、折角教えてくれたのだからと、それに従った。ゴールウエイには旅行案内所が二つがあって、青年の教えてくれたケネディーパークにある案内所へ行ってみると、ここでは宿の予約が出来ないことが分かった。広場は緑の芝生が美しく、若者たち観光客で一杯で、町はこれまで見た町の中で、ダブリンに次いで開けていた。バスが行き交い、明るく4階建てのビルもあって、近代的な町だった。勿論老夫婦や中年の旅行者もたくさんいた。

まず、今日と明日の宿を取るためにもう一つ旅行案内所へと向かった。そこは大きな案内所で、受け付のカウンターが長く、6、7人の係員が対応していて、待ち行列が出来ているが次々とさばかれるので、待つほどのことはなかった。色々調べてくれて、取れたB&Bは郊外のマリンパークというところだった。バスで行けばすぐですよ、と言われ、そこに決めた。一番困ったのは、この町にKLMの事務所や日本の旅行代理店が無いことだった。予め取っている帰りのフライトの予定日までには、この徒歩旅行は終わらないことが分ってきたので、ここでフライトの変更を行ない、作戦を練り直そうと思っていたが、当て外れでだった。手数をかけた案内所の美しい娘さんに写真を撮らせて欲しいと言ったら、はにかんだ。そのはにかみ方はもう日本の娘さんには見られない初々しいものであった。
町は新宿や浅草の祝祭的な賑わいである。広場の近くの大きなレストランでスープ(これにはパンとバターが付く)とギネスの昼食を取って、バスに乗ってマリンパークへ向かった。アイルランドで市街のバスは初めてである。長距離バス並みの大きさである。料金がいくらなのかも知らない。傍の人に1・6ユーロだと教えられ、乗った。20分足らずで、鬱蒼とした公園を通って、マリンパークに降り立った。あたりをぐるりと見渡すと、大学の研究棟やスタッフの宿舎のようなものがある一角である。周りを見渡してもそれらしきものはない。人影も無い。私は間違ったところに降りたと思った。ようやく大学の先生らしき紳士が通り合わせたので、聞くと、公園の門を出て左に行けと言う。公園の門はさっき通ってきたがだいぶ向こうである。とぼとぼとそちらに向かっていると、後からさっきの紳士が呼んでいる。実は左は間違いだった。門の右だ、という。もしこの紳士が自分の間違いに気付かなかったら、私はどうなっていただろう。門を出ると、すぐの目的の宿は見つかった。住宅地の中の普通の家で、居間でテレビを見ていたこの家の娘さんが迎えてくれた。ごく普通の家庭の日常へ飛び込んだという感じだった。

5時、B&Bの向かいからバスに乗って、都心へ出る。町はいたるところでパーフォーマンスや演奏が行われていた。観光地らしい、ごったがやした町である。人ごみを縫いながら、ガイドブックの「地球の歩き方」に出ている「河童屋」という日本料理店を探した。日本を離れて20日も経つとさすがに日本料理が食べたい。裏通りに、やっと小さなレストランを探し当てて入ったら、日本の娘さんが居て、夕食のメニュー6時半からだという。吟醸酒一杯とサーモンの巻き寿司で時間を繋ぎながら、メニューを検討するのだが、丼物が主体で食べたいものがなくて困ってしまう。考えあぐんだ末、すき焼きを取ったが、固い肉、たまねぎ、豆腐が醤油で煮てあった。ご飯と味噌汁が付いていて、ガイドブックに書いてあるように、味噌汁はおいしかった。味噌汁を褒められるようでは店主は恥としなければならない。期待が大きすぎたのであろう。あるいは外国人相手だからこんな形になるのであろうか?日本を代表しているわけだから、日本人のためにも外国人のためにも、もっと工夫して欲しいと思った。
8時過ぎのバスに乗って帰った。今度はマリンパークのひとつ手前で降ろして欲しい運転手にお願いして、無事宿に帰った。まだ明るく、子供たちが外で遊んでいた。

(7月15日のこと)

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