アイルランドの細道

クレアゴールウエイ

珍しく8時まで眠った。ビスケットと紅茶の朝食を取って、下のパブに行って、タンヤさんに会った。タンヤさんはカウンターの中にいて、男友達もその中に入って、タンヤさんにまつわりついていたが、用件を話すと、男性をやんわり突き放し、即座に携帯電話を取り出し、ホテルを取ってくれた。中年の物静かな婦人だが、てきぱきと物事を運ぶタンヤさんのこんな気性を昨日の少女はよく掴んでいると感心した。クレアゴールウエイ・ホテル、69ユーロ、都会に近いことを考えるとこれでも安いのかもしれない。私は携帯電話を持っていない。ホテルやB&Bの載った冊子があるので、それを使いながら、電話で宿を取るのが一番簡単なのだが、それでは地元の人との接触はほとんどなくなる。いつも旅行案内所や宿の人の手を煩わしているが、その分、人と話ができる。それに宿と直接話した場合、聞き違いによって思わぬ失敗をしかねない。私の英語の力はその程度のものなのである。

9時36分、宿を発って、30分ほど歩道を歩く。いつまでも歩道があるのは、それだけ町が大きいことを示す。町はずれは峠になっていて、チュアムの町が遠望できた。N17は車の行き来が激しいが、道幅が広く、昨日のように、車のため身を避ける必要はない。天気は明るい曇り空で、ところどころ青空を見せて、また広々とした原野が広がる。今日は23キロ歩かなければならない。それにしても、アイルランドの景色は、もう20日近く毎日見ているのに、飽きが来ないのはなぜだろうか?一歩一歩、心のカメラのシャッターを押し続けている。もう何十万枚の映像が収められた。

私が初めて徒歩の旅をしたのは、1944年のことだと思う。神戸の空襲の後、国民学校1年生の私は一人、広島県豊田郡七宝という村の母の実家、祖母の下に疎開させられ、しばらく祖母と二人だけで過ごした。その時、七宝から三原の町に叔母を訪ねて行った。4キロの道のりを、沼田川に沿って、小柄の祖母の後について歩き、途中一度配水機のある所で休んだ。これが私の最初の徒歩の旅だったと思う。叔母さんに武者絵の丸いメンコと色鮮やかな独楽を買ってもらったのを覚えている。祖母は猫のように魚が大変好きで、「弘や、大きゆうなったら、鮭を買って送ってつかあさい。身の方でのうても、頭の方だけでもええけんの」と言っていた。私は確かに送る約束をしたのだが、その約束は果していない。祖母が逝ってもう50年以上になるだろう。祖母が今晩はおじや(雑炊)だというと、私は恐れをなして、同じ村の山田という家に逃げ込んで、おじやを回避した。そこで夕飯を食べて、夜はそこのお姉さんの布団に潜り込んで寝た。ぐつぐつ煮込んだものは、かなり大きくなるまで、苦手だったが、今は好きである。そう言えば、アイルランドのスープはおじやに近い趣がある。
その後、さらに8キロ先の母の姉の家に預けられ、両親や妹弟が神戸から七宝に疎開して来ると私も合流した。このころの両親の苦労は大変なものだったろうと今頃思う。

アイルランドの大きな空の下、いつの間にかそんなことを考えながら歩いていた。歩くことに慣れが出てきたかもしれない。牛や馬がよく見てくれた。羊のように横目で見るということをせず、ちゃんと顔の正面を向けて見る。羊もこちらを見るのだが、横着な態度で、スタイルが定まらない。

一時間毎に小休止を取りながら進む。
こんなこともあった。道がT字状に分かれている角に、車が止まっているのを通り過ぎようとすると、窓を開け手を振る人がいるので、近寄って見ると、40前後の男が「あなたを昨日、ダンモアで見たよ。」と話しかけてくる。私のことが知りたいらしい。男も車から出て立ち話、アイルランドに住んでいるか?何時までいるのか?そして最後に
「家族はあるの?」
「日本に家族はいるよ。」
「僕はあなたのことが気になるんだよ」
「心配してくれて、ありがとう」

 幾山川 越えさり行けば 寂しさの 果てなん国を 今日も旅する
こんな感じで、天涯孤独の老人が寂しさをまぎらわせるために歩いているとでも思ったのだろうか?
先回りして道端に車を止め、私が近づくのを待って、声を掛けてくれた男の気持ちも分るような気がした。
幸い私は天涯孤独ではない。喜びも悲しみも大半は家族によってもたらされている。
そのことを知らずに過ごす人は、人生を半分しか生きたことにならないだろう。その男の家族のことを聞いておけばよかったと思った。あたりは人家のない、広々とした牧草地だった。

昼飯にありついたのは3時近かった。ガソリンスタンド横の何でも屋でサンドイッチとジュースを買って、隣の閉まっているパブの前にあるベンチで食べようとしたら、雨が激しく降ってきた。小さな軒先に退避したが、吹き込んで来て役立たない。結局傘を差して食べ、雨が小降りになるのを待った。そこからなお2時間歩き、5時にやっとクレアゴールウエイ・ホテルに着いた。美しい娘さんが迎えてくれた。ホテルはそれほど大きくないがまだ新しく、良いホテルの持っているものはすべてそろっているピカピカのホテルだった。まず、長らく洗濯できなったズボンを洗い、といっても洗面器に洗剤を入れて浸しておくだけだが、その間、浴槽にたっぷりお湯を張って、のびのびと身を沈め、長い間じっとしていた。
インターネットは見事につながり、書いていた日記をネットに載せた。
ホテルのレストランでビールとスープと小さ目のステーキを頼んだが、ボリュームがありすぎて食べ切れなかった。
明日はゴールウエイ、ここで後半の計画を練り直すつもりである。宿もそこへ着いてから決める。
(7月14日のこと)

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