アイルランドの細道 |
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ボイル、そしてフレンチパーク
この旅は、毎日、毎日、未知のページをめくるようなものである。そのページにはいっぱい書いてあるのだが、ここに書き残すのはその一部である。
毎朝、知らない家の食堂で朝食を取り、日本にいる時の3倍は食べる。
今朝は、べーコンを外してもらったら、スモークド・サーモンがたっぷりと付いていた。昨日の彼女の話が私の英語力の乏しさからほとんど分からなかったことを白状して、今日自分がやりたいのは、King
houseを見ること、旅行案内所でゴールウエイまでの宿を押さえることだと一方的に言うと、公園はどうするかと来る。昨日から公園の話は何度も出てきて案内したいのであろう。11時過ぎに帰ってくるので、それから案内してくださいと言って、10時前宿を出た。地図で旅行案内所はこのあたりと見当をつけて行って、通りがかりの若い婦人に聞いたら、200メートル先だという。腑に落ちず、道を渡ったところで年配の女性に聞くとすぐこの裏だと言う。「私はそこのスタッフで、眼鏡を車に置き忘れたので取りに行くところです。すぐ戻りますから」と、彼女は身つけている緑のスカーフを指差した。この緑のスカーフは旅行案内所のスタッフの印である。この人(アンさん)と宿探しが始まった。実は私は「今日は10キロ、明日から20キロ刻みで適当なところをお願いします」と頼んでおいて、彼女が探している間、隣にある王の家を見学しようと思ってのだがそうは行かなかった。巡礼路を歩いているわけではないから、決まった宿がある訳ではなく、大変難しいのである。宿があったとして、空き室があるか電話で確かめる。電話が繋がったり繋がらなっかったりで、試行錯誤を繰り返すのである。その都度私の意見を求められる。「71歳の日本の男性がね、デリーからコークまで歩いていこうとしているのですが・・・」と彼女が誇らしげに言っているのが聞こえる。他の客を適当にあしらいながら、真剣にやってくれるので、申し訳ないというと、あなたはビッグ・マンだ。特別だと言いながら、作業を進める。1時間半が経った。途中で宿の女主人に帰りが遅れると電話してもらった。今日と明日と宿が取れ、ひとつ飛んで4日目の目鼻をつけておしまいにした。ゴールウエイまで手配していたらさらに一時間かかるだろう。今日の分、明日の分と別々の封筒に予約書と道しるべを書いたものを入れてくれ、至れり尽くせりなのである。別れるとき握手のほか、背中に手を回し、頬ずりをしてくれた。なんだか妙なもて方である。
大急ぎで、すぐ隣にある、18世紀中ごろ建てられた貴族の館「王の家」を見学。客は私一人の館内を、蝋人形などで当時の様子が再現されていて中を、走るように見る東洋人に、係りの人は変に思ったかも知れない。この町は真ん中にボイル川が流れていて、趣のある起伏もあって、観光スポットもあるこの町を1日は滞在したい所である。立派なパブで昼飯をギネスとスープで済ませて宿に帰ったら、1時をはるかに回っていた。それから、娘さんとも一緒に写真を取り合って、ザックを女主人の車に積み込み公園へと向かった。森と湖のロッホ・キー公園で320ヘクタールあるという。車から降りて10分ばかり歩いた。ブレンダさんは2男1女の母、58歳。この公園を歩くのが趣味らしい。彼女の最も好きな場所を人にも見て欲しいのだ。私はこの人と恋人のようにいつまでも公園を歩きたかった。生憎の曇り空で湖水も森林もくすんで見えたが、一緒に歩いているブレンダさんにはどこか清風が吹きぬける爽やかさがあった。時間がないのですぐ町の出口の今日歩きは始める場所へと連れていってもらった。このまま、今晩泊まるフレンチパークまで送りましょうかと言われたが、お断りした。足で歩く一筆書きの旅が途中で切れてしまってはつまらない。
車を降りて、荷物を背負った所で、お別れに頬づりをされた。2時。これから17キロの道のりが待っている。
歩き始めると雨も降り始めた。幸いにも風がないので傘が使える。約2時間傘をさして歩いた。歩道はほとんどなく、トラックなどが通ると、道脇に避けていても風圧で、傘も帽子も飛びそうになった。大抵の車は対向車線の方へ移動して、歩きやすくしてくれた。私はそのつど手を上げてお礼をした。長い長い道が何時果てるともなく続く。このあたりは比較的起伏が少なく、それだけに目を楽しませない。たまに見るパブも嬉やと近づいて見ると閉まっている。雨が止んで、小休止していたら、牛が寄ってきた。向かいの牧草地では7、8頭の牛が並んで私の方を見ていた。リックの赤のレインカバーが彼らの目に留まったのかもしれない。初めて標識を見たのはボイル12キロ、フレンチパーク2キロの標識である。あと2キロ歩けば夕食にありつけると、重い足が少し軽くなった。
6時半、フレンチパークに着く。パブなど店がみな閉まっていて、さびしい町である。中華料理屋がOPENと赤いネオンサインを出していたので、入った。野球帽を被った小柄な中国の娘さんが注文を取りに来た。香港の出身だという。ギネス、麺入り海老のカレー煮、ライスつき。日本の倍の量があり、おいしかったが3分の1は残した。野球帽を被った30前後の丸顔の中国人のシェフが出てきた。今日泊まるB&Bマウントビューのことを聞くと、知らないと言った。目印になるシープウォーク・インは知っていて1マイル先にあると言う。私はアイルランドの1マイルは大変長い距離だと知っている。紙切れに自分の電話番号を書いて、もし目的の宿が見つからなっかたら、電話しなさい、助けてあげるといってくれた。やはり旅には携帯があったほうが良い。このレストランを7時半に発った。1時間もいたことになる。たっぷり1時間歩いて、シープウォーク・インの前を通ると戸口に立っていた男が寄って行かないかと声が掛けてきたが、もう遅いのでやり過ごした。雨と夕暮れで薄暗くなった中、ぐっしょり汗をかいて、8時半、やっと今日の宿に着いた。
宿の女主人が、笑みをたたえて迎えてくれた。全身に優しさがあふれていて、久しぶりに会う孫を扱っている感じである。
私は、アイルランドの優しい女神によって、優しい女神から、やさしい女神へとリレーされているように思えた。女神たちは決して若くないが神々しい。
部屋の明かりが弱くて、暗く感じられたが、シャワーを浴びて、すぐ、ベッドに横になった。
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