アイルランドの細道  

きっかけ

梅雨の合間のからりと晴れあがった日、後藤虎男さんのお葬式が小石川の伝通院で行われた。シェイクスピアを読む会の仲間と帰る道々、木々の緑が艶やかに光り、その上に広がる青い空を見上げながら、私も旅に出ようと決意を固めていた。

後藤さんは、2008年6月9日、イタリアのエオリア諸島の中で最も海の青さが美しいといわれるパナレア島で亡くなられた。シシリー島がお好きで、今回は4度目。現地でクルージングに参加し、パナレア島で泳いでいて亡くなられたのである。葬儀の会場の入り口には、家族が撮影された、紺碧の空の下での、美しい海のアルバムがおかれていた。享年82歳。旅立つ直前のお元気な姿を知っているだけに、それはまさに晴天霹靂の訃報であった。

週一度のシェイクスピアの会読では、A4のノートを見開きに使い、各種注釈書からのコピーを貼り、さらに、自分の訳文も記入しておられた。テープも何度も聞いておられ、役になり切っての朗読は素晴らしかった。
東大農学部出身の農学博士、小麦の品種改良がご専門で、「コユキコムギ」の開発者であったが、定年後は、色々なことをしておられ、山登り、合唱、日本語教師、ガイド、地元の親睦会、シチリア研究・・・・何をしても、真っ向から取り組まれるのが後藤さんの身上で、イタリアへ行くとなるとイタリア語を勉強するという懲りようであった。
最も心に残るのは、そのにじみ出る優しさである。東大臭さ、役人臭さを微塵も感じさせない、心底柔和な人柄がどのようにして形成されたのか、小麦の改良という忍耐の要る仕事をしてこられたからだろうか。ナッパ服を着て、ゴム長をは履いて、麦畑を見て回る研究者の雰囲気がいつも消えないご本人からいつか色々お聞きしたいと思っていた。
客死の報を聞いて、神様は、そんな後藤さんを愛でて、人生のその絶頂にあって、召されたのだと思った。
そして、後藤さんの死を知ったとき、ふと思ったのである。
私も元気な内に旅へ出よう、以前からなんとなく頭に描いていたアイルランド徒歩旅行を今度は実行しようと。
私は70歳を越えていた。

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