アイルランドの細道

ボイル

今日も20キロ、たっぷり歩いた。

ホテルのフロントは昨日のお嬢さんに替わって、黒いワンピースの中年女性となっていた。ギネスの黒色は、太り気味の色白のこの国の女性に良く似合う。食堂は、昨夜のバー兼レストランとは反対側についていて、フロントの女性が朝食の世話もした。客は私しかおらず、徒歩旅行の証人として、これまで続けてきたサイン帳(画用紙)にサインをしてもらった。
出発の姿でチックアウトの支払いをしていたら、思いもかけないことが起こった。それは、今日の弁当だといって、ボリュームが優に2食分もあるサンドイッチが用意されていたことあるである。感激して彼女の写真を撮らして貰おうとしたら、このサンドイッチを作ってくれたコックも呼ばれて、3人が合掌して、東洋流のお別れのポーズをとってくれた。日本のホテルでは起きないことである。おそらくこの女性が、私がコークまで歩いて行くという情報をコックに漏らし、そのコックが意気に感じて作ってくれたものと思われる。朝食後部屋に帰って、チェックアウトにで出て来るまでの早業を行ったのは、柔和な顔つきのインド系の人だった。
ボイルへの道は、長い長い丘越えの道である。申し分のない舞台装置である。雲はあるものの、時々日が差し、雨の気配がない。馬も牛も私には結構興味を持ってくれて、嘶いてくれたり、一斉にこちらを向いてくれる。耳を立て体を正面に向けて、威を正す姿勢で見てくれるので感動する。ザックに被せてある真っ赤なレインカバーが彼らの目を引くのかもしれない。2時間も歩いて、ボイル14キロの標識が出ていて、がっかりする。12時40分昼食にする。サンドイッチの差し入れの意味がやっと分かった。途中に店がないのである。透明なラップに包まれた柔らかい卵のサンドイッチを出し半部食べた。ボイルへ10キロのところにパブがあって、ハーフパイントのギネスで女主人と雑談し、今日泊まるB&Bについて教えて貰った。10キロ先の町のことなのに意外と細かく知っているのに驚いた。14時50分大休止、靴を脱いで、足に風を通したりしたら、少し調子が戻ってきた
3時過ぎ休止の所では、サックを背負いやすい石積みの場所を選んで置き、担ごうとして、うまく背負えず、2回ももんどりうって、背中を石にぶつけて、うなってしまった。疲れてくると自分の荷が背負えなくなる。それに、昨夕、ジェムソン中瓶、チ―ズ1箱、リンゴ4個仕入れたので、一キロ近く重量が増えている。重い荷物を恨みながら、ボイルの町へ向かった。もうとぼとぼ歩くといった感じである。
ボイルの町に入り、最初の街角で、ジーンズをはいた労働者風の男に道を聞いたら、その人が偶然にも目的のB&Bロズラダリング・ハウスを知っていて地図を描いてくれる。偶然にしては上手く出来ていると思った。緩やかな上り坂をだいぶ歩いて右折し、スライゴー・ロードに沿って南下する。12世紀建てられたというボイル修道院の遺構を左下に見下ろす感じで進むと、先程の男が教えてくれた目印の丸い屋根の教会があり、折から鐘が6時を告げていた。
さらに5分歩くと、宿は町外れの閑静な住宅地の中にあった。広い前庭のある綺麗な家で、呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。そのうち他の客が心配して探してくれる。やっと女主人が出ていて部屋に案内。お茶が良いですか?コーヒーが良いですか?と聞き、しばらくしたらお茶が出来たと呼びに来る。これはB&Bの基本的な対応である。瞳が空色で美しく、優しい初老の女将は早口で話すので大半聞き取れない。なんだか公園に連れて行ってあげようと言っているらしい。明日の朝食の好みを聞くくだりは良く分かった。
部屋に帰って、ジェムソンの水割り、チーズ、リンゴと残りの卵サンドイッチの夕食。良くぞここまで先を読んで2食分のサンドイッチを作ってくれたものだと神様(インド人コックさん)の采配に感謝するのみである。

ここボイルは古い町なので見るところがたくさんある。明日の計画が立たないまま眠りに付いた。

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