アイルランドの細道

スライゴーに着く

朝、食堂は満席だった。15人はいるだろう。平屋造りだが、多く部屋が横に広がっているらしい。もし私がデリーから歩いて来たと言えば、おそらく質問攻めに会い、碌に食事も出来ないだろうから、片隅で黙々と食事をした。

支払いをしたら、昨夜のビール以外はすべて只だった。トマスさん、ティナさんに送られて、10時8分出発。やや寒いが、晴れていて、出だしは好調。

  この国の朝食に馴れ旅日和

40分ほどでグランジという村に着く。そこのスーパー・マーケットでボールペンをひとつ買って出ると雨が降り出し、雨具を着ける。雨の中を歩く。風は向かい風で、おそらくずっとそうなのであろう。季節風だと思う。

Henry’sという立派なレストランに入る。カフェテリア式なので、ローストビーフをほんの少しと言った積りだが、厚いのが3枚、それにサラダをつけると山盛りで豪華な夕食といった感じである。アイルランドは量がたっぷりで戸惑うことが多いが、おいしいので残せない。肥満の人も他の国に比べて多いのではないかと思う。13時5分発。先ほどのレストランで現在地を聞いたら、ここはDungcliffと美人のウエイトレスが教えてくれたが、Dungcliffの標識が見えたのは1時間近く経ってからである。そうだとするとスライゴにはまだまだある。美人の情報は不正確という公式が私の頭に出来つつある。歩き始めると、サイクリングの人たちが、日本で言うと競輪選手のいでたちの男女が、前方から、次々現れた。ある時は一人、ある時は10人ぐらいの固まりとなって断続的に続き、おそらく自転車レースの大会ようなものであろう。あえぎながらペタルを漕いでいる人達と手や目で挨拶を交わした。みな笑い顔だった。

さらに1時間歩くと、右手にYeats Restrantの標識が見え、前の駐車場には車がぎっしりと並び、入ってみるとたいそうな賑わいである。店は一杯で100人近くいるのではないかと思う。皆、余所行きの服装をして、陽気に振舞っているので、ここで何かパーティーがあったのかもしれない。ここのバーでギネス半パインで休んでいると、向かいの壁に茶色のコンテで描かれたイエイツのポートレイトが目に付いた。
そこから数100メートルの所の、それ程大きくない古い教会の前の墓地に、W.B.Yeatsの墓がある。写真では何度も見たものだが、1936年没にしては新しい感じがするのには驚いた。傍の観光客に新しい墓ですねと声を掛けたら。同感だと返ってきた。

   Cast a cold eye
     On life, on death.
       Horseman, pass by!

   冷たい目を投げかけよ
   生に 死に
   騎乗の人よ 過ぎ行け!


これはイエイツが「ベンベルベンの麓で」という詩の最後に、自ら墓碑銘を書いているのが使われているのであるが、詩の通り彼はベンベルベン山の麓に眠っている。私はと言えば、騎乗ではなく、一歩一歩、歩いて通り過ぎようととしている。傍に小さな土産物店もあったが、そこは覗かず、古い墓碑群を横目で見ながら、街道を歩き始めた。
道は緩やな下りで、ベンベルベン山が次第に近づいてくる。稜線を辿って視線を右に移すとその端にスライゴーの町がかすかに見える。

さらに南下して、路傍で一休みしたら、座った姿勢から立ち上がれない。ギックリ腰を経験した人には分かると思うが、自分の身が制御できないのである。車が止まって声を掛けてくれたりしたが、何とか自分で起き上がり、20分ぐらい後には、重いザックを背負って歩いていた。
スライゴーへは5時半ごろ到着した。急げば旅行案内所に間に合うと思いながら、近くのガソリンスタンドにいた婦人に案内所の場所を尋ねると、今日は日曜だからiはやっていないだろう言う。今日は日曜だったのだ!先ほどのレストランの賑わいも、自転車レースもそれで分かる。
その婦人の教えに従って、町の中心部に向かった。ハイド橋の手前で、ガラボーク川の護岸の石垣に荷を降ろした。小雨は降るし、川には水鳥がいるものの、ゴミも沢山浮いていて、しかも、今夜の宿も確保できていないとあって、心が暗くなった。傘をさし、立ったままで、ガイドブックを繰るのはわびしかった。日本料理を出すというレストラン「サクラ」を探して入った。中華料理店で、各席にキャンドルをともした高級店である。客は私独り。学生のような小柄な娘さんが注文をとりに来た。聞く前に私は中国人ですと名乗ったが、それでも懐かしかった。メニューには日本食もあり、熱燗と野菜の天麩羅、いくらの握り一貫を頼んだら、野菜の天麩羅は出来なくて、結局海老の天麩羅になった。8本の海老の天麩羅、寿司いずれも生野菜が見栄えよく盛り付けられていて、シェフが20年間日本で修行したというだけことがあるなと感心した。天つゆにはスプーンが添えられていた。
その娘さんに実は今夜の宿が取れていないと宿のことを相談したら、ピアーズロードというところにこんなB&Bがあるとメモをくれた。私の頭には都心のホテルがあったのだか、そのB&Bはそれとは逆方向である。空き部屋があるかどうか調べて欲しいと思ったが、言い出せなかった。携帯電話を持っておれば、こんな時に困らないのだが・・・。私が出る頃には、この店は満席で、外で待っている人もいた。
店を出てどうしようかと迷ったが、娘さんが折角言ってくれたのだから、無駄足でもかまわないと、そちらの方向に進む。雨も上がり、食後のゆったりとした気持ちで歩き始めると細い橋が架かっていて、そこで6,7人の東洋人に会う。最後の一人の中年女性が携帯電話で写真を撮っていて、その姿が日本人らしいので、日本人の方かな?と独り言のようにつぶやいて通り過ぎようとすると、日本人ですと声が返って来て、お互いに少し話したかったのだが、一群はすでに橋を渡って先へ行っているので、その女性は未練を残して、仲間の後を追った。

ピアーズロードの坂道をかなり登り、教えてもらったSt.AnnaというB&Bを見つけた。幸いなことにvacancies(空き部屋あり)のサインが出ていた。玄関のすぐ横の部屋が今日の私の部屋で、明日の朝食の時間を聞かれて、落ち着くと8時であった。明るさは日本の5時頃といった感じである。

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