アイルランドの細道


ブンドラン ―  マニーゴールド

日本のガイドブックの地図に出ていないが、ブランドランはメインストリートが300メートルある立派な町である。9時半、宿を出て、町の反対側にある旅行案内所に行き、今夜の宿を手配してもらった。スライゴーまでは37,8キロあるので今日はその中間に泊りたいのである。良い所が見つかると相手が不在だったりで、本当に四苦八苦して、やっと取れたときには11時になっていた。それだけ苦労したのに、係りのジェニファーさんというお嬢さんは予約手数料を取らなかった。長くお待たせして申し訳ないと言う。旅行案内所を出ようとすると激しいにわか雨である。あわてて引き返して、雨具を着け出発する。それからひたすらに歩く。
雨は、ある時は強く、ある時は弱くといったふうで、時に晴れてみたり、気ままな天気である。晴れ間に小休止していると車から中年の女性が大丈夫ですかと声を掛けてくれる。また、激しい雨の中を歩いていると今度は赤い車の娘さんがドアを開けて声を掛けてくれる。そんなことがたまにあり、後はひたすらに歩く。ガソリンスタンド横のコンビに様なところでサンドイッチの昼食をとったのが12時過ぎ、また1時間刻みの休みを取りながら前進する。今日始めて携帯ラジオを聴いた。このラジオは15年くらい前のもので調子が悪く、捨てようと思いながら今まで持ってきたのである。何かホームドラマのようなものをやっていて、効果音として甘い音楽が使われていた。
雨の中をうんざりするほど歩いたところにGorevan’s Pubというのがあった。歩くのがいやになった時にPUBが現れるのも憎い。中は薄暗く、地元の中年の痩せぎすの日焼けした農夫のような男がギネスを傾けていた。ギネスを1パイント注文すると半パイントのグラスが出たのは、私の発音が悪かったのかも知れない。まず現在地の確認をし、これから行くB&Bや途中のレストランのことなど聞いた。横で飲んでいた農夫らしい男は10年ほど前にアメリカとドイツの行ったことがあると言う。主人とは日本のギネスの値段、禁煙の状況など話が進むが、ふと思いついて、息子はいるかと聞くと、娘と息子(8歳)がいるというので、それなら日本のコインをあげてくれと五円玉と五十円玉を出すと喜んだ。この日本の穴のあいた硬貨は私の海外旅行の秘密兵器で20枚ぐらい持って行くのだが、今日始めて使った。隣の男にもあげたら喜んだ。ギネスを一杯おごってくれた。土地の人でも、その都度律儀に現金を払っている。もうこの人は3杯目である。主人が自分の名前を日本語で書いてくれと言うので、書いてあげると、奥さんと子供の名を書いてくれという、カタカナ、ひらかな、それに適当に見繕って漢字で書いてあげる。主人からもおごりの一杯が入る。半パイングラスを計4杯開けて、ほろ酔い気分で歩き始まる。すぐに、薦めてくれたレストランに着くが、開店は5時半で後1時間待たねばならない。店の傍で時間待ちの3人の男が話しかけてくる。連れている男の子がかわいいので、五円玉をあげて、縁起の良いコインだよと説明すると、大人たちもくれという。いい結婚をしたいので・・・ボスらしい男が、日立(農機)を10台持っているが皆素晴らしいと言うから、彼は豪農に違いない。やり手といった感じだった。

そこから目的のB&Bは遠かった。雨が止み陽が差してきた。やや下り気味の道の正面にベン・ベルベンの山容が見え、このあたりの景色も見事である。横に伸びやかに広がる台形の大きな山塊が陽を受けて輝いていた。乗馬姿がちらほら見えた。近くに乗馬学校があって、そのすぐ先が今日の宿Atlantic Havenだ。5時着。主人は、初老の、小柄ではあるが日焼けして頑健そうだった。名はトマスさん。女性はやや大柄の中年の方で、ティナさんといって、自分は雇われ者だと言う。B&Bは女将が取り仕切るのが普通なので、誤解されないようにと言ったのだろう。同宿者は乗馬へ通う若い娘さんたち。長靴が壁に寄り掛けられている。すぐ、洗濯、シャワーを済ませたが、問題は夕食のことである。さっきやり過ごしたレストラン以外に食事の場所はなく、ティナさんが、そこへ車で連れて行って、また、帰りに迎えに行ってあげるというが、それはあまりにも申し訳がない。私は内心、持参のワインやチーズで済ませてもいいと思いながら、ふと横を見るとホームバーの設備があるので、これは開かないかと聞くと、開くのはパーティの時だけだと言う。ビールならあるがと言うのでそれに飛びついた。ビールとそこに見えるリンゴを2つほしい、それが夕食だと言うと、パンもいるだろうと言って、切りながら、「チーズは好きか?」、「勿論好きです」、大きな塊を出してくれる。食堂を使っていい。紅茶もそこで飲みなさいと。台所からビール、リンゴ、パン、バター、チーズを抱えて、食堂に行こうとしたら、「冷蔵庫にハムがあった、これも持って行きなさい」と10枚ほどのハムをくれる。夕陽で明るい広い食堂を独り占めして、これらを広げて豪華な夕食となった。
昨日と今日、同じような厚意をいただいて、なにやら後ろめたい気もする。車のない者は、町の中心に宿を取らない時には、夕食のことをよく考えておかなければいけない。

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