アイルランドの細道  

ボリボフェイへ

今日は20キロ強の道のりを12キロ(それに水1リットル)を背負ってひたすら歩く日である。完走できるか少し不安がある。
8時50分宿を出て、昨日お世話になった旅行案内所で、今度はボリボフェイの宿を取ってもらう。B&Bより安いホテルを薦められた。なんと35ユーロである。私は旅行案内所の人を信頼しているので、それをお願いした。この案内所は街の中心から3キロ離れているが、なぜこんな所にあるかと言えば、ここがロータリー(ターンアバウト)の傍で、車で旅行する人には便利だからである。アイルランドはもう車社会なのである。私は更に一昨日と泊ったホテルの方へ引き返し、ホテルの横を右の折れて、スライゴー方面への道に入る。

9時半から歩き始めて、1時間ごとに小休止。周りの景色は相変わらす美しく、どこを切り取っても絵になるが、少し飽きてきた。羊を見ると彼らは私が珍しいのかじっと見てくれる。路傍の草花も美しく、今は花のシーズンのようである。しかし、相変わらず国道を歩いているので、アイルランドの細道を歩いている感じではないが、遭難碑やマリヤ様の祠があったりして趣を添える。空が360度見えるのも嬉しい。日本では経験できない。
12時過ぎ、峠のガソリンスタンドの隣に中国人の経営するレストランがあるので入った。
まん丸の顔の中国人が日本語を話すような感じの英語で注文を取りに来た。汁そばでもあれば良いがと思ったが、ランチメニューにはそれはなく、お米につられて、カレーライスを頼んだが、昨日ほどでないにしろ美味しかった。ギネスがなく、バドワイザーの小瓶を2本飲んだ。


旅行案内所の娘さん
緑のスカーフ

ターンアバウト


スライゴーへ
下はホテルへ

こんな道を
テクテク歩く

交通事故遭難碑

マリヤ様の祠



ホテルの部屋

ジャクソン・ホテル


1時過ぎこのレストランを出て、歩き続ける。沿線で見る農家はみな立派で、アイルランドは貧しいという先入観が払拭される。経済統計上はどうなっているか知らないが、食、住に関しては日本より豊かな感じである。ジャガイモ飢饉で100万人の死者と100万人の移民を出したという記憶から貧しい国のイメージが出来たのだが、その飢饉は1845年に起きたもので、1世紀半も昔のことで、天保の大飢饉(1835年ごろ)を覚えているようなものである。

曇り空は時々晴れ、風がいつも流れていて汗を取ってくれる。一度だけ突風で大切な帽子が飛ばされ、追っかけた。途端に連句一対が出来る。

  追い風に帽子取られて花いばら
     遭難の碑も草に埋もれ


旅をしながら連句を巻こうと思っていたのだが、殆ど忘れていた。
すれ違う車が時々頑張れとの合図に2回軽くクラックションを鳴らしてくれる。

かなり歩き疲れ、ストラノーラーの街の入り口に着いたのは、4時。小雨のぱらつく中、この街を通り抜け、隣町のボリボフェイを宿を探しながら歩き、1時間後、街道から少し奥まった所にあるジャクソン・ホテルに着いた。値段が値段だけに、うらぶれたビジネスホテルならどうしようと心配していたが、なかなか風格のあるホテルなので驚いてしまった。受付の娘さんは好奇心旺盛で、質問を浴びせながら、長い廊下を部屋まで案内してくれる。部屋は広く高級ホテル並みで、この値段で、日本では絶対に起こりえないことである。ひとつ泣き所は、シャワーあるが風呂がない。インターネットは部屋に電波は来ているが繋がらなかった。
ホテルには立派なバーとレストランがあって、シャワーを浴びて早速ギネスを飲みにバーへ行くとカウンターで男が独りギネスを傾けてた。誰も現れないので、その男に聞くと、バーテンダーがレセプションに狩り出されているらいしと言う。フロントにそのことを言うと、フロントの青年自らが来てギネスのコックをひねって注いでくれた。
一杯飲んで、レストランへ移動。こちらは地元の人が家族連れで来るようなところでにぎやかだった。スターターを二つ、本日のスープ(これは外せない)、ギリシャ風サラダ(小)、メインはムール貝のグラタンのようなもの。赤ワイン小瓶。結構な夕食であった。帰って睡魔に襲われ、目が覚めたら2時。時差の関係なのだろう。
パソコンに日記を打ち込んでいるうちの夜が白んできた。

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