アリス、アリスに会う   59−65

59 アリス :ふと気付くと、猫さんとのこの対話は2年近く中休みをしたことになりますね。この間私の方はさして進歩しているとも思えませんが、またお付き合いいただきたいと思います。

何故中休みをしたかと今から考えて見ますと、頭で分ればそれで解決するだろうと思い、何とか、猫さんのお話を頭で理解しようと急いだために行き詰まったように思います。

これからは、少しのんびりと、色んな話題を追ってみたいと思いますので、お付き合いください。

今朝(2007・4・16)の朝日新聞の一面に「仮想の街で別人生」という見出しで、ウエブ上の都市の話が出ていました。ネット上に各人がキャラクターを送り、実生活さながらの世界を作り上げるのですが、なんとその人口は557万人とありました。野口さんのいわれるヴァーチャル世界のモデルがまた一つ出来ているのです。このようなことになりますと、野口さんの著書『魂のインターネット』http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/BookAd.htmlが、より理解されやすい時代になったように思います。

ゲームの世界であればまだしも、実人生をなぞる巨大な仮想世界ができるとなればどうなるのでしょうか?面白いですね。小さいときからゲームで育った人たちはそのままこの世界に入って行く気がします。

 

60  :ウィキペディアによると、このようなゲームはMMORPG ( Massively Multiplayer Online Role-Playing Game )と呼ばれるようですが、本格的な始まりはたぶんウルティマ・オンラインだと思います。発売が1997年ですからちょうど10年前になります。

ふつうのロールプレイングゲームは、プレヤーがゲームを始めたときに仮想世界が始まることになりますが、この型のゲームの特徴は、仮想世界がゲーム提供企業のサーバーの中でつねに存在し続けており、その世界の中に時間が流れていることです。仮に一人もプレヤーが接続していなくても、仮想世界は存続しており、独自の営みをつづけています。独自の営みという意味は、プレヤーが自分のキャラクターを動かしておこなう直接的な操作以外に、仮想世界が独自の法則に基づいて動き続けている、という意味で、このためプレヤーが予期しなかったような現象が仮想世界の中に起こります。例えば、山の木を切ると海で魚が取れなくなるというような――これは現実世界でもそうなっているのですが――そういう法則がしこまれているのです。このため、仮想世界の現実感が高まり、まるで仮想世界がそれ自体で生きている独自の世界のように見えて来るのだそうです。

 これを当てはめて考えると、物質世界の自然法則というのは、霊にとっては仮想現実である物質世界を、本当らしく見せるための仕掛けということになります。いわば、物質世界は、霊の世界につくられたウルティマ・オンラインであり、その中で人間たちがまた仮想世界を作り始めているということです。仮想世界の入れ子です。

61 アリス :おそらくこの仮想都市には映画館もゲームセンターも既にあるのではと思います。さらに山や雲や木や風を提供している人もいるはずですね。前の対話(自分を探すアリス88 http://www.alice-it.com/noguchi/alicecat24.html  など)で猫さんが山や川の意識という話題を出しておられ、その時はよく分りませんでしたが、このような仮想都市のことを考えるとよくわかります。面白いことにギリシャ神話を初め、多くの神話の、自然を支配する神様がいることです。猫さんがこれらのことを言っておられるのに気づきませんでした。仮想世界全般については前の対話でかなりしていますので、少し絞って、しばらく、そのゲーム性について考えてみたいと思います。

仮想都市は一種のゲームと言える側面があります。この世界でも何とか勝者になっていい目をしたい人が多いではないでしょうか?ゲームの中で勝ち負けの要素をなくすと急に面白さがなくなりますね。子供の遊びから大人の政治、戦争を含め、どうしてこんなにゲームが多いのでしょうか?

62  :「戦い」という言葉を広くとらえると、私たちの世界はまさに「戦いの世界」だということができます。ふつうの意味での「悪者」や「敵」との戦いのほかに、囲碁・将棋などのゲームやスポーツでのライバルとの戦い、「恋の鞘当て」などの男女関係における戦い、学校における成績順位の競争や企業社会における出世競争、企業間のシェア争い、企業買収の攻防戦、学者の社会における先陣争い、そして「おしん」のドラマに見られるような自分の運命との戦い、「克己」という名の自分自身との戦い・・・

要するに私たち人間は、「戦い」が好きなのです。「努力」「競争」「勝負」「闘志」などという言葉が好きなのです。なぜ、私たちはこんなに戦いが好きなのでしょうか。

私は、それを「愛エネルギー欠乏症」の症状だと考えています。比喩的に言えば、私たちは愛エネルギーが不足しているために慢性的に寒さを感じていて、何とかして暖かくなりたいと思っているのです。それが「戦い」「努力」「競争」といった形に現れるのだと思います。

「戦い」「努力」「競争」などは、すべて「何かを手にいれたい」という思いから発しています。その「何か」というのはいろいろありますが、本当は「愛エネルギー」を手に入れて暖かくなりたい、というのが私たちの無意識の底にある願望なのです。けれども、私たちは愛エネルギーについて無知であるために、違うものを求めて、それが手に入ったら暖かくなれるのではないかと思って努力します。このため、一生懸命努力することが愛エネルギーを手に入れるためには役に立たず、いつまでたっても欠乏症から抜け出せないというのが、私たち人間の現実だと思っています。

63 アリス :「愛のエネルギー」と言うお話は、猫さんの著書の『魂のインターネット』にも、この前の対話『自分を探すアリス』にも登場しますが、実は私にはよく分らないことの一つなのです。脈絡もなく出てくる感じで「愛」も「エネルギー」も猫さんの仮想世界の中にどう位置付けけられているのか?その「欠乏症」がなぜ起こるのか?よく分りません。

愛が十分与えられていると(例えば母親から)何も欲しくない気になるというのは感覚的に分るのですが・・・・

64  :「愛のエネルギー」という話が出てきたのは、「人間がなぜ戦いを好むか」という疑問に対する答えとしてです。

私は、人間社会だけでなく、地球の自然界においても、生命の顕われのあらゆるところに「戦い」あるいは「ゲーム」の様相が染み込んでいると思っています。(注釈――ゲームと言うと遊びのように聞こえますが、アリスさんは「ゲーム」の本来の意味=「試合、勝敗を争うこと」という意味で使われていますね。) 地球世界を見ている限り、「戦い」は生命の本性ではないかとさえ思えます。

けれども、「愛」というものがおぼろげにでも理解できるようになり、「愛のエネルギー」の働きがわかるようになってくると、「戦い」が、生命の本性ではなく、特殊な状態であることが見えてきます。その結果として、地球世界が「戦い」の色に染まっているのは、「愛のエネルギー」が低下しているからであるという判断が生まれてくるのです。

たぶん、アリスさんにとっては、ここで「愛のエネルギー」に話が結びついてしまうのが理解しにくいのでしょうね。では、アリスさんは、人間あるいは地球世界が「戦い」あるいは「ゲーム」の色に染まっているのは、なぜだと思われますか?

65 アリス:私は存在そのものが既に戦いの構造を持っていると思っているのですが、(陰陽の分化)が、いきなりそこに行く前に、生命のレベルでも猫さん同様にその本質に戦いの構造が組み込まれていると考えます。何億?の精子が競って卵子に向かう様、食物連鎖、種族の生き残りをかけた戦争・・・あらゆる面で、戦い、ゲームが仕組まれていて、それがこの世をダイナミックに進化させています。自己の保存、子孫、種の保存のために喰うか喰われるかのゲームに駆り立てられます。誰が仕組んだのか大小無数のゲームの輪にはまっているようです。天国は、ライオンも羊も猫もネズミも皆、仲良く過ごしている絵で示されていますが、おそらくこのような戦い、ゲームがないのでしょう。

現実の世界はそうでなく、ゲームに勝つために、知力、暴力、詐術、技術・・・あらゆる手段を駆使するのですが、このような中で「愛」はゲームに勝つための巧妙な戦術ともなります。

この愛は猫さんの「愛」とは違うのでしょうね。

07/4/21

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